11.ローマのヴァッカーリ特別小学校:フルインクルーシブ教育のイタリアに残された特別学校|フルインクルーシブ教育の現場を訪ねて~イタリア・ボローニャ滞在記~|大内紀彦
2023年の春から始まったイタリア滞在だったが、クリスマスをトスカーナ州にある海辺の町ヴィアレッジョの友人宅で祝い、年の瀬をアパートのあるボローニャで慌ただしく過ごすうち、あっという間に新たな年が巡って来ていることに気づいた。年明けの1月の半ばには、今回の滞在では初めてミラノを訪れた。日本からやってきたイタリアの教育や福祉についての調査グループに便乗するかたちで、2泊3日の調査旅行に出かけたのだった。そして1月の末にはふたたびローマに向かった。いささか個人的な感慨を交えていえば、今回の滞在を終えてしまったら、世界にも比類のないこの魅力的な都市に、またしばらくは足を踏み入れることはないだろう、そんな一抹の寂しさを抱きながらローマの街を訪れたのだった。
フルインクルーシブ教育の国に残された「特別学校」
今回のローマ滞在の最大の目的はヴァッカーリ特別小学校をじっくり視察することだった。国内全土で原則としてフルインクルーシブの教育を実践しているイタリアでは、公表されている統計データによれば、障害のある子どもたちの約99.7パーセントが地域の通常の学校で学んでいる。その残りの1パーセントに満たない子どもたちが通っているのが、例外的に現在でもイタリアに残されているこの特別学校なのである(注1)。
イタリアの特別学校のうち盲学校と聾学校については、イタリア教育省のサイトで一部の学校名のリストが公開されている。そのリストでは、北はミラノから南はナポリ、そしてシチリア島にいたるまで、イタリアには少なくとも18校の盲学校や聾学校があることが開示されている(注2)。それ以外の学校はというと、つまり日本の教育制度に沿っていうなら知的障害児や肢体不自由児の学校に相当するものだが、正確なデータは公表されていないものの、ミラノのあるロンバルディア州を中心に全国に数十校程度の特別学校があると言われている。そうしたなか、今回のローマ滞在中に訪問できたのが、市内中心部にあるヴァッカーリ特別小学校だった。
バチカン市国があるテヴェレ川左岸に位置するヴァッカーリ特別小学校は、2校の幼稚園、2校の小学校、1校の中学校から成る学校群「クラウディオ・アッバード」に所属する学校である(注3;イタリアの学校群制度については連載の第7回を参照)。今回の調査では、生徒たちがスクールバスで登校してくる朝8時半から下校時間となる15時半まで、彼らの丸一日の活動に密着することができた。この学校での調査の最大の関心ごとはというと、ひとえに「半世紀も前にフルインクルーシブの教育に舵を切ったはずのイタリアにおいて、なぜ現在でも特別学校が存在し続けているのか」という問いに対する自分なりの納得のゆく解答を見つけだすことにあった。
ローマの特別学校の雰囲気は……
ヴァッカーリ特別小学校において、ぼくを受けいれてくれたのは第2グループと称されるクラスだった。この学校では、クラスは年齢別には編成されておらず、第2グループには8~15歳までの生徒6名が所属していた。学校区分としては「小学校」に分類されるこの特別学校は、イタリアの教育制度にしたがえば本来であれば6~11歳までの生徒が在籍するはずである。しかし「同一の学習到達度(学習経験)を保障する」という観点から、イタリアでは現在でも実施されている「留年」制度を流用することにより、義務教育期間にあたる6~16歳までの生徒がこの学校に籍を置いているということだった。この学校には年齢混合のクラスが合わせて5クラスあり、各クラスには生徒がそれぞれ6名在籍しているので、学校全体でみると在校生は30名という学校だった。ローマのこの特別学校に通う子どもたちの多くには重度の心身障害があり、その大半が車いすで日常生活を送っている。したがって、ローマの特別学校の雰囲気はどうかというと、ちょうど日本の肢体不自由児の支援学校の様子を想像してもらえると良いだろう。
次にヴァッカーリ特別小学校の施設としての特徴を紹介しておこう。ヴァッカーリ特別小学校が入っているのは、半地下から4階まである建造物の2階部分だった。同じ建物の半地下には食堂や体育館、1階には事務所や図書館や大会議室、2階部分にはヴァッカーリ特別小学校とともに同じ学校群に所属する幼稚園(特別学校ではない通常の幼稚園)、3階部分には医師の診察室、病室、居住スペース、そして最上階にあたる4階部分には院長室、事務室、診察室、セラピー室(言語療法、理学療法)などが入っていた。イタリアに残されている特別学校は、そのほとんどがこのような小規模の学校であり、それに加えて医療施設やリハビリセンターが併設されているケースが多いとされ、このローマの特別学校はまさにその典型的な学校だといえた。
学校と医療の垣根を越えた教育・支援活動
視察当日の1月29日(月)、授業の始まる8時半に教室を訪れてみると、クラスに在籍する6名のうち4名の生徒が登校してきていた。車いすで生活している重症心身障害の生徒3名と、言葉での簡単なやり取りが可能な自閉症の生徒1名とだった。下の時間割表に示されているように、第2グループには支援教師2名とアシスタント(ローマではOEPACと呼ばれる)2名が配置されていた。ちなみにローマの特別学校で働く教師は全員が支援教師である。そして生徒のADL(日常生活動作)を含めた自律とコミュニケーションを主にサポートするアシスタントたちは、学校の外部の機関である社会的協同組合「AISS」から派遣されていた。
イタリアでは特別学校の在校生は、基本的には障害が認定されている生徒ということになる。教室に掲示された時間割表に目を向けると、各生徒が週のどの時間帯にセラピー(言語療法や理学療法など)を受けるかが記されていた。その掲示物によると、すべての生徒が週に2~4回セラピーを受けることになっていた。クラスの担任に聞いてみると、週のなかでクラスメイト全員が教室にそろう時間帯はそれほど多くはないということだった。したがってクラスで行われる授業は、時間割表では大まかには決められているものの、曜日あるいは時間帯ごとに、クラスにいる生徒のメンバーや彼らの様子を見ながら柔軟に対応しているということだった。
生徒が登校してからしばらく彼らの活動の様子を観察していたが、クラスにいる生徒4名に対して、支援教師2名とアシスタント2名という、いわばマンツーマンの指導体制のなかで、生徒が個別に活動している場面が多く見受けられた。水分補給をしたり軽食をとったりする生徒、感覚遊びを続ける生徒がいて、そして発語があり簡単なやり取りができる生徒に対しては、タブレットにはいっているアプリを使って英単語を声に出して発音させたり、英単語とそれに該当するイラストを一致させたりする活動が行われていたりした。しばらくするとクラスにいる生徒たちが輪になって並び、輪のなかに腰掛けた支援教師の一人が、絵本の読み聞かせをしたり、みんなで音楽をかけて楽器を鳴らしたり、リズムに合わせて体を揺らしたりといった活動がはじまった。
10時くらいになるとセラピーの時間が始まるということで、生徒の一人が支援教師に付き添われて同じ建物の4階にあるセラピー室に出かけていった。また11時くらいになると言語療法士がクラスの授業を訪れて、生徒一人ひとりの様子を確認したり、担任といろいろ相談を交わしたりする場面もあった。上述したように、ヴァッカーリ特別小学校の建物には医療施設やリハビリセンターもはいっているが、これらの施設は一般の人々も利用する施設で、特別小学校とは別の機関ということになる。とはいえ、現実には学校の活動時間中に生徒たちが同じ館内の4階にあるリハビリセンターを訪れたり、あるいはそれとは逆に言語療法士が特別小学校を訪問し授業に顔をだして生徒の様子を確認したりアドバイスをしたりするなど、学校と医療施設は異なる機関という垣根を越えて、たえず横断的な教育・支援活動を展開していることがわかる。
イタリアでは障害が認定されると、対象生徒の支援のための教育・医療・福祉分野にまたがる専門職チームが組織されるが、生徒の所属先が通常の学校であれ特別学校であれ、様々なセラピー(言語療法士や理学療法士など)や心理士などの専門技能が活用されるケースが多々ある。重症心身障害の場合はなおさらだが、教育と医療福祉分野の専門職との連携は欠かすことができない。その際、同じ館内や隣接した場所に医療施設やリハビリセンターが設置されていることの多い特別学校のような機関は、ケアが必要な生徒のサポートという面で大きなメリットがある。その一方で、通常学校に通学する障害のある生徒が、校外にある医療施設やリハビリセンターを活用するとなると、移動に関する問題をはじめとして、本人や保護者にとって心身ともに大きな負担となることだろうと思われた。
医療的ケアへの対応
12時を過ぎると、クラスの生徒みんなで半地下にある食堂へ移動して給食となった。その際に校外の機関である地域保健機構(AUSLまたはASL)から、一人の看護師が派遣されてきた。イタリアの学校現場で活動する専門職には、①教師、②教育士、③アシスタントという3種の専門職があるが、イタリアでは原則としてそのいずれもが、服薬の補助も含めていかなる医療的ケアも行えないことになっている。日本の特別支援学校では、服薬の補助は無論のこと肢体不自由児の学校などでは看護師等の指導の下、教師が一部の医療的ケアを代替する場合さえあるが、イタリアでは(緊急時の対応という場合を除いて)その一切が原則として禁止されている。そこで、この特別小学校では、昼食の時間帯になると服薬の補助を主な目的として、外部から看護師が派遣されてくることになっているのである。
ローマのこのヴァッカーリ特別学校を視察した際、同校に在籍する生徒のなかには医療的ケア(胃ろう)を必要とする生徒がいると教えられた。教師、教育士、アシスタントのいずれもが医療的ケアに携わることができないとなると、この特別学校には外部の機関から医療従事者が派遣されているのであろう。その一方で、イタリアの通常学校ではこうした医療的ケア児への対応は必ずしも標準的な措置になってはいない。特別学校が希望されるのは、医療機関との緊密な連携が理由になっている場合が多々あるのだろう。日々、定時に巡回にやってくる看護師がいること、そして異なる機関であるとはいえ同じ館内に医療や福祉の専門職が勤務しているということは、生徒本人や保護者にとって大きな安心材料となっているはずである。ローマの特別学校を視察して実感できたのは、生徒6名に対して支援教師2名アシスタント2名が配置されているという教育・支援体制の手厚さ、言語療法や理学療法といったセラピーを受けるためのアクセスの良さ、そして服薬を含めた医療的ケアを受けるための看護師等の配置といった十全なシステムの整備そのものだった。
半世紀もまえにフルインクルーシブの教育に方向を転換したはずのイタリアで、現在でも一定数の特別学校が残されており、障害のある当事者や保護者から今でもこうした学校が選択されているという現実は、一方で通常の学校における重度の心身障害のある生徒たちへの教育的配慮の不足、そして支援体制の不備や不徹底さを表しているとも言えるだろう。イタリアの教育が文字通りの「フルインクルージョン」の教育と言いうるためには今後どのような学校改革が必要なのか、(その改革はもちろん、通常の学校を改革し特別学校の数をさらに減らしていく方向性で進められることになるはずである)イタリアの教育に突き付けられた大きな課題の一つと言えるだろう。
特別学校でも共有される「インクルージョンの原則」
最後に触れておきたいのが、ローマの特別学校にも共有されている「インクルージョンの原則」についてである。先にも記したようにこのヴァッカーリ特別学校は、学校群「クラウディオ・アッバード」を形成する学校の一つである。今回の視察中に聞き取り調査を行ったかぎりでも、同じ学校群に属する学校で、同じ建物の館内にあるヴァッカーリ幼稚園、そして徒歩で特別学校から10分の距離にあるピステッリ小学校(連載の第7回を参照)などとは様々な交流活動が実施されており、今後の交流も考えられてもいるということだった。同じ建物内の同じフロアーにあるヴァッカーリ幼稚園とヴァッカーリ特別小学校は、生徒も教員も日頃から挨拶を交わす関係にあり、生徒のなかには同じフロアーにある幼稚園から特別小学校に進学する者もいるということだった。また具体的な交流活動の成果として、生徒たちの「手形」で作った手形アートの作品が廊下に掲示されていることを教えられた。ピステッリ小学校の生徒たちがヴァッカーリ特別小学校を訪れて共同制作した作品だということだった。
また今回受けいれてもらった第2グループのクラスに在籍している自閉症の生徒については、保護者の意向によりヴァッカーリ特別学校に入学してきたが、通常の学校で健常の子どもたちと一緒に学校生活を送る方が望ましいため、担任としては転校を促してく考えであるということも教えられた。特別学校という学校は存在していても、あくまでもインクルージョンが原則であり、特別学校はイタリアの通常学校の指導体制や制度的な不備を補完する場としてあくまでも補助的な役割として存在しているというのが一人の担任の位置づけだった。