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#161_中1ギャップとコロナ禍
今の中1は、いわゆるギャングエイジをコロナ禍によって奪われた子どもたちである。
わたしの所感として
男子はベタベタとくっつきたがる。
女子は人との距離を置いて接する。
こんな傾向があるように思う。
コロナ禍は、人と接することの有り難さを感じる機会をつくった。
と同時に
健全な成長には、人と接するべき時期が必要であることも浮き彫りにした。
失われた3年間を、自力では取り戻せない子。
人の目が
#160_発問と質問って何が違うの?
今年度は、研究主任を担当している。
今年度の研究テーマは「道徳」
今日は「発問づくり」に特化した講座を行った。
まずはここから↓↓
この問い自体が、実は難しい。
ちょっと噛み砕くと、こういうこと。
具体例で考える。
この捉えは「問いのデザイン(安斎・塩瀬、2020)」をもとにした考え。
ここから考えると
①は質問
②は発問
③は問い
となる。
③の「問い」の最大の特徴は、Qに「変数」が隠れ
#159_贈与と言語ゲームがつくり出す人間関係を探る
「人は簡単には理解し合うことはできない。」
これは、国語科の有名教材「ごんぎつね」を貫くテーマである。
なぜ人は、簡単には理解し合うことができないのだろうか。
今回も引き続き、「世界は贈与でできている」(近内悠太・著)の主張をもとに論じてみたいと思う。
筆者はこのように主張している。
他者が使っている言葉の意味と、自分が使っている言葉の意味に齟齬がある。
これは自明の理であるはずなのに、多く
#158_贈与と親子関係を分析する
今読んでいるのは「世界は贈与でできている」(近内悠太・2020)
資本主義の「すきま」を埋める倫理学
ここで興味深い、贈与と交換の法則、呪い、そして相手との関係性について、自分の人間関係をもとに分析してみたい。
筆者は
「わたしたちは、他者から贈与されることでしか、本当に大切なものを手にすることはできない」(p.22)と述べる。
他者からのプレゼントがその価値以上の力を発揮するのは、自分に対す
#157_対面セミナーやります
29日に、関西学院初等部の宗實直樹先生、群馬県の瀬戸山、千葉大附属小の中谷佳子先生と、セミナーを実施いたします。
6月29日(土)13:30~16:50
前橋市東公民館 第一会議室
参加費2500円(講師の交通費に充てさせていただきます。)
13:30~13:40 開会・オープニングセッション
13:40~14:10 瀬戸山先生講座
14:10~15:10 宗實先生講座
15:10~15:20
#155_道徳通信のねらい
勤務校では研修主任と道徳主任を兼任していて、今年度の研修は道徳。
こんなにやりやすい年はないので、今年度は研修通信と称して、道徳通信を発行することにした。
第一号にはこのようなことを書いた。
まだジョブの段階なので、自己開示をしつつ、あまり突出したことは書かないように配慮した。
(やんわりと、小中学校当時の先生方の授業を批判しているのはちょっと失敗したかもしれない、、、。)
続きます。
「
#154_道徳科を学ぶきっかけエピソード
「道徳科の授業っておもんないよなー。」これはわたしが小学校の頃から教師3年目くらいまでもっていた道徳授業観です。
教科教育は学習内容がはっきりしているけれど、道徳科は学習内容が難しくて曖昧。当たり前のこと教えてどうするの?なんて思っていました。
初任の頃(小学校)は「思いやりの授業」と称して、当時流行っていたプロジェクトアドベンチャーのアクティビティやエンカウンターばかりやり、それが管理職にばれ
#153_道徳科における生活と価値の往還とは何か
教科教育と同様、道徳教育でも、生活と価値(学習内容)の往還により、思考が深まる。
これは具体と抽象の往還であると言い換えてもよい。
ここで述べる「価値」とは、誰もが納得する、確かにこれは普遍的原理であるという、人間として生きる上で、また人と共に生活を営む上で欠かせないものである。
一方で、「生活」はわたしたちの日常である。
そしてその生活の中ではよく、価値と価値がぶつかる場面に遭遇する。
例
#151_子どもの学びを支える教師の指導力
子どもは自ら学ぶ存在だ。
昔から、よくそのように言われる。
一方で「這いまわる経験主義」と揶揄されるように、子どもに任せっぱなしでは質の高い学びが保証されるとは言い難い。
そこで大切になってくるのが、子どもの学びを支える教師の指導性である。
新宮弘識氏の論考をもとに考えてみる。
1.授業の実際(1)導入での問い返し
「内村選手はなぜ、世界一美しい体操ができるようになったと思うか。」という問
#150_「Why?」型発問の変化球②
前回に引き続き、具体的場面で「Why?」型発問の変化球について考えてみる。
(1)「When?」も考えやすい
「いつ?」と時を問う発問も比較的答えやすい発問だ。
道徳科で扱う教材のほとんどは、時系列で書かれたもの。
どんなお話だった?と問うよりも、主人公はいつ〇〇したの?等と問う方が、話の内容を追いやすくなる。
一方で、こちらの意図が明確で、やや誘導的になってしまうことは否めない。
子ども自
#149_「Why?」型発問の変化球①
考えやすい問い方変換についての投稿がちょっとだけバズった。
具体的場面で「Why?」型発問の変化球について考えてみたい。
「Why?」以外の「4W」「1H」で問う
(1)一番考えやすいのは「Which?」型
幼い子どもに尋ねるとき、一番答えやすいのは「どっち?」である。
〇✕クイズが盛り上がるのは、どちらか一方を選べばよいという手軽さと、どちらかが必ず正解であるという答えを導き出す敷居の低さ
#147_言葉を編む
日常で使う言葉こそ
細やかに心を配りたい
思いが言葉をつくる
言葉が行動をつくる
行動が生活をつくる
生活が人格をつくる
言葉選びは生き方選び
言葉が人をつくり
言葉が人を成長させる
よき人生を歩むために
よき選択を
心がけたい