#151_子どもの学びを支える教師の指導力

子どもは自ら学ぶ存在だ。
昔から、よくそのように言われる。
一方で「這いまわる経験主義」と揶揄されるように、子どもに任せっぱなしでは質の高い学びが保証されるとは言い難い。

そこで大切になってくるのが、子どもの学びを支える教師の指導性である。

新宮弘識氏の論考をもとに考えてみる。


1.授業の実際

(1)導入での問い返し

「内村選手はなぜ、世界一美しい体操ができるようになったと思うか。」という問いに対し
「毎日努力したから。」
「あきらめないで練習したから。」
等という答え。
特殊性のない答え。一般的な回答。
ここまでは一般的な道徳の授業だ。

しかし
「努力するには何か理由があると思う。」
子どものこのような発言に対し、教師が「努力するにはどのような理由が考えられる?」と問い返す。
「世界一になりたいという夢があった。」
「みんなにすごいと思われたかった。」
「憧れの選手がいて、自分もそうなりたかった。」
等の回答。
努力の根拠を問い返し、具体性を高めることによって、問題意識の喚起と解決意欲の高揚を計る。

(2)展開での問い返し

導入での問い返しで意欲が高揚したところで、教材を読む。
予想とは異なる事象に出会った子どもたち。
「楽しいと思わなければ努力は生まれない。」
「失敗しても楽しいから夢中になれる。」
楽しさが自分自身を高めることに気づいた様子。
ここからどのように、子どもたちの思考を深められるかが一つの肝だ。

ここで教師は、新たな視点を提示した。
「コーチが指導した方がもっと伸びるんじゃないの?」
専門家の指導性があったほうが、自分の力を発揮できるのではないかという問題提起だ。
子どもたちは大いに揺れた。

一方で、このような問題提起をすることによって新たな考えが生まれた。
「自分の考えだけでは100点とはいえない。」
「コーチの考えだけでも100点とはいえない。」
「コーチだけではなく、体操の仲間からアドバイスを受けて、メニューをつくり練習したからではないか。」
子どもたちはこの提案をもとに、自主独立性と他者の指導性とのアウフヘーベンを考え始めた。

(3)終末での問い返し

「今日学んだことは内村選手だけのことだろうか。」
この問いかけにより、子どもたちの学びがより大きく広がった。
「人に教わったことだけでなく、自分なりの考えも入れて努力していけば、自分にもできる。」
「あきらめない心があると、人々が支えてくれる。」

やや具体性に欠ける言葉ではあるが、子どもたちの考えの拡充が見える。

2.教師の指導力を高めるポイント

(1)子どもの意見を瞬時に判断して問い返す

どの反応がその後の内容を発展させるかを見極めて問い返す。
このタクトの力が教師の指導力の是非を問うといってもよいだろう。

今回の導入であれば
「努力するためには何か理由がありそう。」
という子どもの発言の意味を瞬時に察して問い返す技術である。

(2)全員の意思表示を求める

クラスには必ずといっていいほど、発言していない子どもがいる。
その子も活動に参加しやすくするには、手を挙げて自分の意思を示すよう求めることが大切である。

子どもの意見をもとに選択肢を提示する。
その中のどれに自分の考えが近いかを、挙手を通して示すよう促す。
不思議なことに、オープンな問いでは思いつかない自分の考えも、クローズな問いだと「自分の考えはこれではない、違う」ことに気づけるのである。
AやBという選択肢からA'やB'、またはCが生まれるのだ。

(3)子どもたちの意見を比較したり類別したりする

道徳授業の醍醐味ともいえる活動である。
どこが似ていてどこが異なるのか。
発言の意味は何か。
意味づけや価値づけをしながら、子どもたちの発言を一つ一つ吟味していく。

これを授業内ですること自体が難しい。
まさに神業である。

委ね方と指導性

教師の指導はまさに、ヘルバルトの述べるタクトの力である。
いつ振るか、どこで振るかで子どもの姿は如何様にも変わる。
子どもに任せる部分と出る部分を見極めて、子どもの主体性を最大限引き出していきたい。


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