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記事一覧
『ドゥルーズABC全注釈』K-Kantカント
#27 カント/哲学の冒険者
かつてカントと共に「哲学者の冒険」の時代が終わったという人がいた。それというのもカント以来、哲学者が大学の有給の職員になったからである。プラトンが光りあふれるギリシアの風土を、ピタゴラスをさがしたり、王とともに命運をわけたり、アトランティスの伝承を聞いたりする冒険はもうないのだ。理論の語源たるギリシア語の<テオレイン>には光なす風土を観想する、という意味にくわえて旅
『ドゥルーズABC全注釈』J-Joie喜び
#23 スピノザ/喜びの機械
喜びに満ちた文章を書くためには、いくつもの言葉を自由に思うままに使えることだろう。難しい言葉でなくてもよい。わずかでもよい。自分の持ち合わせている言葉をいかに、こぼれ出る心の動きとともに組み合わせていくことができるかが大切なのだ。まさに言葉そのものが、ドゥルーズが言うあの「魔法のほうき」にのったような感覚をあたえることである。読むときも事態は同じだ。読むことで動
『ドゥルーズABC全注釈』O-Operaオペラ
#38 音楽と火
ドゥルーズにとって音楽は火である。照り返す熱さがあるというのに手を伸ばしても掴めるものではない。眩い色彩も、匂いさえするというのにそれはいつも気配のようだ。四大元素において火は浄化を約束する。自ずから火が火以外のなにものにもなることはなく、それに触れるものだけが変質するのだ。音楽はどうだろうか。音楽はつねに音楽の純粋性を守るように、透明で肉をもたない。掴もうとしても掴めないのに
『ドゥルーズABC全注釈』U-Un ひとつ
#53 内在とモナド
ドゥルーズが「一つのもの」を語るときは、「一つの単位ではなく、むしろ任意の特異性を指示する不定冠詞として」(襞/百三十四頁)用いていると言う。これはなぜだろうか。そこから説明を始めたい。インタビューではたとえばライプニッツの書簡を接続しながらドゥルーズはこのように考える。今日コンサートがある。我々はこのコンサートを音の無数の集まりだとは考えない。コンサートはある特定の場所で
『ドゥルーズABC全注釈』V-Voyage旅
#57 『映画』と旅
セルジュ・ダネの『映画=日記』の序文として、ドゥルーズは『セルジュ・ダネへの手紙−オプティミズム・ペシミズム・そして旅』(『記号と事件』所収)と題された文章を寄せている。そこでは旅をめぐる四つの考え方が、四人の人物に照らされて語られている。一番目はフィツジェラルド、二番目はトインビー、三番目はベケット、四番目はプルーストであり、二番目と三番目の順序は違うが、ほぼ同一の内
『ドゥルーズABC全注釈』Q-Question 問題
#45 問題論
ドゥルーズという人は哲学を語るときに、必ず問題の扱い方や問題の立て方の話しをする。それだけ彼が考えている哲学を構成しているものの中には問題論が意識されているともいえるだろう。哲学者の中でもドゥルーズが愛するベルクソンはとりわけ「問題」について考えた人だった。以下の文章はドゥルーズの「問題」の考え方に大きな影響があるのではないかと思われるので、そのまま抜き書きしてみたい。レグルス文
『ドゥルーズABC全注釈』C-Culture 文化
#5 文化という皮肉
ジル・ドゥルーズが文化というとき、なぜそれは皮肉のように聞こえるのか。それは文化という概念それ自体が皮肉だからだ。自由な生の流出であるはずの諸活動は人間という生物にとって自然なはずなのに、これらの創造的な諸活動が社会において文化として実現するときには、いつも人々に認められた規範的で反自然的な枠組みを与えられるからである。たとえば鳥がなわばりをしらせ、さえずりを反復させるよう
『ドゥルーズABC全注釈』S-Style 文体
#49 文体のプロセス
文体とは言語の極限まで向かい、やがて音楽的になるプロセスである。このプロセスをドゥルーズは、吃らせること、つまり語の編成を湾曲したりつなげたりして、シンタックス・構成を作り出すということにおいて捉えた。新しいシンタックスがもたらすものが、新しい言語であり、この文体からは母国語の中に外国語が聞こえてくる。
母国語とはなんだろうか?ふだんの話し言葉をそのまま書き写すことだろ
『ドゥルーズABC全注釈』D-Desir 欲望
#8 欲望の一回性
今朝食べた美味いバゲットは、その翌朝「昨日食べたからもう結構」というわけにはいかない。あきもせず、その素朴な味ゆえにまたくりかえし食べたいと思うものだ。ジル・ドゥルーズにおける「欲望」は、まずそのような繰り返しを誘うなにものかなのである。これはドゥルーズの『差異と反復』ではつぎのように記されている。なおこの書では desire欲望という言葉が本来精神分析的には区別すべき b
『ドゥルーズABC全注釈』P-Professeur 教授
#43 学生時代からリセの教師時代へ 1948-1957
鈴木泉氏の『ドゥルーズ哲学の生成1945-1969』(現代思想2002年8月号所収)は、一九五三年以前の年表からは外されることの多い初期論文にまったく新しい評価を与えている。以下の文章は、そのほとんどをこの鈴木泉氏から得たもので構成させていただいた。
インタビューで語っているドゥルーズが3つの高校で教師をしていた期間というのは、一九四
『ドゥルーズABC全注釈』R-Resistance 抵抗
#46 ドゥルーズの抵抗
抵抗、レジスタンス。ジル・ドゥルーズがこの言葉を口にするときは、一般的な意味で使われるのとは、ずいぶん趣のちがったものになっているようだ。それは、ある力に対して<抵抗>をしようとするという反動的なものではないし、革命的なビジョンのために実力行使し、行動するような運動でもない。そのために細かな注意がはられ、<抵抗>は創造することとともに語られるのである。創造する者には、概
『ドゥルーズABC全注釈』N-Neurologi 神経学
#35 不連続のコミュニケーション
ジル・ドゥルーズが脳の問題について考えるとき、彼は動物行動学者がすみかの空間性や集団の関係性などを、動物の足跡や生態の観測によって考察するように、<概念の行動学者>として、脳の働きなどから思考の領域や、関係性を観察しているかのようだ。彼には芸術や科学や哲学が独立した領域であることを、つまり独自の脳の働きであることを前提にしている。折り重なるところがあるとはい
『ドゥルーズABC全注釈』L-Litterature 文学
#31 出来事/事件の個体化
たとえば、ある画家が、「この作品は写真のように森の木漏れを写し取ったものです」と言ったとしよう。その時、その写真のような絵は、現実の比喩に過ぎなくなる。実際の光や木々は作品に従属し、光や木々の身代わりに作品は本質を透かしてみるために描かれる。絵の上でなにが起きているかは問題にはならない。タッチや色彩や構図もすべては現実に似せるための代価物である。この瞬間、木漏れ日が