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13.病気の女には仕事も出産も子育てもすべて「高望み」?(谷田朋美)|私たちのとうびょうき:死んでいないので生きていかざるをえない
「寿退社」した夫 大皿に盛られたイカスミパスタと思いきや長い髪の束を大量に喉に突っ込まれて、もうこれ以上は無理、と思ったところで目が覚めました。午前4時。いや、目が覚めたところからが本当の地獄でした。甘酸っぱい胃液が上ってくるのと熱い便が下ってくるのとを同時に感じてトイレに駆け込みます。頭痛と吐き気と下痢と呼吸困難とほかにもありとあらゆる症状の治療法はないし薬も効かないし、1日で終わるのか半年以上続くのかさっぱり分からないけれど、とりあえず私にできるのは便器にまたがってひた
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第2回 視覚障害のある教員として、小学生が社会に出る基礎を築く~片平考美さん~【後編】|マイノリティのハローワーク|現代書館
小学生から始まるキャリア教育 片平さんによると、障害の有無を問わず、キャリア教育は小学生から始まっています。クラスの仕事としての係活動に始まり、家のお手伝い、調べ学習を通し、働くことを考えていくのです。小学校高学年になると、将来の夢を見つけられるよう、授業を組み立てていきます。中高生になれば、内容はより現実的になり、給与明細を見て学ぶこともあります。 視覚障害のある小学生も仕事をする人について調べる学習をしています。「『13歳のハローワーク』(村上龍著、幻冬舎、2003年
第2回 視覚障害のある教員として、小学生が社会に出る基礎を築く~片平考美さん~【前編】|マイノリティのハローワーク|現代書館
片平考美(かたひら・ちかみ)さんプロフィール 視覚特別支援学校教員、日本視覚障害者団体連合(日視連)(注1)青年協議会(注2)会長。生まれつきの神経異形成症(注3)のほか、左目の緑内障(注4)、右目の白内障(注5)など眼疾患が重なり、元々ロービジョン(注6)であったが、小学1年生のときに左目を失明する。7回の眼の手術を経て、現在は左目失明、右目は視力0.4程度、夜盲(注7)もある状態。そのため、慣れない道や夜は白杖(注8)を使用する。 「みんなと同じでいたかった」小学校時
11.ローマのヴァッカーリ特別小学校:フルインクルーシブ教育のイタリアに残された特別学校|フルインクルーシブ教育の現場を訪ねて~イタリア・ボローニャ滞在記~|大内紀彦
2023年の春から始まったイタリア滞在だったが、クリスマスをトスカーナ州にある海辺の町ヴィアレッジョの友人宅で祝い、年の瀬をアパートのあるボローニャで慌ただしく過ごすうち、あっという間に新たな年が巡って来ていることに気づいた。年明けの1月の半ばには、今回の滞在では初めてミラノを訪れた。日本からやってきたイタリアの教育や福祉についての調査グループに便乗するかたちで、2泊3日の調査旅行に出かけたのだった。そして1月の末にはふたたびローマに向かった。いささか個人的な感慨を交えていえ
10.地域の専門機関が果たす役割:ボローニャのカヴァッツァ盲人施設が担う機能|フルインクルーシブ教育の現場を訪ねて~イタリア・ボローニャ滞在記~|大内紀彦
ボローニャの街の中央には有名なマッジョーレ広場があり、そこからわずかな距離にはこの街のシンボルとなっている2本の斜塔アジネッリとガリセンダが聳えている。この斜塔の足もとからは、旧市街を囲んでいる城門にむかって放射線状に主要な道路が何本も延びているが、そのうちの1本がカスティリオーネ通りである。斜塔を背にしてこの通りを南に20分ほど進むと、突き当りには城門の一つカスティリオーネ門が見えてくる。その少し手前にあってひときわ人目を引くオレンジ色の外壁の建築物、それがフランチェスコ・