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11.「夜討ち朝駆けできない記者」だからこそ|私たちのとうびょうき:死んでいないので生きていかざるをえない

「私たちのとうびょうき」は、弁護士・青木志帆さんと新聞記者・谷田朋美さんによる往復ウェブ連載。慢性疾患と共に生きる二人が、生きづらさを言葉に紡いでいきます。今回は、谷田朋美さんの担当回です。


10月末ごろから3カ月ほど体調を崩しており、青木さんには連続で執筆いただいて助かりました。この間の「とうびょう」についてはひとまず置くとして、布団の上で「3月のライオン」を読み返し、感想を共有したくてうずうずしているので、まずはその話から。体調を崩しても、漫画だけは読めたのですよねぇ。
 
この漫画は、多様な棋士たちが登場することが魅力のひとつですよね。老いで体に痛みを感じている最高齢の棋士が、好きですねぇ。長年支援してくれている人たちの思いがちょっと重くなってきているのですが、対局で負けを覚悟した瞬間、それらの人びとが追いすがってくるような幻覚?にとらわれ、最後は粘り勝ちするのでした。ほとんど呪いだと思いましたが、「しがらみ」もまた、関係性が生むひとつの力といえるのですね。それぞれの棋士の個別の物語を読みながら、彼らは「勝つ」のではなく、あらゆる手持ちのものを力として「負けない」でいる人たちなのだ、と気づかされるのでした。
盤上での勝敗は明快ながら、「3月のライオン」で描かれているのは、勝つことと負けることのあわいであり、だからこそ、青木さんも私も、そこに自身の来し方行く末を投影することができるのでしょう。
 

難病患者一人ひとりがフロンティアを生きている

さて、青木さんは、企業などの採用試験において、病気を明らかにした瞬間に、個々の背景や能力が省みられることなく、一律に「排除」されてしまう現実について指摘していました。実際、当事者や研究者でつくる「難病者の社会参加を考える研究会」が実施したアンケート調査によると、8割近くが「疾患を理由に不採用になったと感じたことがある」と答え、約6割が「就職活動や就労中に差別を感じた経験がある」と回答しているのですよね。国は従業員数が一定数以上の企業に対し、障害者などを雇用することを法律で義務付けていますが、障害者手帳を持っていない難病患者は対象外。難病患者の多くが事実上、能力を発揮し、活躍したり失敗したりするチャンスを得られずにいます。私たちがこの社会で尊重されて生きたいと願えば、まずは「能力がない」という仕方で「排除」されないために闘うことからはじめるしかない状況があるのでした。

考えてみると、私が子どもの頃に一番知りたかった情報は、学齢期に患った人はどうやって仕事を得て、働いているのか、ということでした。働けないと考えることがどれほど不安だったか。もし、現役で働いている人がいると知っていたらどんなに気が楽になっていたか。それこそ、二階堂のモデルとなった村山聖棋士以外に「活躍している」人を知らないのですから。社会の「難病患者は働けない」という偏見によって、現役社員が公に経験を語ることが極めて困難な状況があることを今は痛感していますが、働く姿が見えないことで、社会からいないことにもされてきましたよね。働くモデルなり働くガイドがほしいと痛切に求めてきた一方、ひとりひとりがフロンティアを生きているのであり、個別でしか語り得ないという実感もあります。なので、参考になるかどうかは分からないけれども、ひとまず、私の働いてきた経験を振り返ってみたいと思います。

「病気でも書くことは続けられる」と新聞記者に

青木さんは就職試験で排除されないためのひとつの「戦略」として「病気を打ち明けない」ことをあげています。私自身、病気を黙っていることで新聞社に入社しました。ただ、当時の私には、「戦略」ということばが少し馴染まない感じもあるのです。「先を見据えて行動を選択し賢く立ち回る」といったニュアンスをそこに感じ取ってしまうからかもしれません。

実際のところ、当時の私がどれくらい刹那的に生きていたかというと、大学4年の10月にインドネシア留学から帰国し、「そろそろ進路について考えないとまずいよなぁ」と大学の就職相談窓口に行ったら、職員の方に「来年度の企業採用試験はほぼ全て終わっています」と言われ、初めて「就職活動って1年以上前からしなきゃいけなかったの?」と気づいたくらいです。ただでさえ就職氷河期末期、「難病」で「女性」という不利な立場しか持ち合わせていないのに、「新卒」という自動的に与えられる身分さえ失いつつありました。

病気なので先のことは考えても分からない、と思っていたところはありましたが、いきなり「万事休す」の事態に陥ってしまったのでした。呆然とキャンパスをうろついていたところ、「進路は決まったのか」と痛いところをつく呼び声が……。振り返ると、一度だけ授業を取ったことのある教授が立っていました。大手テレビ局で海外報道に長く携わってきたジャーナリストの方でした。「いやあ先生、あと半年で卒業なのに一寸先は闇ですよ」と半泣きで言うと、「谷田さんは新聞記者になれると思います。(就職試験対策のための)作文指導なら、しますよ」とおっしゃるのです。まるでドラマのシナリオのような展開に、思わず「あ、じゃあ新聞記者になることにします」と返事をしていました。適当か!?と言われそうですが、先生の確信的な物言いと、私と先生とを引き合わせた謎の力に背中を押されたのでした。何かよく分からないけれど、この流れには乗っておいたほうがよいのでは、と。

先生によれば、大学2年時に大手新聞社でインターンシップした際に書いた報告レポートを読み、「新聞記者に向いている」とちらっと谷田の名を覚えてくださっていたようです。言われてみれば、病気であっても書くことならば続けられるのではないかと思いました。何しろ、親に漫画を買ってもらえない幼少期を過ごしたため、中学生になるとさまざまな雑誌に文章を投稿して図書券を稼いでは、漫画につぎ込む生活を送っていました。当時、発行部数でギネス記録を打ち立てた漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」のいじめ問題特集で、2ページにわたり文章が取り上げられ、編集者から「たくさんの投稿の中で、あなたの文章が光っていた」と言ってもらえたことは子ども時代の支えでしたね。まあ、親はかなり嫌がっていましたが。

会社の戦力=夜討ち朝駆けできるかどうか

そんなわけで新聞記者の道に進んだ私。いよいよ二階堂晴信に連なるような、華々しい活躍についてお話したい……ところなのですが、そんなエピソードがひとつもありません。青木さんの「この(就職面接時に病気を打ち明けない)戦略は、いずれ配慮を受けられればきちんと戦力として働けることが前提」ということばに今、「まじか……」とちょっと冷や汗をかいているくらいです。だいたい、昨年末に体調を崩し、人生2度目の制限勤務(8時間→5時間)を2週間取得したばかり。「『戦力』とはなんぞや」「私って『戦力』って思われているのか」と自問していました。なかなかクビを切れない「正社員」という特権的な身分を与えられたことで「守られてきた」感覚はあるものの、「能力もないのに会社に依存していてすみません」と卑屈に生きてきたのが正直なところなのでした

しかし、この「戦力」になれていない感って一体どこからくるのだろう、と改めて考えてみると、早朝や深夜に政治家や刑事を訪ねて情報を得る「夜討ち朝駆け」ができなかった、というところに行き着くのですよね。
 
新聞を開きますと、記事の内容そのものだけでなく、扱いの大きさで価値判断を伝えていることが分かっていただけるでしょう。その日の1面トップを占める政治や刑事事件に関する記事は、記者たちが日夜他社と競争しながら「夜討ち朝駆け」を繰り広げて取ってきたものがほとんどです。そのため、新人記者は地方支局で刑事事件を取材することからキャリアをスタートし、「夜討ち朝駆け」によって他社に先駆けて特ダネをものにできるかで、記者としてやっていけるかどうかを試されるのです。

実をいうと、私は「夜討ち朝駆け」をほぼ経験していません。職場に「体力的に厳しい」と相談したことはありませんが、「夜討ち朝駆け」はその名の通り「24時間働けますか」に近い働き方を求められるため、「調子を崩しやすい谷田には難しいだろう」と「配慮」されたのだと思います。

いわば、記者養成のメインコース(地方支局で警察や行政を担当→本社政治部や社会部で実績を積む→デスクや部長に昇進)から早々にドロップアウトしたのでした。現在は営業部署で広告に関連する原稿を執筆していますが、「夜討ち朝駆け」もできなかった自分が「新聞記者」と名乗ることはおこがましいよなぁと感じてきたのです。

ただ、この連載を書きながら、改めて実感したことがあります。私にとって社会の問題は、 いつも日々の生活の中にあったということ。周囲の大人たちから被爆体験を聞いて育ち、高校時代は障害のある人たちの自立生活運動、大学時代はインドネシアからの分離独立を求める東ティモールや西パプアの人たちの運動に触れたのでした。「弱者」と名指されてきた人たちが、その「弱さ」のままに「弱者」としてではなく生きていけること、自分の足元から政治や社会を問うことをずっと教えられてきた私が、そのことを忘れ、言うなれば、能力主義ならぬ「夜討ち朝駆け」至上主義を内面化してしまっていたのですね。

「周縁」にいるからこそできることがある

ここまできて、書いたことをひっくり返すようですが、最近は会社組織の「落ちこぼれ」の立場から見えるもの、できることが、とても重要だな、と考えるようになっています。何しろキャリアのモデルがないので、社内外のいろんな人に「この先、一体どうやって生きていけばよいのやら」と相談するようになっていました。すると、思いもかけないところから「一緒に面白いことしようよ」と誘っていただくことがあるのですよね。この「とうびょうき」がその代表です。「夜討ち朝駆け」といった軍事用語に象徴される、厳しい環境で訓練され強く鍛えられていくという価値観ではないところで、社内外に「弱くある」私を面白がってくれる人もいてくださるらしい、と気づかされ、力をもらっています。むしろ、社内の常識やルールに囚われにくい「周縁」にいるからこそ、社内外の人たちとゆるくつながり、社内で育んだものも生かしながら、まったく新しいことができるのですね。

谷田朋美(たにだ・ともみ)……新聞記者。1981年生まれ。15歳の頃より、頭痛や倦怠感、めまい、呼吸困難感などの症状が24時間365日続いている。2005年、新聞社入社。主に難病や障害をテーマに記事を執筆してきた。ヨガ歴20年で、恐竜と漫画が大好き。立命館大学生存学研究所客員研究員。


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