“戦争”と呼ぶことも許されずに2年――『俳句が伝える戦時下のロシア』一部公開。
2022年2月24日にロシアがウクライナへ軍事侵攻してから2年が経ちました。当初は「すぐ終わる」という声が聞かれましたが、いまでも「戦争」は終わっていません。
本書のもとになったのは、ETV特集「戦禍の中のHAIKU」。
番組では収録できなかった人たちのインタビューも含め、ロシアで暮らす人たちによって詠まれた俳句とインタビューを『俳句が伝える戦時下のロシア』としてまとめました。
かれらは、この軍事侵攻を「戦争」と呼ぶことすら許されていません。
戦争反対!絶対反対!の気持ちを胸に、モスクワに暮らすナタリアさん(仮名)の俳句とインタビューを一部公開します。
戦争があっても続く「子ども時代」
命満つ
弾痕の隅
少年は弾筒で遊ぶ
これは、もちろん、ウクライナでの出来事を詠んだ句です。
私は戦闘員ではありません。でも私は、できることはすべてしなければならないと思っています。たとえば反戦の俳句を詠んで、自分の意見を反映させなければならないと思っています。なぜなら、戦争というものは常に政治によって実行されていますが、苦しんでいるのは、なぜ、どうしてそうなっているのかがわからない、普通の市民だからです。かれらはただ苦しむだけでなく、命を落としています。これはとても恐ろしいことです。
Q—弾痕の隅にいる子どもたちを、あなたはどこかで見ましたか? それとも想像しましたか?
ニュースで見ました。……子どもたちは、これが恐ろしいことだということを理解していません。弾痕があり、そこに子どもたちがやってきて、かれらはさっきまでここに平らな地面があったのに、砲弾が落ちたということを理解していません。そしてかれらはその弾筒で遊んでいるのです。子どもたちは戦争というものがどれほどの恐怖と痛みをもたらすかわかっていないので、まだ恐ろしいものではないのです。
どんな状況下でも、あらゆる子どもたちの「子ども時代」は続いています。一番恐ろしいのは、子どもたちがこうして座って遊んでいることです。子どもたちというのは私たちの未来です。この弾痕や弾筒はそもそもあってはなりません。ですが、現実はそうなっているのです。
Q—特別軍事作戦のことを最初、どうやって知りましたか?
今年[二〇二二年]の二月二十四日です。プーチン大統領がラジオやテレビで宣言したときです。
Q—当時の最初の気持ちは?
理解できないというものでした。それは一体なんなのか、全然わかりませんでした。なぜなら、ウクライナは私たちとは血のつながった民族で、そもそも身内で、ウクライナの半分が私たちの親戚だといつも考えられていましたから。
Q—あなたのご親戚もウクライナにいますか?
私にはいません。でも、私の身近には、近い親戚がいるという人たちがたくさんいます。
Q—ウクライナに知り合いはいますか?
知り合いの知り合いがいます。知り合いの親戚、友人の知り合いや友人はいて、何がどうなっているかを話してくれました。これは重いテーマです!
Q—重いテーマなので答えにくかったらいいですよ。
いいえ、お答えします。
国境の列
避難の少女に
サボテンの鉢
Q—この光景をどこかでご覧になりましたか?
これは半分想像です。というのも、国境に列ができているのを私たちは知っていますが、この句のポイントは、彼女がおもちゃではなく、サボテンの植木鉢を持ってきたということです。
サボテンにはとげがあります。抵抗者であり、とげがあるので撫でられない、つまり、この少女は不服従の象徴です。彼女が本や鉛筆、おもちゃではなく、サボテンの鉢植えを持ってきたということは、子どもさえもあそこでまったく壊れなかったということを意味しています。
Q—サボテンは彼女の意思の象徴ということですか?
はい、彼女の意思です。でも、彼女だけの意思ではなく、そもそも人びとはあきらめていませんし、子どもたちもあきらめていないということを象徴しています。……たとえば、ゼラニウムや家庭用の花の植木鉢ではなく、サボテンの植木鉢なのです。
彼女は自分の意見を持っていて、自分の立場があるということです。
戦争か平和か、トルストイの問い
不整脈
『戦争と平和』
中頁開く
頻脈というのがあります。脈拍が増えるのが頻脈です。不整脈は、心臓に異常があることです。
『戦争と平和』というのは、私たちの偉大な作家、レフ・トルストイの長編小説です。大作で、とても大きな哲学的意味がこめられています。その中頁が開かれているというのは、何が起きるかわからないこと、つまりこれもまたウクライナでの出来事を指していて、未来が天秤にかけられています。この先どちらに傾くかわかりません。
まるで不整脈のように、戦争が起きていて、天秤がさらなる戦争か、それとも平和かのどちらかに頻繁に傾きます。心臓そのものが異常を起こしているのです。ですので、こういう俳句になりました。
Q—いまのご自分の気持ちなのですね。
そうですね。『戦争と平和』の中にも、これに関連した問いがとてもたくさんあるからです。とても偉大な作品で、全世界で知られています。そして天秤は、この先も人が殺されるのか、それともとにかく休戦になってこれを平和に導くなんらかの方法を見つけられるのか、どちらかに傾きます。
今後もこれが長引けば、戦争という皿のほうが重くなります。現在は、中ほどが開いてあり、戦争がより重くなるのか、平和が重くなるのか、わかりません。だから『戦争と平和』なのです。これでわかってもらえるといいなと思います。
何が起きているのか、知っている
不眠症
すべて一つの
雫の音
Q—これも同じく、あなたの気持ちが反映されているのでしょうか?
ええ。とてもつらい気持ちです。
Q—あなたは不眠症になったのですか?
はい。これについて何かを見たり聞いたりしはじめたとき、聞けば聞くほどこれに引き込まれていきましたから……。
私の娘は心理療法士なんです。私は娘の本を読み、娘と話をしました。彼女が言うには、私が陥っているのは、情報を吸収するよくない掃除機のようなものだそうです。これが私を引き寄せて、私はその中で煮込まれ、そこにますます引き込まれていくようになります。そうすると、私の中には恐怖が形成されていきます。テレビを見るのをやめて、ラジオのニュースを聞くのをやめなければなりません。せめて一時的にでも、恐ろしい出来事から離れてみるべきです。そうでなければ、これは私を引き込んでいきますし、そうなったらもうおしまいです。
多くの人びとは自分の尺度で暮らしています。こういう俗世の心配事や普通の生活は、実は正しいのです。ウクライナで起きていることは自分には関係ない、ここにはすべてがあるし、私のところではすべてが整っているので、私はこうして生きていく、と。ですが、そうできない人たちもいて、彼らは薄い皮膚のように、すべてをとても繊細に認識しています。たとえば私の娘もこうです。この人たちは世界で起きていることをすべて、とてもダイレクトにとらえます。世界にはどれほどの悲劇が起きているでしょう? 私もこういう人間です……。
Q—では、あなたはいまテレビを見ないようにしていますか?
私は時間がほとんどないので、そもそもテレビをあまり見ません。私はただ、もう、……どう言ったらいいでしょう。
私は、平和についての俳句を詠むことはできます。そしてたとえば、避難民を支援したりすることもできます。そもそも私にとっては、ソ連時代にいつもそう教わっていたように—自分のことよりもほかの人のことを多く考えなさいと言われていたように—、ほかの人を助けることが第一でした。私は、テレビを見ません。それでも、私は何が起きているか知っています。ただ、私は少し違う態度をとるようになりました。
私は、根本を変えることは……。もし私が政治家だったら、実際に違う行動をとっていたでしょう。ですが、私にできることは、なんらかの形で避難してきた人びとを支援することです。そして俳句を詠むことです。私はできることをやっています。
自分をケアすること
Q—俳句を書くと少し楽になりますか?
もちろんです。俳句には、自分の考えや気持ちをこめます。でもそれは、自然や動物のことなどについて俳句を詠むなら、です……。
私は川柳がとても好きなのです。私はそもそもユーモアが好きな人間で、ユーモアのセンスのある人たちが好きなのです。ユーモアのセンスのない人たちと話すのはとても大変です。かれらは文脈にあるアイロニーが理解できないですから。そして私には、どうしてかれらがわからないのか理解できません。
川柳は生活において支えとなってくれます。私にはとても強くて頑丈な柱が必要です。こんな状況ですから、いいコンディションでいなければなりません。いい意味で、自分のことを愛さなければなりません。でも、エゴイズムと混同してはなりません。
もし自分のことを愛するなら、少なくとも、病気にならないように、自分や他人の負担にならないように、自分の体をケアするでしょう。自分の体が崩壊しはじめたとたん、自分が自分とほかの人たちにとっての負担となり、ほかの人たちがあなたの面倒を見なければならなくなります。ですので、自分に対する愛情とは、たとえば、自分にとってもほかの人にとっても負担にならないように、自分のことをケアすることです。健康になり、可能な限り幸せになるなら、これをほかの人に分け与えることができます。
実は、これは後になってから戻ってくるのです。何か見えざる手によって、自分がほかの人びとに分け与えたものは、戻ってきて自分に力を吹き込みます。ブーメランのような循環になっていて、善を与えれば、それはあなたのところに戻ってきます。悪の力は……、悪のほうがそもそも強いのです。
私は、どうして世の中に悪がたくさんあるのかがわかりました。悪のほうが簡単だからです。悪の感情、卑劣さは—そのほうが簡単なのです。善のほうがいつも難しいです。怒鳴って、何かひどいことを言うほうが簡単です。そもそも、何か悪いことをするほうが、渾身の力を出して何かいいことをするより簡単です。私は、すべての否定的な感情のほうが人にとっても簡単なのだという結論に達しました。だから人は、「ちくしょう」と言って、それでおしまいです。言われた相手の人が傷ついたということは、その人にはどうでもいいのです。そういうことです。これは、永遠の善と悪の戦いです。俳句には同じくすべてがあります。善と悪の戦いについての俳句はとてもたくさんあります。
平和の鳩何処
砲弾に焼けた空
太陽沈む
Q—この句はいつ詠んだものですか?
覚えていませんが、この句はこの状況で、一番最初に私が書いたものです。今年の三月です。
詩のウェブサイトで詩作品の募集をはじめたとき、私は「平和の鳩」という句集を作りました。平和の鳩というのは、かれらを止めることのできる全世界の調停者、あるいは調停する力という意味です。
カラスの沈黙の行方
戦闘後
焼けた白樺に
カラスの沈黙
Q—この光景は実際にご覧になりましたか?
いいえ。イメージが湧いてきたのです。ロシアでは、カラスが鳴くと、悪いことをもたらすと言われます。「(カアカア鳴いて)不幸をもたらす」という単語もあるくらいです。誰かと話しているときに何か悪いことを言えば、「カアカア言わないで」と言われます。このように、カラスが鳴くとき、ロシアでは、善ではなく不幸を招くと考えられています。
ここでは、つまり戦闘の終わりですが、燃えた白樺があって、カラスさえ鳴きません。もう最悪のものは始動し、カラスはすでに沈黙しているのです。なぜなら、何をしても無駄だからです。きっとそこには負傷者や死亡者がいたでしょう。白樺は燃えました。このかわいそうなカラスは沈黙し、カラスには声をあげる、カアカア鳴く理由もないのです。
生きてます
息子の手紙
光跳ね
Q—これもいまの状況を詠んだ句ですね?
想像してみてください。手紙が来ます。かれの母親が開封します。そこには、僕は生きていると書いてあります。そして、そこに光の斑紋、光線が跳ねています。母親の喜びはどんなものか、想像してみてください。
俳句は私の大きな力
鐘の音
ベランダポーチに
ミントの香
Q—この句は身の回りのことを詠んだものですか?
ロシアでは、多くの人が、鐘が鳴るとき、立ち止まって耳を傾けています。そこに何か魔法のようなものがあるからです。この句は鐘の音と、リラックスした状態を導くミントの香りの対比です。ミントの香りは、人を穏やかな気持ちにさせてくれる植物だからです。
私の自宅の近くは、一方には大きな川が蛇行していて、もう一方は森になっています。公園や森があり、土手の上の丘に教会が建っています。出勤するとき、私はその鐘の音を聞きます。それを組みあわせました。
Q—いまは誰にとってもつらいときですが、この軍事的出来事によってあなたの自分の人生に対する態度は変わりましたか?
もちろんです。誰かにとって重要なことは、たとえば、権力だったり、お金を稼ぐことだったり、何かの地位だったりします。私にとって、こういったものはもう興味がなくなってしまいました。
私は……、人がまじめで正直で善良であることに価値があると思いますし、まさにこういう人たちとなら交流できます。権力やお金を求めている人は、しばしば他人を踏み台にしていきます。私にとって、それは受け入れがたいものになりました。
Q—未来はどうなると思いますか?
第一に、自分の身近な人たちが、全員健康でいることを望みます。健康で、幸せで、かれらの望むように生活があればいいと思います。
なぜ戦うのか、そもそも私には理解できませんし、決してわかることはありません。いえ、正確に言えばわかりますよ、昔から行われてきましたから。権力というのは人を引きつけて、引き込み、離さない、恐ろしい力です。権力の匂いを感じたら、それはとても危険なことです。なぜならそこから独裁や流血が生まれてくるからです。
そのすべてが恐ろしいです。私は、そもそもすべての戦争が可能な限りなくなることを望みます。私は、あと少しで私たちの誰もがいなくなってしまうかもしれない状態を理解していない人類と権力が理解できません。それだけです。いなくなってしまうかもしれないのですよ。どうしてこれがわからないのでしょうか?
どこかで何かがはじまったとたん、こんな小さな私たちの地球には誰もいなくなってしまいます。これが、政権に就いている人たち、権力の頂点にいる人たちになぜわからないのか、私にもわかりません。世界には面白いものがまだまだあるのですよ。どうして戦わなければならないのでしょうか。
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