【イベント記事試し読み】高島鈴×鯨庭×関口竜平「『反差別』の実践/表現を考える」
『われらはすでに共にある:反トランス差別ブックレット』刊行を記念して、2023年12月23日にオンラインイベント「『反差別』の実践/表現を考える」が開催されました。司会は本書の企画・編集を務めたライターの高島鈴さん、ゲストに漫画家の鯨庭さん、本屋lighthouseの関口竜平さんをお招きして、それぞれの立場からの「反差別」の実践/表現についてお話しいただきました。
本イベントの文字起こしデータを、本屋lighthouseさんのウェブストアで販売します(すでにイベントチケットをご購入いただいた方には無償で提供いたします)。
この記事では、試し読みとしてトークの一部を公開!
関口さんと鯨庭さんから、『われらはすでに共にある:反トランス差別ブックレット』のご感想をいただいた部分を抜粋しました。
出演者プロフィール
トーク本編試し読み
高島さん(以下、高):お二人は、この本(『われらはすでに共にある:反トランス差別ブックレット』)はもう手にとっていただいて目を通していただいたと思うんですけれども、ご感想はいかがでしたでしょうか。これは印象に残ったとか、この一行が忘れられないなとか、そういうのがあれば教えていただきたいと思います。
関口さん(以下、関):いきなり内容というより、たてつけのところに話を持っていっちゃうんですけど、これ著者略歴とかは載せてないですよね。
高:よくお気づきになりましたね。(嬉しそうな顔で)
関:ですよね。タイトルと書いている人の名前だけで、書き手が誰であるかみたいなことは載せてない。もちろんウェブで検索すれば出てくる人もたくさんいるんだけど、この本においてはそこは重要じゃないよ、というたてつけにしているのが紙面の作りからもわかるのが、個人的にはよかったですね。とにかく「いま、この紙面に書かれているテキスト」を大事にしてほしいということが伝わってくる。どうしても本って権威的なものになってしまうものでもあるというか、権威だからこそ書ける・出せるみたいなところもある。そういうジレンマみたいなものもありつつ出さなきゃいけないものでもあって、そこがこのたてつけによってちゃんとカバーできるというか、そういう意志があることがわかるので、よかったですね。
高:そこを拾っていただいて本当に嬉しいですね。1行2行ちょっといれようか、みたいな話もなくはなかったんですけれども、ここに載ってる人たち、多くの人はフェミニストですけれども、この人たちの中で著名なフェミニストと、いままで(なにかしらの)ものを特に発表してきていないフェミニストがいて、そうなると「この人の話は読むけど、この人の話は読まない」みたいな、肩書きによる区別がつけられてしまう状況が発生するかもしれなくて、そうなると意味がない。どんな立場の人の言葉でも平等に聞いてほしいので、内容だけに注目して掲載順も決めたし、プロフィールも載せないことにしたんですよね。
もう一つ理由はあって、ここに載らないトランスの人たちの声もいっぱいあるわけですね。本当にいろいろなところにトランスの方たちはいて、こういうZINEの文化みたいなところにリーチできない方もいる、ということを含めて考えると、名のある感じで著者の皆さんを演出してしまうと、「そういう方たちとは違うんだぞ」みたいな雰囲気を感じ取らせてしまっても悲しいことになると思って。それでプロフィールは全部なしにしましょうという編集部の意向になりました。鯨庭さんはどうですか。
鯨庭さん(以下、鯨):私は私自身がノンバイナリーなので、ノンバイナリーの方たちの文章に共感しました。たとえば青本柚紀さんと山内尚さんとかですね。青本さんだと「自分の性別は自分」(15頁)という部分とか、山内さんだと「その日その時によってどう自分がありたいのかが揺れ動く」(56頁)と書かれていて、すごくわかる。私は出生時に割り当てられた性別は女性なんですけど、性自認が「いまは男性だな、いまは女性だな」というように、完全に二分される状態じゃないあり方をみんなもしているんだとずっと思っていたので、本当にごく最近みんながそうじゃないのを知ってすごく驚いたんですよね。だからこの本を読んで自分と同じような人がいるとわかって安心したというか。
私は勉強し始めたのが、去年の終わりとか今年のはじめくらいで、自分も性自認にちょっと違和感があるけど、強烈に医療を受けたいとかトランスしたいという意志はなくて、生活に支障はなかったんですよね。でも、なんかもやもやしてるな……というなかでトランスジェンダーの本を読んで、ノンバイナリーという言葉を知って、「あ、これだったんだ」と腑に落ちた経験があったので、読んでいてすごい安心しました。
高:いまあげていただいた青本柚紀は、うちに月に少なくとも2回くらいは来てだらだら泊まっていく、という人物なんですけど(笑)。青本柚紀は論文畑の人だから、すごく淡々とした文体でエッセイを書いているんですけど、自分の経験をそれこそ絞り出すように書いているなかで、たとえば「その後Aジェンダーやノンバイナリー、アセクシュアルを知り、自分自身を説明できる言葉との出会いを果たす」(16頁)と書いていて、この「出会いを果たす」という表現が、節制されたなかからこう湧き出ているような、やっと出会えたという喜びの感じが、全体の文章に抑制が効いてるぶんすごく際立って見えるので、この文章は印象的だなと思って読んでましたね。
鯨:あと、異性愛規範、ヘテロやシスジェンダー至上主義の世界に私たちはいて、この「出会いを果たす」という表現は私もそうだったんですよね。でも(マジョリティである)多くの人がこの「出会い」は果たさないというか、果たさなくてもいい、最初からあったものだと思うんですけど、性自認が出生時に割り当てられた性と違う人だけが果たせる出会いというものがあって、私はすでに無意識に出会っていたけど、こうやって言葉で/文章で書いてあると「私も出会ってたんだ」って感動しました。
高:衝撃的な出会いだったり「自分はここに居場所があったんだ」みたいなことを書いている方は(この本の中にもほかにも)いらっしゃって、実際SNSとかでも「自分はこういう名前があるということを知って初めて救われたんだ」という言説はたくさん見つけられる。その一助にこの本がなってくれればいいな……という気持ちがあるので、商業流通になったお陰で、図書館に入れてくださいと言いやすかったり本屋さんが注文しやすくなったりしたので、自分ってなんなんだろうな……といま迷ってらっしゃる方、自分を指す言葉を探してらっしゃる方が、似た道を辿った旅人がほかにもいたぞ、ということを知ってくれる手立てになってくれると嬉しいですね。
これはちょっと関係ないかもしれないんですけど、私の『布団の中から蜂起せよ』という本を読んでくださった方の感想で、「自分はこの本に共感するという言葉を使うのはちょっと違うと思うんだけど、共感ではなくて同じ砂漠を歩いている旅人がほかにもいたんだってわかることが嬉しい」というようなものがあって。みんな経験がそれぞれ違っていて、トランスと一括りに言ってもトランジションをする方もいるししない方もいるし、生き方はそれぞれに皆さんが選ばれていて、でもその中で受ける抑圧みたいな言説にはある程度典型的なものがある。そういう苦境の中をさまよっている旅人が、実はあなたの近くをすれ違っているかもしれない、と思うだけで、もしかしたらちょっと気持ちが軽くなるかもしれないので、そういうところで感じ取っていただけるものがあれば嬉しいな、と鯨庭さんのお話を伺って思いました。
鯨:まさにそうです。「いるんだ」って思いましたね。たとえばツイッターで、畑は違うけど何か表現をしている中で、共有というか共感できる部分がある人たちがこんなにいたんだ、というのはなんというか……離れている者どうしでサインを送り合っている感じがあるんですよね。「一人じゃない」ということ(を美談のようにするの)はあんまり好きじゃないんですけど、「おんなじような人いるよ」みたいなサインを送り合えるのはすごい安心感があるし、この社会で生きる中でそういうことがあるのがすごい救いだなって思いました。
高:「サインを送り合う」という表現はすごく素敵ですね。lighthouseさんにかけてるわけじゃないですけど、灯台の光とか。
鯨:そうですよね。真っ暗だけど、チカチカとちっちゃい灯りかもしれないけど、そういうのが見える、というのはやっぱり救いとか希望になると思いました。
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関口さん、鯨庭さんのご感想に続いて、『われらはすでに共にある』が自主制作のZINEから現代書館で出版されることになった経緯、物語や記録することについて、本屋の責任、漫画や文章で表現する際に気を付けていることなどなど、盛りだくさんのトークになりました。ぜひ全編ご覧ください!
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『われらはすでに共にある:反トランス差別ブックレット』もどうぞよろしくお願いいたします!