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イギリス最長距離を走る夜行列車の旅 (初めての海外一人旅でイギリスを縦断した-7)

こんにちは。ゲンキです。
イギリス旅行記第7回は夜行列車「カレドニアン・スリーパー」の寝台個室に乗ってロンドンからスコットランドの都市・インヴァネスへ向かいます。

~旅の概要~

鉄道が好きな僕は、鉄道の祖国であるイギリスを旅することにした。「果て」の景色を求めて本土最北端の駅「サーソー(Thurso)」から本土最南端の駅「ペンザンス(Penzance)」を目指す旅である。遠く離れた異国の地で、僕は一体何に出会うのだろうか。(2023年3月実施)

↓第1回をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。



18:25 London Victoria Station

イギリスに来て2日目の夜。ロンドンに夜が訪れ、街並みは煌めき、空の青色は見えないスピードで濃く染まっていく。まもなく始まるビッグイベントに、僕のテンションはかなり高まっていた。

僕は今夜からイギリス最北の鉄道駅、スコットランドのサーソー(Thurso)へ向かう。その道中、何年も前から憧れていた夜行列車「カレドニアン・スリーパー(Caledonian Sleeper)」についに乗ることができるのだ。これが今回のイギリス旅で一番乗りたかった列車と言っても過言ではない。

現在地はイギリス南東方面への玄関口、ヴィクトリア駅。まずは地下鉄に乗ってロンドン・ユーストン駅に向かおう。


19:20 London Euston Station

カレドニアン・スリーパーの始発駅、ロンドン・ユーストン駅に到着。ここには主にリバプール、マンチェスター、グラスゴーなど北西方面への列車が発着している。

ユーストン駅に来る前に昨日泊まったホテルに寄り、今朝から預かってもらっていたメインのバックパックを回収してきた。15kgほどある大きなバックパックを背負い、腹側にも中型のリュックを抱えて一歩一歩地面に重さを落としながら歩く。

中央のコンコース

帰宅ラッシュにさしかかる駅の中はとても混み合っていた。大きな発車標の前ではスーツケースやリュックを抱えた人々が、まるで大学の合格発表を待つ受験生のようにみんな同じ方向をじっと見上げて列車の情報を確かめている。

2基、合計4枚のディスプレイに発着情報が表示される

イギリスでは日本のように毎日同じ列車が決まったホームを使用するわけではなく、発車20分前ぐらいになってホームが決定・案内されることが一般的。僕も周りの旅行者と同じように発車標のモニターを見上げて、これから向かう街の名前である「Inverness (インヴァネス)」の文字を探してみる。

あった。20時15分発、インヴァネス・アバディーン・フォートウィリアム行き。3方面への列車が途中まで併結されて運転されるようだ。とりあえず運休とかじゃなくてよかった。ただ、詳細については「wait(待機中)」と表示されている。乗車まではまだ30分ほどあるし、ちょっと買い出しに行ってこよう。

ユーストン駅は日本でいえば上野駅クラスの主要駅
列車に乗る人、降りる人が行き交う

大きな駅なのでもちろん売店も充実している。コンコースの脇に「WHSmith」という日本でいうNewDaysのような駅コンビニがあり、見てみるとミールディール(メイン・ドリンク・スナックのセット割料金)は4.99ポンド(827円)だった。今日の昼ご飯を買ったスーパーでは3.5ポンドだったので若干高い。うーん…とりあえず一旦セーブ。

駅のホーム側にも売店が並んでいる。その中に一つ気になるお店を見つけた。

The PASTY SHOP

PASTYって何だ??

パスティ?聞いたことのない名前の食べ物である。店頭に並べられているそれらしきものも見ると、こんがり茶色に焼かれた半円形のパイ生地のようだった。大きさはちょうど広げた手のひらより一回りはみ出すぐらい。円形の生地を折り曲げて閉じた部分はロープのようなひだ模様が付いていて、巨大餃子を横にした姿に似ている(巨大餃子って何?)。スイーツではなく、中には肉や野菜が詰められていることが商品名から読み取れた。

あまりに美味そうだったのでこれを買ってしまおうかと思ったが、値段は1000円程度とやや高い。それにこれから食堂車でご飯を食べるつもりなので、そこにパスティを詰め込むと胃袋が限界突破しそうだ。めちゃくちゃ迷った末、今は買うのをやめることにした。まだまだ先は長いから、きっとこれから行くどこかの街でもパスティ屋さんに出会えるだろう。

その後WHSmithでサンドイッチとジュースとポテチを買い、別のコンビニでチョコを購入。いつ食べるかはわからないが、一応非常食として持っておく。


時刻は20時を少し回った頃。発車標を見るとカレドニアン・スリーパーの乗り場は「1番線」と案内されていた。買い物も終わったので、いよいよホームに向かうことにしよう。

1番線は広い駅の一番端っこにあった。もう一度発車標を確かめ、長いスロープを歩いてホームに下りていく。


Caledonian Sleeper

ついに対面、これこそが夜行列車カレドニアン・スリーパーだ。
現在のスコットランドにあたる地域の古い呼び名である「カレドニア」を名に冠し、150年にわたる英国夜行列車の伝統を受け継ぐ由緒正しき列車である。ロンドンを起点に北国スコットランドの5都市(エディンバラ・グラスゴー・アバディーン・インヴァネス・フォートウィリアム)を結んでおり、僕はその中の一つ「インヴァネス(Inverness)行き」の列車に乗車する。このインヴァネス行きは5つの運行路線の中で最も走行距離が長く、およそ800km12時間半にも及ぶ道のりになる。

今夜の移動はまさにイギリス縦断(©OpenStreetMap contributors)

ユーストン駅まで回送を担当した機関車の後ろには、客車の列がずーーーっと向こうの方まで繋げられている。インヴァネス行き・アバディーン行き・フォートウィリアム行きを合わせて18両を超える長大な編成だ。

機関車側面のロゴ。イニシャルのC・Sとスコットランドに生息するアカシカ、列車が結ぶ5つのルートをシカの角が枝分かれする様子に重ねたかっこいいデザイン

深緑色の車体は落ち着きとゴージャスさを感じさせつつも、鹿の角をかたどった銀色の大きなシルエットが現代的なアクセントを添えている。カメラでいろいろ撮っていたからよっぽどのファンだと思われたのか、近くにいたスタッフさんに「記念写真撮ってあげるよ」と言われた。せっかくなので撮ってもらった。

たまには記念写真もいいな


とにかく編成が長い

僕が予約した個室はM号車。ロンドン方(編成後部)からA、B…の順なので、少なくとも13両分ぐらいはまだ奥の方へ進まないといけない。
車両を眺めながらのんびり歩いていると、別のスタッフさんが慌ただしくやってきて「チケットはお持ちですか?」と聞かれた。自分のスマホを取り出し、フリーパスと予約画面などを確認してもらう。確認が取れるとスタッフさんは「M号車は向こうの方だからちょっと急いでね」と言って別のところへ行った。
そうだ、これだけ長い列車なんだから改札業務も大変に違いない。発車間際で迷惑をかけないよう、さっさとM号車まで行って乗り込むことにした。

ホームのかなり端の方まで来た
いよいよ乗車!


車内に入ると、明らかに普通の列車とは異なる空気感。車両の片側に廊下、その反対側に個室が並ぶという構造だ。廊下はとても窮屈で、大荷物を抱えた僕がギリギリ前を向いて歩ける程度の幅しかない。
幸い誰とも鉢合わせることなく自分の個室「M7」に到着。取手を回してゆっくりと扉を開くと…

……おおおおお!!!

もはや日本ではほとんど見ることのできない列車内の2段ベッド。これぞ「寝台個室」と呼ぶべき見事なお部屋だ。今回利用するのは「クラシックルーム」。ベッドには既に清潔な白いシーツが敷かれ、今すぐにでも乗客の体を受け止める準備ができている。窓際には洗面台と鏡とタオルにゴミ箱まで設置してあり、ベッド横のホルダーには水のボトルが2本も備え付けてある。あとで気づいたが、洗面台の下には折りたたみ式のテーブルも収納されていた。

ちなみに今回は外国人向けの鉄道フリーパス「Britrail Pass」(運賃に相当)と、クラシックルームの予約料金を組み合わせて乗車しており、個室予約にかかったお値段はロンドン→インヴァネスで£130(21365円)。今夜はちょっと贅沢な夜になる。

電気と空調のスイッチ・USBポート
コンセント・USB・スタッフ呼び出しボタンなど
洗面台・ゴミ箱・タオル・鏡・テーブル取り出し口

驚くべきはこの部屋が丸ごと時速160kmで「動く」ということ。しかもこの空間は到着まで僕だけの貸し切りだ。小学生の頃に初めて自分の部屋をもらった日を思い出すような、そんなワクワク感が胸を躍らせる。



20:28 Caledonian Sleeper

荷物を整理しながらふと窓の外を見ると、カレドニアン・スリーパーはゆっくりと動き始めていた。約13分遅れで出発したらしい。夜行の旅の始まりだ。

ずらりと並んだホームの向こうに、こちらとは別のカレドニアン・スリーパーの編成が見えた。あれはおそらく日付が変わる頃に出発するエディンバラ・グラスゴー行きの列車だろう。しばらくすると駅を抜け、分岐をゴトゴトと通過しながら緩やかにスピードを上げ始めた。

窓の水滴とロンドンの街灯り

ところで、ベッドには朝食の注文票が置かれている。これに記入してドアの取手に掛けておくと、翌朝アテンダントさんが部屋まで持ってきてくれるらしい。やはりせっかくスコットランドに行くのだから、Scottishと冠が付けられた「Porridge」なる料理を頼むことにしよう。僕はポリッジとやらが何の料理か1ミリも知らないのだが、そうやってギャンブル的に料理を頼むのも旅の醍醐味だ。

そういえば夕食がまだだった。部屋を出て、レストランを兼ねているクラブカーへ向かう。

トイレは車両の端にある
デッキ部分。目的地インヴァネスの気温は7度らしい。寒…


Club Car

何両か移動すると、テーブル席やカウンター席が並ぶクラブカー(Club Car)に到着。他の乗客も集まっていて賑やかな雰囲気だ。とりあえず空いているカウンター席に座る。
どうやらアテンダントさんが自分の席まで注文を聞きに来てくれるシステムのようだ。個室から持ってきたメニュー表を眺めながら何を注文しようか考える。どのメニューもそこそこお高めだが、今日は出し渋ったりしない。この数ヶ月間コンビニバイトで地道に貯めた資金と節約尽くしの毎日は、今この瞬間を楽しむためにあったのだ。いざ散財の時。

Schiehallion Craft Lager

注文して数分後、ドリンクとスナックが届いた。
まず頼んだのはビールとポテトチップス。お酒に関してはあまり詳しくないが、ビールが好きなのでとりあえずラガーを頼んだ。メインの料理が出てくるまでの間、先にポテチをつまみながらビールを頂く。

Machie's Salt & Vinegar Crisps


10分ほどしてメインの料理が運ばれてきた。白いお皿に乗っているのは、スコットランドの伝統料理ハギス(haggis)。茹でた羊の内臓ミンチや玉ねぎ、オートミールなどを羊の胃袋に詰めて茹でるor蒸す料理だ。僕は今回ラガーを頼んでしまったがスコッチウイスキーにもよく合うらしい。心の中でいただきますと感謝し、フォークですくって口に入れる。
スパイスや味付けが効いた肉の味が口の中に広がり、そこにビールを流し込むと今までの様々な苦労が報われるような最高の幸福感に包まれた。陶器のお皿に盛り付けられた熱々の美味しい料理を列車に揺られながら食べるなんて、今やごく一部の限られた観光列車でしかできない体験だ。しかも移動しながらお酒が楽しめる、これが列車旅の素晴らしいところだと思っている。窓の外を右から左へ流れていくロンドン郊外の灯りを眺めながら、ただただ今は幸福に浸る。


…と、列車は突然何もないところで停車した。前の列車との距離が詰まったのだろうか。そう考えていると、どういうわけかロンドンに折り返すように逆向きに走り始めた。何事だ??左から右へ逆再生される車窓をよくわからないまま見ていた。

スマホで地図を確認すると、やっぱり逆方向に戻っている。少し不安になりつつ現在地の表示を見ていると、列車はもうすぐユーストン駅に戻ってしまうという場所から分岐していく別の線路に入った。この線路は普段はあまり使われない短絡線らしい。地図上にはすぐそこに「Camden Town」という地名が。

右に見切れている文字は「CAMDEN MARKET」

あれ、この景色見覚えあるな…と思っているうちに、なんと昨夜下から見上げていた「CAMDEN LOCK」のガード橋を通過した。

昨日ここ来たばっかり!!(詳しくは第4回「ノープランでロンドン観光①」をご覧ください)
ちなみに場所は黄丸のところ(©OpenStreetMap contributors)

列車はゆっくりと東に進み、そのままキングスクロス駅から北に向かって伸びる線路に合流した。
ここで僕はようやく理解した。この経路変更が意味すること、それは今夜のカレドニアン・スリーパーは東海岸本線を経由するということだ。といっても今の説明で理解できる人の方が少数派だと思うので、念のため解説しておこう。


イギリスの鉄道幹線ざっくり図解

ヨーロッパでは路線や方面ごとに異なるターミナル駅が建てられている場合が多い。ロンドンではリバプール・マンチェスター方面の西海岸本線はユーストン駅、ヨーク・ニューキャッスル方面の東海岸本線はキングスクロス駅が始発駅となっている。カレドニアン・スリーパーは通常ユーストン駅から発車して西海岸本線経由でスコットランドへ向かう列車である。

しかし何らかの理由で西海岸本線が不通となっている場合、稀にカレドニアン・スリーパーが東海岸本線経由で運転されることがあるらしい。今日がたまたまその日だったのだ。

というわけで列車は東海岸沿いにスコットランドを目指す。他の乗客もアテンダントさんを呼び止めて「なんで今日こっち経由なの?」と聞いているようだが、僕の英語力が足りず詳しくはわからなかった。西海岸本線は日本でいったら東北新幹線レベルの主要ルートだから、おそらく深夜の保守点検でもやるのだろう。

一騒ぎあったが完食。僕の人生史に残る贅沢な食事だった。ちなみにお会計は£18.8(3193円)でした。

食べ終わったらやる事は決めていた。このクラブカーの車内を描く。僕は写真を撮りつつスケッチもしながら旅している。この夜行列車でも気合を入れて一枚描こうと決めていたのだ。

だんだんと他の乗客が自分の個室に帰っていき、気づけば残っているのは僕一人。照明も減灯されて薄暗くなった。食後の眠気が襲ってきて意識が切れかける。まだ完成は遠い。なんとか耐えて手を動かし続ける。
それでも睡魔に負けそうになっていると、厨房の方から大柄のアテンダントさんがやってきて「うわ、その絵スゲーな!!」と話しかけてきた。食事のお会計に来たらしい。ありがとうと言い、手元の端末にクレジットカードをかざして会計を済ませた。彼のおかげで意識を取り戻した。再び集中して描き込んでいく。

真っ暗な窓の外では今も高速で景色が流れているのだろう。ディナータイムの仕事を終えたアテンダントさんたちが集まってソファに腰掛け、和気あいあいと談笑を始めた。彼らの笑い声と静かに響く線路の音を聞きながら、ゆらゆらと揺られつつ線を描き陰影を塗っていく。「あそこの彼何やってんの?」「クラブカーの絵描いてんだよ」という彼らのやりとりがうっすら聞こえた。よし、この絵が完成したら彼らにも見せてあげよう。



気づいたら1時間以上が過ぎ、もう日付も変わろうとしていた。「完成した!」と僕が言うと、アテンダントさんたちが「ついにか!」と嬉しそうにこちらにやってきた。

スケッチ「Caledonian Sleeper」

絵を見せるやいなや「すげー!!」「上手ーー!!!」「写真撮っていい!?」と大絶賛してくれた。これだけ喜んでもらえるとやっぱり嬉しい。明るい厨房の方に絵を持っていき、スマホでカシャカシャと撮影するアテンダントさんたち。その中の一人が「君の絵は本当にすごい。絶対に続けるべきだよ」と言ってくれた。地球の反対側で初めて会った人に僕の絵を「続けるべきだ」と言ってもらえたことがとても嬉しかった。こちらこそこんな素晴らしい列車に乗れて良かったです、とお礼を言った。

また記念写真撮ってくれた



日付も回った頃、お互いに「おやすみ」と言って僕は個室に戻った。

なめらかな手触りの布団の上にあぐらをかいて歯を磨く。そのまま洗面台で口をすすぐ。ベッドの上にはアメニティセットも置かれている。その中でもアイマスクがめちゃくちゃ気に入った。デザインがかっこいいのはもちろん、しっかり分厚いし遮光も十分、着け心地もバッチリ。これは日本に帰ってからも重宝させてもらおう。

アイマスク・石鹸・耳栓のセット


ベッドに横になる

上を向いて寝転び、布団を被る。体がちょうどベッドにすっぽりと収まって気分が良い。電気を消すと真っ暗になり、横になった体を前後左右にゆすゆすと小さく揺らす震動だけが伝わってくる。夜行列車に乗る時一番好きな瞬間だ。

北へ向かう列車に身を任せ、温かい布団にくるまって眠りについた。











(睡眠中…)















翌朝5時。ふと目が覚めて、時間を確認するとその時間だった。まだ外は暗い。列車は既にスコットランドに入り、首都エディンバラを越えて北へ向かっている。しかし終着駅インヴァネスはまだ遠い。
つまりまだ寝れる。というわけで二度寝しよう。すぐに再び眠りに落ちた。










(二度寝中…)















……実に良い眠りだった。超快眠した上に二度寝までしてしまった。夜行列車で二度寝することがこんなに幸せとは知らなかった。現在時刻は早朝6時過ぎ。列車は小さな駅に数分停車し、その後静かに動き出した。ホームの向こうには枯れ木の森と、その隙間に石造りやレンガ造りの家がちらほら見える。空の明るさを見ると、ちょうど日の出前のようだ。

歯を磨き顔を洗う。しばらく走って空が開けた場所に出ると、東の地平線が黄色く光って今まさに眠たげな世界を起こそうとしているのが見えた。そういえば昨晩とは列車の走る向きが変わっている。ベッドに腰掛けて、後ろから前に流れていく冬のスコットランドの景色を眺めた。

森の中を抜け、列車は丘陵地帯の小さな谷に沿って走っていく。高い木々は少なく枯れ草や低木が地面を覆い、ちらほらと白い雪も積もっている。煙を巻く雲や山の頭に朝日が当たって、鈍い青を背景に柔らかい橙色に染まる。


ふと個室の扉を開けて廊下に出てみると、大きな窓の向こうには今までに見たこともないような不思議な景色が広がっていた。

緩やかな丘、小高い山の連なりが線路沿いにどこまでも続き、その稜線と起伏はどこか砂漠のようでもあった。その地面に雪が積もってまばらに覆い、枯れ草が白地に焦茶色のドット模様をぽつぽつと散らして、より荒涼とした印象を引き立てている。まだ雪をたっぷり抱えていそうな雲が遠くの青空を両手で隠し、雲で反射した朝の光がまだ影の中にある雪もほんのりと暖めていた。

今この列車が走っているイギリス本土の最北部はハイランド地方(Highland)と呼ばれており、こういった手付かずの原風景が多く残されている地域だ。カレドニアン・スリーパーはそのハイランドの中心都市、インヴァネスを目指してまだまだ北へと進む。


7時過ぎ、太陽が地平線近くの山並みから姿を現した。曇りっぽい空だが、晴れと言いたくなるような清々しい光だ。

羊がいっぱいいる


7時半ちょうど、昨晩クラブカーで会ったアテンダントのお姉さんが「Good morning!」と朝食を持ってきてくれた。紙製の手提げカゴに紙カップが2つ入っている。洗面台の下からテーブルを引き出し、そこに置いてもらった。

さて、僕が注文したのは「Scottish Porridge」である(料金£4.5は昨晩クラブカーで支払った)。2つあるカップのうち一つは紅茶、もう一つが「ポリッジ」のようだ。ポリッジって何だろう、響き的に卵料理かな…?などと思いながら蓋を開けると…

……なんやこれ??

米?お湯で溶かしたパン?よくわからないがドロドロしたお粥みたいな謎の料理が入っていた。答え合わせのためにスマホでポリッジと検索してみると、「オートミールをお湯やミルクでお粥にしたもの」と書いてあった。つまりポリッジはイギリス版のお粥ということだ。おそらく欧米朝食の定番であるコーンフレークと同じ括りの食べ物だろう。逆にイギリスの人は日本のお粥を見て「ポリッジみたいだな」とか思うんだろうか。

というかどうやって食べたらいいんだろう。とりあえずスプーンで一杯すくって口に入れてみた。なるほど…いかにも穀物らしい食感、一切刺激のないシンプルで素朴な味。噛めば噛むほど唾液で薄まっていき、何も感じなくなる。うん、不味い。

いや、なんか味付け的なものが欲しいんだが。いくら健康的な朝食とはいえただ無味無臭の穀物をドロドロにして食べるだけなわけないだろ…と思っていたら、カゴの中に入っていた小さなハチミツの瓶を見て閃いた。あっ、これを混ぜるのか。

混ぜてみた

……うーん、なんというか…微妙な感じだ。ハチミツはめっちゃ甘くて美味しいやつ。しかしそのスウィーティーな味わいを大して美味くない何かでわざわざ薄めて食べることに違和感を感じてしまった。
同じくカゴの中にはハチミツ味のオートミールクランチバーも入っていたのだが、完全にそっちの方が美味しかった。同じような材料で作られた同じ味付けのものが二つあったのである。そんでその美味しさに差があるものだから、僕はポリッジを微妙だと思ってしまうようだ。

きっとポリッジにももっと美味しい食べ方があるはずだ。今回は単純に僕の口に合わなかっただけかもしれない。読者の皆さんは僕の食レポなんか気にせず、ちゃんと美味しいポリッジを見つけて食べてほしい。(その後ちゃんと完食しました。)


学校っぽい建物
Aviemore駅

カレドニアン・スリーパーはときどき小さな駅に停まりつつ、雪の積もったハイランドの丘や森を駆けていく。民家は少なく、静けさのある風景は「果て」が近づいていることを感じさせる。

かなり高い橋をゆっくりと渡る車窓は迫力満点だった

ロンドンを出てそろそろ12時間になるが、終点インヴァネス到着までも残り1時間を切った。このまま個室でのんびりするのもいいが、列車を降りる前に昨晩クラブカーで仲良くなったアテンダントさんたちにもう一度会いに行きたい。僕は荷物をまとめ、大きなリュックを背負って一晩お世話になった個室を後にした。

めちゃくちゃ快適だった


8時半過ぎにクラブカーに行くと、昨日のアテンダントさんたちがいて「おはよう!」と挨拶してくれた。他の乗客はおらず、クラブカーに来ている乗客は僕だけだった。みんな自分の部屋で身支度をしつつ旅情に浸っているのだろう。

でも僕はこのクラブカーがすごく気に入った。広々とした空間はとても居心地がよく、窓も個室のものより何倍も大きい。明るい太陽の光が差し込んで、車内はとても爽やかな空気だ。列車は着々と終点インヴァネスに近づいていく。


進行方向右側の窓に入り江の海が見えた。やがて列車は減速しながら内陸の方に入っていき、線路沿いにもだんだんと石造りの建物や煙突が多くなる。ついにインヴァネスの市街地に入ったのだ。

東海岸・アバディーンからの線路が合流

列車はゆっくりと左にカーブしながら速度を落としていく。レンガの車庫や停泊中の車両の横を通り過ぎ、行き止まり式になっている駅の一番端のホームに入線。
午前8時50分、カレドニアン・スリーパーは終点インヴァネス駅に到着した。

列車を降りる前に彼らにもう一度感謝を伝えた。拙い英語で「この列車での時間は絶対に忘れません!」と言うと、彼らも「気をつけて、良い旅を!」と送り出してくれた。カレドニアン・スリーパー、いつかまた乗りに来たい。

Inverness Station

ホームに降り立つと冷たい風が顔に当たる。ドア付近のモニターに映っていた現在の気温は4度。久々に浴びた外の空気は、なんとなくロンドンのものよりも透き通っている気がした。

青空の下、緩くカーブを描いてホームに停車している列車。ロンドンからここまでの道のりは遠く長かったようにも、そうでもなかったようにも感じる。夜行列車は一晩中走り続けるのにいざ着いてしまうとワープしたかのようにあっという間で、時間と距離の感覚を揺さぶってくる不思議な乗り物だ。昨晩までロンドンにいたことが夢だったのではないかとすら思える。

一晩中走り続けた列車はここで一休みし、今晩には再びロンドンへ旅立つ


イギリスに来て3日目の今日、僕はこの旅一つ目の目的地であるイギリス最北の鉄道駅・サーソー(Thurso)を目指す。なんと早いことに、あと1本だけ列車に乗ればもうサーソーに行ける場所までやってきた。といっても片道4時間ほどかかるので、まだ近いとは言い難い。

その前に、まずはこのインヴァネスを観光していこう。この街にはとある有名な湖があり、そこには恐竜に似た未確認生物が潜んでいるとされる。そう、誰でも名前を知っている「あの」伝説の生き物だ。今からそいつを探しに行く。もしかしたら僕が「そいつ」を発見してしまうかも……なんて妄想しつつ、駅の改札に向かって歩いて行った。


つづく




というわけで、イギリス旅行記第7回は以上になります。

実は今月初旬、ついに僕もコロナに感染してぶっ倒れておりました。インフルエンザの酷い版みたいな高熱と倦怠感が数日続き、発症から回復まで丸々1週間もかかってしまいました。しかしそのおかげで大量に暇な時間ができ、その時間を使って半年前から視聴が止まっていたアニメを一気見できたのは良い消化の機会になりました。ともかく無事に治ってよかったです。皆さんも引き続きお気をつけください。

次回は湖の街「インヴァネス」観光編をお届けします。あの未確認生物を探しに行ったり、街中をいろいろ散歩したりします。お楽しみに。

こいつは…!?


それでは今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!


↓第8回はこちら



↓カレドニアン・スリーパー 公式サイト


(当記事で使用した地図画像は、OpenStreetMapより引用しております)

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