『ドゥルーズABC全注釈』H-Histoire de la Philosophie 哲学史(後編)1日目

#20a ドゥルーズの哲学史(古代・中世)
 
ドゥルーズは生命の実相と哲学の間にいた。哲学で生命を語ろうとしたわけではないし、生命の実相で、哲学を変えようとしたわけでもない。生命があり、そして哲学があった。生命は、自然や物理的条件から抗いようのない受動的存在だ。でもそのぶんだけ個体であろうとして、能動的に働きかけることのできる存在だとも言えよう。ドゥルーズの哲学は唯物的で経験的なもの、所与のものを必須の条件にしなくてはならない。しかしそのぶんだけ概念創造という独立し個体化する領分をもたなくてはなりたたない。ドゥルーズは生命と哲学を接続した人物である。

生命は有限な命を反復する。しかし反復されることでその命はより適応力に優れ強いものになっていく。累乗で強度が増すというわかりにくい表現も、こんなふうに自分の遺伝子の累乗を繰り返し、生命としての強さをもつという具体的なイメージを持っている。なおかつ遺伝子が複製を作り出そうとするときには、同じ物の反復ではなくそこには無限の差異を自らのなかに生み出している。遺伝子は少しずつ同じ物を作ろうとしながらずれていくのだ。反復の中の差異。この生み出された差異が個体性のもととなる。だから個体は非連続だが、こうして自己生成させ続ける生命活動全体は連続なのである。

しかし生命の実相は、文化や物質的なものと切り離されているわけではない。生命の働きを分子的なものにまで微細にながめると精神や物質がまったく区別なく取扱えることがわかる。分子的なものは機械の接続として表現出来る。接続や切断といったシンプルな様態を無限に積み重ねることで精神も物質も同じように表現できるのだ。もしこれが可能であるなら、我々は唯物的なものの強制力を、この生命の分子的な視点から具体的に操作が可能になるようなビジョンへと移行させることができるようになる。

このように分子的な世界観においては、生命の働きは、主体の生成、あるいはアクチュアルな作品の生成の働きに関連づけることができる。生命が生成されるとき、蛋白質は接続/リガンドし、疎水性のアミノ酸のセリーが浸水性のアミノ酸のセリーに折り畳まれて襞をなし、蛋白質の三次元構造をつくりだす。我々の主体もまったく同じように生成される。さまざまな出来事が分子的なエレメントを接続させてセリーを作り出す。これらのセリーが意味をもったり、意味を転移させたり、あるいは意味だったものがセリーに転化したりして、襞をつくりながら自らの魂の内側に立体的な主体の構造をつくりだしているのだ。これは生命の働きのアナロジーを哲学に当てはめたのではなく、哲学の働きを問い詰めると、生命の働きとシンクロするということなのである。アクチュアルな芸術作品も、さまざまな素材が接続されて、いくつかのユニットが折り畳まれて反復したり、ユニットが合成されたりすることで、一つの合成=制作をつくりだしている。我々は分子的な接続により、生命活動として芸術を創造しているといえるのだ。

徹底的に唯物論者でありながら、超越的な個体性をうったえる哲学者。内在:ひとつの生…この最後の永遠につづく感覚。それは生命活動として概念を創造するということなのではないだろうか。我々が概念創造をおこなうというのは、実は生きているのと同じくらい自然に行なわれ、また生きることを自覚するのと同じくらい自発的に働きかけなくては忘却するものなのかもしれない。ではドゥルーズの作品にあるもので、その概念創造の小さなメモを構成してみよう。美しいものは、かならず美しいものを作り出す能力をもっているように、生きた概念は、きっと新たなる概念を作り出す力をもっているはずだ。

#3-a 古代・中世哲学

ギリシア。なぜそこから哲学がはじまるのだろう。この地理的な発生学は一見あまりにも正統的だ。しかし哲学という生物が棲息するギリシアという環境への適応であるかのようにドゥルーズが説明を始めるとき、我々にはまるでダーウィンが自然選択を語っているように聞こえるだろう。哲学はギリシアの環境に偶然適応したのだと。哲学とギリシアの出会いである。その二つは同じ性質を偶然もっていた。〈脱領土化〉という性質である。一つのものに取り込もうとすること、繋ぎ止めること、固定しようとすること、個体であろうとすること。これらの働きから、逃げ出そう、染み出そう、とするすべての力が〈脱領土化〉である。ギリシアはペルシア帝国から逃げ出した。この〈脱領土化〉によって、デロス同盟という〈再領土化〉がおこった。これはフラクタルに分子化されポリス化されることで、帝国とは別の3つの特徴を創り出すことになる。

帝国と対峙する内在的な社会性、仲間たちと連合を組む友愛、アゴラでの意見交換や会話でなりたつオピニオン。この3つの図式は哲学という生物が棲むことのできる生命圏をつくりだした。哲学もまた、〈脱領土化〉するものであった。自然からあたえられる様々な知覚素、物質的な現象、それらからまるで篩(crible)にかけるようにして、ギリシアの自然哲学者たちは、世界の仕組みを抽出した。それぞれの世界観はそうやって集めてきたものでいったん構成される。しかしこの構成された平面上で運動させようとしたとき、これらが流動的な世界からもたらされたものであるがゆえに、平面はいつも組み替えられてしまうものなのである。つねに自分自身が創り出したものを、自分自身の考察の運動と所与のものの物質性がはみだしていく。捕らえようとし、捕らえたものをみつめれば、なお逃げる。この反復が哲学の〈脱領土化〉であった。こうしたギリシアと哲学は、双方の性質を同調させて出会い、接続されたのである。

哲学が、始まったのはだから偶然である。あらゆる内的な必然性に要請されて哲学のようなものが切望されることで生まれたわけではない。ヘーゲルやハイデガーのギリシア哲学に対する内的必然性の分析はこうして批判される。すべては偶然の歴史なのだ。ドゥルーズの言葉を聞いてみよう。

「哲学は、[ギリシアへの]移住者たちによってもたらされたとはいえ、ひとつのギリシア的環境と思考の内在平面が出会う必要があった。たいへん異なる二つの脱領土化運動、すなわち、一方は相対的で他方は絶対的であり、前者はすでに内在の中で働いているといった、二つの脱領土化運動の接合が必要であった。思考平面[内在平面]の絶対的脱領土化はギリシア社会の総体的脱領土化との直接的組合わせあるいは連結を必要とした。友と思考の出会いが必要であったのだ。要するに、まさしく哲学のひとつの理由[根拠]が存在するのであるが、それは総合的かつ偶然的な理由ー一つの出会い、ひとつの接続ーである」(『哲学とは何か』一三四頁)

ドゥルーズがギリシアの自然哲学者に絶大な共感をよせるのは、彼らの哲学が科学的な創造とともに行われたことだろう。これらは、それぞれの創造的な世界の計量法、区分け方を観察に基づいてつくりだしているからだ。つまり内在平面の創建を、すべての自然哲学者がおこなっているからである。このようなドゥルーズの大地や内在平面の発想をさらに広げると、なぜスピノザが幾何学的な(geometry)方法で哲学を創建しようとしたのか、違う観点がみえてくるかもしれない。それは一般的な抽象的証明を倫理の問題に適合させたというだけではないのだ。幾何学と言う言葉の成り立ちから考えると、このことは興味深い。ギリシアでは大地(ge)を、測量(meter)する土木測量術こそ幾何学であった。まさに技術としての科学と、哲学としての抽象的証明が二重になった言葉なのである。そう考えれば、スピノザはギリシアの自然哲学者と同じように大地を区分し測量するが如く内在平面をあつかい、倫理学を創造したといえるかもしれない。どこまで良いか悪いかの等高線は引けるのか、コナトゥウスとしての不連続線の領地はどこまでか。精神の地形はどのようになっているのか。哲学地理学の測量師としてのスピノザがみえてくるというものだ。スピノザにはそのような古代自然哲学者たちにおける内在平面の確固たる創建があったといえるだろう。

ギリシアの自然哲学者について言及するドゥルーズは、彼らが後世の哲学のモデルとして扱われている様子を描こうとしているようだ。哲学の多様な可能性がギリシアという風土であたかも実験されていたかのようである。たとえば『ニーチェ』の中ではヘラクレイトスとアナクシマンドロスの関係を、そのままニーチェとショーペンハウアーの対立に置き換えている(四三頁)。前者では世界の二元性を否定し、無垢なる生成を肯定する。また後者ではト・アペイロンとよばれる自己同一な根元的自然からみれば、生成を不正とするが、多数性/変転の中にあるこの不正は、その破壊によって贖うことができる。このように存在と生成をめぐる対比を哲学者の相関関係に共鳴させている。『差異と反復』では〈反復〉と言う概念が、〈同一性〉それ自身を粉砕する働きを持っていることを論述するなかで、デモクリトスとパルメニデスの関係が接続されている(四〇三頁)。パルメニデスは存在と思惟を一体化させてた。これは観念論の萌芽であるとともに、<あるものがある>ということが一様に物体性をもっているという素朴実在論を導き出していた。存在は常に同一なのだ。ト・アペイロンをさらに物質的に限定したものであるといってもよい。しかしながらデモクリトスはこの物体性を引き継ぎながらも、原子(アトモン)という元素の反復によって、同一な物体というものの性質を破壊して、物質の多数性を導き出している。なおこのパルメニデスの〈存在〉からデモクリトスへの〈諸原子〉へという連関は、『アンチ・オイディプス』の専制君主の時代から、資本主義への時代の道程にも置き換えられている(三二二頁)。天空にいる一人の専制君主に監視され去勢されていた欲望は、高度資本主義によって脱コード化され分子的な多様性をもって無数の流れを作りはじめる。このような社会野における移行がギリシアの古代哲学史にうみつけられているのだ。なお蛇足ながら、エンペドクレスの「根」(rizoma)という概念は、ピタゴラス教団の誓いにも使われることになるが、パルメニデスの同一なものという、質=数の存在論を組み替えたものだ。質的に一義的なものでありながら、数的には多元的な生成が表れてくることを表現している。さらに先へ進んで質にも数にも多元的であるというところまで組み替えると、ドゥルーズとガタリによるリゾームという概念の生成の秘密がわかるかもしれない。もっといいかえれば、質=数=多元性とは、その様態が点のあつまりではなく、線の持続のあつまりとして様相をなしているということである。まだまだこれから解き明かされるはずだ。

『ルクレティウスと模像』の訳者原田佳彦氏は、エピクロスやルクレチィウスというヘレニズム時代の哲学者が、ギリシアの自然哲学者たちのシュミラークルであるとドゥルーズをつうじて語っている。描かれる彼らの世界像は原子的なものであり、事物を構成する原子は斜めにずれながら(クリナーメン)、入れ子細工のように、内側の多様性にむかってシュミラークルの世界を繰り返す。差異と反復の運動そのものである。だからこの作品に関して次のように原田氏が語っているのは誇張とはいえない。「デモクリトスよりはエピクロスを、エピクロスよりはルクレティウスを、一者ではなく多種多様体をとりあげる。不動なもの、一なるものから、差異を、自由を解き放ったのだ。ここには、後にドゥルーズが展開してみせるもののすべてがある」(クリナーメンとずれ-訳者後記/『原子と分身』一二五頁)。

ドゥルーズは一つのビジョンが繰り返されることにより、その精密度がより分子的で微細になり、その結果内側に傾きながら、もっと微細に刻まれて、より多様にシュミラークルをつくりあげていく様子を3人の系列の内に描いている。ここでもセリーはつくられているのだ。後年、襞の中に襞を折り畳むモナドを語るドゥルーズのリトルネロが聞こえて来るようだ。原子(アトモン)という概念を反復した哲学史(デモクリトス-エピクロス-ルクレティウス)をデッサンすることで本質的なものを射抜いているのだ。このようにドゥルーズの作品は、論述の分量によっては奥行きの深さを測れないようなところがある。『内在:ひとつの生…』や『音楽的時間』、『ベルクソンにおける差異の概念』など小品であると思える作品にも驚嘆すべき濃度をもって結晶化しているものがいくつもあるといえるだろう。

エピクロス学派もストア学派も、両者ともに事物の中から、言語を可能にするものを取り出して来るという点では共通している。しかしそれぞれの学派は別々のモデルによって、言語の可能性をとらえた。ドゥルーズは二つのモデルに注目して、その二つの特性を哲学史の流れの中に接続していく。エピクロス学派においては、〈原子の曲用〉( declination)という考え方が注目された。この場合の曲用とは、「偏り/パレンクリシス」とよばれ、諸原子それぞれの落下による多元的な運動が、全体性には規定されない事物の自由な様態をつくりだした。しかしこうした自由性を支えているのは、そもそも言語的原子としての名詞や、その性質である形容詞に注目する言語観であったからである。構成要素を細分化し、それらの分布や運動で捉えると言う観点があったからこそ、「偏り」は説明できるのだ。こうした<バラバラな分子の全体化されない結びつき>というビジョンは、ドゥルーズの哲学の中で様々なヴァリエーションを持つことになる。たとえば文体の章でも語っているように新しいシンタックスが、新しい世界の表出そのものであることを述べるときに、言語的原子がたえざるアジャンスマンによって自由な編成をすることを述べたり、分子的機械状の無意識が接続と切断を繰り返して、種々の生産をおこなうといった表現は、みなストア学派が探求した言語観への成果をくみとったものであると言えるだろう。

ストア学派においては、動詞的なものをシフトとした言語観が考えられた。それは行為を示しているのではなく、言語が構成する帯域が、一つの出来事を発生させるような「出来事の活用-結合(conjugaison)」のことである。『意味の論理学』の言葉をそのまま引用してみよう。

「ストア学派のモデルは、言語を《もっと高貴な》関係項、つまり、非身体的なできごとのあいだのつながりを媒介とする動詞とその活用とから理解する。言語においてなにが最初にあるのか、名詞か動詞かという問題は、《始めに行為がある》という一般的な原則によっては解決できないし、また、動詞を最初の行為の表象とし、語根を動詞の最初としている限り解決出来ない。というのは、動詞がひとつの行為を表象するというのは事実ではなく、それはひとつのできごとを表象する・・・・言語は、そのすべてを規定する形成要素のまわりで組織される」(二三一頁)

動作主を問題にすると、動詞の関心はその因果関係にだけ向けられてしまう。「誰が?」だけが問題になるのだ。こうした因果関係では、もともとはじまりを問うことのできないような複数の構成要素からなる出来事を、限定した動詞の意味に閉じ込めてしまう傾向があるようだ。動作主が変化することはなく、ただ接続される動詞だけが変化するのだ。

もっといえば、出来事はそれぞれ、独立しながらも関係しつつ生起しているのだが、因果関係から動詞を切断できないでいると、限定された唯一絶対の関係だけが特定されてしまうことになる。世界の中の関係性を前提にして、何かを為すことが可能になっているというのに、そうした関係性は忘れられて、唯一の原因だけが仮想されてしまうのである。

だからこそ、ストア学派の最も大胆なものの一つとして「因果関係の切断」をドゥルーズは語るのだ。(二一三頁)これは動詞が、一つの点ではなく、ひとつの帯域をさすことをしめしている。因果関係を切断された動詞は、動作主を生成変化させるような効果の束として独立し、それぞれの動詞どうしで関係をもつのだ。言語は、この帯域で「形成要素のまわりで組織される」のである。このような<因果関係を切断して出来事だけをとりだす>というようなビジョンもまた、ドゥルーズのテキストの中で繰り返し実験されていた。

たとえば、襞という、それぞれ独立した帯域によって出来事を捉えるようなやりかた。あるいは子供の章のインタビューでも生成変化について語られたように、動作主や主体を問題にするのではなく、取り出された動詞だけが連接していくような出来事の性質。もしくは『意味の論理学』第二四セリーの<できごとのコミュニケーションについて>で語られたような、帯域の性質としての3つの綜合。接続、連接、離接(connexa,conjuncta,disjuncta)は、そのまま再構成されて、『アンチ・オイディプス』における欲望する諸機械の3つの綜合として一章分の論点を提示する。出来事の哲学者としてドゥルーズが語られることは多いが、それはエピクロス学派とストア学派の対比によって、創造的な哲学史から検討する可能性もあるだろう。

さて古代哲学において、プラトンとアリストテレスの扱いは、やはり批判的に継承されている。その扱われる量も豊富なものだが、一般的な哲学史の捉え方を整理することによって、それを批判あるいは評価することが多いように思われる。ただしいくつかの注意点がある。

ドゥルーズはプラトン主義をひとつの仮想的な敵にした。それはプラトンという人物造形を責めることではない。むしろ彼を概念づくりの天才だといっているほどだ。たとえば、想起(アナムネーシス)という概念は再認のための避難所のように批判されているけれども、それと同時に偉大な概念とされている。「過去としての過去の中に、時間を、そして時間の持続をもちこむことになる」(『差異と反復』二二二頁)と評しているのは、かつて天上界で生きていたであろう時間を死んだものではなく、今も生きているようにして思い出し憧れることができるということなのだ。生まれながらにもっている能力というものではなく、今も半身は持続して、地上界に生まれる前から生きているのだといえるだろう。さらに言えば、ドゥルーズの概念の二分法の考え方は、ヘーゲルよりも、プラトンの対話形式における古代弁証法に近い性質をもっている。プラトンはあらゆる問題を両義的に捉えることができた。問題を肯定や否定の両側面から、おなじように考察することができたのだ。だからこそ彼は、オピニオンではなく概念を作ることが可能となったのである。その概念作品群の中でプラトンの最高傑作〈イデアリズム〉は、フロイトが生み出した〈オイディプス〉と同じくらい、生命を矮小化する巧みな概念だった。歴史的な奥行きをもち、生を閉じ込めるさまざまな仕掛けを呑み込みながらそれらは巨大化していったのだ。

アリストテレスは、むしろドゥルーズの概念創造のアイデアを豊かに与えているようだ。たとえば『ペリクレスとヴェルディ-フランシワ・シャトレの哲学』の研ぎ澄まされた丹生谷貴志氏による解題では、「可能態」と「現勢態」というアリストテレスの主要概念が、木材-椅子というような事物の関係からとりだされて「人間という素材」-「理性群」に適応されている例などが明示されているし、遊牧民の定義をするときは、『形而上学』で使われた「不動の動者」という概念で、その中間的な性質について語られたりしている。また存在を観察する(=観想する)学問として、アリストテレスが定義した形而上学という意味におそらくのっとって、「自分は形而上学者である」と挑発的にインタビューで応えたこともある。もちろん人間だけが観想するわけではない、すべての事物が自己享楽のために観想するような形而上学なのだろう。また『差異と反復』では差異哲学の系譜の始めにアリストテレスがおかれており、配分的支配的な<類的差異>とたんなる異他性からは区別された、存在論としての<種的差異>という二重化構造をもった哲学が指摘されている。ここでは中世で論争されることになる種と類による伝統的な「普遍者論争」の創造的な変換がアリストテレスに送り返されているのである。

何人かの神学者への言及は、哲学史の反復のモデルとしていくつか、その名前だけが取り上げられているが、その中でも特出すべき哲学者としてヨハネス・ドゥンス・スコトゥスを召還しているようだ。一言で言えば彼ほど神学を実践的な学問にした人はいない。具体的な問題に向かう姿勢にドゥルーズは共感したのではないだろうか。

スコトゥスは一義性の哲学の系譜としてドゥルーズにとりあげられたままこれを強調すると、スコラ哲学的なものに彼らがいかに具体的な考察を提示したかという輪郭がぼやけることがある。山内志郎氏が指摘されているように(『現代思想』一九九六年一月号)、ドゥルーズの論述する、ほとんどがジルソンを通じて出会ったスコトゥスなのだろう。しかしドゥルーズのテキストの細部に仕掛けられているスコトゥスはもっと、深部において影響を与えているようだ。というのもたとえば神の創造による世界が、まさに〈無根拠な神の自由意志〉によって創造されたとする、あたかも非合理を合理に導入するようなスコトゥスの過激な情熱をみるにつけて、ドゥルーズの哲学への姿勢と共有する何かが感じられる。生命の根源的な力で、この世界を偶然的創出ととらえるドゥルーズが、「精妙博士」の概念にいかに共鳴しているかを実感できるようになるには、これからの研究成果が必要かもしれない。あらゆるものを生成している絶対的な能力=力は、けして秩序づけられたものではないのである。

このような偶然的で放埓なまでの生成するエネルギーを一方に強く肯定しつつ、スコトゥスは「個体化原理」を明確にした。八木雄二氏の端的な表現によれば(『中世哲学の招待』)「ひとつひとつのかたちで在る」=形相こそが個別性の起源である。これはスコラ哲学が材料の質=質料に、その起源を求めたのとは対照的だ。ドゥルーズは常に現勢的な(アクチュアルな)実在を、その哲学の重要な要件としてきた。一つとはなにか?個体とはなにか?ドゥルーズはそのような問題に立ち向かう際に、このようなスコトゥスのエッセンスを十分に取り込んでいる。彼もまた「ひとつひとつのかたちで在る」ものを、とりだして、いかにこれが〈ひとつであるのか〉を説明するのである。我々は連続的な流れに在りながら、非連続な個体としてとりだされる。この取り出される周辺にドゥルーズの存在に関する概念のセリーが作動しているのである。

さらにスコトゥスの概念そのものを創造的に導入さえもしている。それはこの「個別化原理」に関する概念であり、「此性(haecceitas)」〈このものであるということ〉である。この概念には「何性(Quidditas)」〈なんであるかということ〉という概念がカップリングされて個体化が分析されることになる。たとえばドゥルーズは人間であり、動物でもある。これは「何性(Quidditas)」といえよう。そこにドゥルーズの固有な性質、爪が長いとか、独特なしゃがれた声とか、創造的哲学を創出するとかいう「此性(haecceitas)」が加わることで、ドゥルーズの「個体化」が成立していると考えられる。さてこの「此性(haecceitas)」をドゥルーズの哲学史では、さらに〈できごとの個体性〉にまで適応させられているのを確認しておきたい。これにより主体が形相として一つであると分析されていた個体性とは明確に区別されて、〈できごとの個体性〉の無数の結びつきによる数限りない個体性の編成を分析出来るようになるのだ。ドゥルーズの言葉を聞いてみよう。

「暑さの度合とは、実体とも、それを受けとる主体とも混同できない、完璧に個体化した暑さのことである。暑さの度合は、白さの度合と、あるいは別の暑さの度合と組み合わさって、主体の個体性とは混同できない第三の個体性を形成することができる。ある日、ある季節、ある<事件>の個体性とは何か?・・・・一つの度合や一つの強度は一個の個体、つまり此性であり、それが他の度合や他の強度と組み合わさって、もうひとつの個体を形成する」(『千のプラトー』第十プラトー/二百九十三頁)。

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