心の凪をめざして|『中高年の発達障害』書評|横道誠
本書の著者は、自閉スペクトラム症とADHDというふたつの発達障害(正式な医学名は「神経発達症」)を診断されている。いまこの書評を書いている評者とまったく同じ状況だ。年齢はちょうど20歳ほど向こうが年嵩だけれども、いったいどんな人なんだろうな、と期待半分、不安半分で書評の依頼を引きうけた。
送られてきた現物の書籍を受けとって、初めて著者のペンネームをはっきり認識し、ニヤリとさせられた。すなわち「凪野悠久」。私は自閉スペクトラム症の特性を持った書き手を何人も知っているけれども、彼らが採用するペンネームはしばしばきわめて意味過剰かつ直截的だ。自然を愛するから「森海獣太郎」とか、都会的たらんと自負しているから「風街涼美」とか、ストレートなやつを選んでしまうのだ。自閉スペクトラム症の歯に衣(きぬ)着せぬ特性、シンプル至上主義を、彼らはペンネームでもってすでに体現している。
著者の凪野氏は早稲田大学を出たあと、報道機関に勤務し、さらに東南アジアや西アジアで国際協力に従事した過去を有する。この経歴にも、やはりニヤリとさせられざるを得ない。視野が広い冒険家タイプ。これは高学歴なADHD当事者にしばしば見られる特徴なのだ。日本を代表する探検作家と知られる高野秀行さんや角幡唯介さんは、ADHDを診断されたり自認していたりする。評者自身にしても、かつて15ほどの外国語を勉強し、50近くの外国を訪れた経験を持ち、それを『イスタンブールで青に溺れる』(文藝春秋)という本に要約した。
近過去を振りかえってみれば、2005年に発達障害者支援法が施行され、自閉スペクトラム症やADHDなどの発達障害は、日本社会で急速に認知されていった。現在の10代か20代の人にとっては、発達障害の知識はかなり一般的なものになってしまっている。しかし、誰もが知るとおり、人は歳を取るごとに時間の経過を光陰矢の如しとして受けとめ、個々人の世界観は世間の一般認識とズレていってしまう。最近の10年、20年は「発達障害ブーム」と呼ばれてきたものの、かなり上の世代では「発達障害ってなに?」と思っている人だって珍しくない。専門家にあたる精神科医や心理士/心理師であっても、年配の人の場合、発達障害に関する知識がとんちんかんなことは珍しくない。非専門家であれば、なおさらそうだ。
子どもや若者として発達障害に苦しんでいる人のための本は、数多く出版されてきた。しかし中高年向けとなると、まだまだ少ないのが実情だ。中高年の発達障害者も相当数いるはずなのだが、かつては世間で発達障害の認知が進んでいなかったから、診断をされないまま苦しい人生を歩まざるを得なかった。思うに昭和時代のテレビドラマやアニメに登場していた「頑固オヤジ」とか「意地悪ババア」などは、多くの場合、発達障害者だっただろう。そして筆者は思うのだ。そのような彼ら・彼女らは、もちろん隣人にとっては煙たい存在ではあるものの、煙たい存在として生きなければならない彼ら・彼女ら自身だって、大いに苦しんできたはずだと。
もしこの書評を読んでいるあなたが、じぶんはもしかして「頑固オヤジ」や「意地悪ババア」のたぐいではないだろうかと心ざわめくとするならば、ぜひ本書を手に取ってみてほしい。著者が報告するさまざまなエピソードや、対処術の数々に思いあたるところが多いはずだ。言うまでもなく私もひとりの「頑固オヤジ」的「意地悪ババア」的人間なので、本書の記述には共感もしたし、古典的な作品なども駆使して提示される対処術には感心もさせられた。
職場で発生する監視的な管理体制の恐ろしさ。いい歳をしたおとななのに、どのようにいじめられ、職場の人間関係から排除されていくかという実例。300年前にダニエル・デフォーが書いた『ロビンソン・クルーソー』には、すでにじぶんの境遇をバランスシートを使って整理し、できるだけ客観的に評価しようとする知恵が現れていたことについて。ベンジャミン・フランクリンが作成した13の徳目に関するチェックリストが、今日的な意義を失っていないことについて。呼吸法によって安定した心の状態を得られる方法。デジタルデバイスの活用による不眠障害の克服方法。ヘルマン・ヘッセが勧めるとおり、農作業や園芸はイライラを減らし、価値観を広げ、鬱状態をやわらげる効果を持つこと。rTMS(反復経頭蓋時期刺激治療)のメリットとデメリット。本書には、これまでの発達障害に関する本に出てこなかった情報や知見がさまざまに盛りこまれている。ちょうど書き手に備わった自閉スペクトラム症的なこだわりとADHD的な注意拡散が、絶妙なハーモニーを奏でていることが伝わってくる。
最後に著者は、ペンネームの通りに、現在では「心の凪」を取りもどしたと記している。みずから孤独を楽しむ境地にいたったのだと、喜んでいる。中高年の発達障害者にとって、まことにふさわしい境涯ではないか。自閉スペクトラム症の影響で、私たちはひとりきりでいたい時間が多いけれども、この特性が災いして、私たちは「気がついたらひとりぼっち」「気がついたら仲間はずれ」となりがちだ。だから学校や大学に通っている若い年頃の当事者たちに、孤独であれと勧めるのは難しい。若いうちはどうしたって、孤独によって発生する不利益が大きすぎる。しかし、人生の締めくくりが迫っている中高年ならば事情は別になる。筆者の現在の「心の凪」に評者は勇気づけられ、筆者もまた将来そのようにして晩年の日々に入っていきたいと感じた。本書を読むことで、少しでも多くの私たちの仲間が、「心の凪」を得られるようにと願ってやまない。