『ゲリラガーデニング:境界なき庭づくりのためのハンドブック』。くまたろう氏の「あとがきにかえて」を公開します。
境界を越えて耕すということ
本書は、GuerrillaGardening: A Handbook for Gardening without Boundaries(2009)の邦訳である。著者のリチャード・レイノルズ氏が開設したウェブサイトhttp://www.guerrillagardening.orgには、本書の参考文献のみならず氏の最近の活動も報告されているので、ぜひ一度訪れてみてほしい。
まさに世界中のゲリラガーデニングの実践がまとめられている本書だが、そこには日本も含まれている。原著の刊行から15年が経った現在、ネットを検索すれば、「花ゲリラ」を名乗って活動している諸氏もいるし、SNS上では本書に出てくるコレクティブをはじめ、じつに多くの人たちがゲリラ活動を報告している。実際にゲリラガーデニングを目にしたことがある読者だっているだろうし、すでに生活の中に取り入れている読者もいるだろう。
「ゲリラガーデニング」と呼ぶと、そこに何やら物騒な気配が漂うが、同じような試みは案外身近な過去にも見つけることができる。実際に、第二次世界大戦敗戦後の鉄道線路脇では多くの人が野菜を栽培していたというし、線路脇に限らずとも、空き地があればそこの土を掘るのはめずらしいことではなかったという。本書の表現を借りれば、多くの「ゲリラ」が老若男女問わず、つい最近まで存在していたということだ。現在では、土いじりは幼児期の貴重な体験として重宝され、畑作業は「農業体験」となりはて、まさに体験型のアトラクションのようになってしまった。都会に暮らしていれば家から会社までの道のりだけが主な屋外活動となり、一日に一度も土を踏むことなく暮らしている人もめずらしくないだろう。
変化したのは個人のライフスタイルにとどまらない。上記のような線路脇はフェンスで仕切られた向こう側へ、あるいは高架になり上空へと消えてしまった。そこでは農作業などもちろんできないし、近づくことさえ難しい。高架となって空いた土地はもっぱら商業施設が置かれることが良しとされているのだから、そこに掘るべき土は存在しない。恐ろしいのは、かつてはそうした場所が耕作可能なスペースとして機能していた事実を想像することさえ難しくなってしまったことだ。こうした土地や土地への想像力の消失は、本書でも再三登場するニューヨークの事例と同じく、都市の再開発によってもたらされた災難だ。日本語版を刊行した現在も、東京の明治神宮外苑では、再開発の名のもとにじつに700本以上の樹木が伐採される計画が進行している。もちろんこうしたばかげた計画に対して反対する人たちの声は上がっている。だが一方で、「植えていく」という行為は著しく欠けている。
ライフスタイルの変化と住環境の変化を両輪とする戦車によって、ぼくたちは人間が古来から当たり前のこととしてきた土とともに生きる生活からすっかり引き剥がされてしまった。ガーデニング・ブームともいわれるが、ほとんどは時間と土地に余裕のある人たちによる、それぞれの庭で展開される品評会のようなものにすぎない。
だが、ふんだんな時間も自分の土地も持たずとも、本書に登場するような交通島をはじめ、「放置された土地」を見つけることはできる。無理のない範囲で、自分のライフスタイルに合ったペースで、ぼちぼちとでもいいので、庭づくりに取り組むことはできる。ひとたびそのような目で土地を眺めるようになると、じつはいたるところに耕作可能な区画があることに気づくだろう。実際、著者のレイノルズは自分の住む公団の6階の真下の土地から活動をスタートさせたと書いているし、それより以前は、大学在学中に教室の窓辺に小さなガーデンをこしらえていたらしい。
本書は、耕作を開始して進めていくに当たって生じるトラブルや注意すべき点について、実例を用いながら詳細に紹介しているが、随所から伝わってくるのは著者の庭と植物への愛だ。ゲリラガーデニングをはじめるにあたり、まずはその区画の周辺の植物相に気をつけることが挙げられている点など、その最たるものだろう。ゲリラになろうと決意した読者も、ぜひこういった植物への愛を忘れないでほしい。
実際にゲリラ的な庭づくりに参加してみると、さまざまな発見があるだろう。スーパーや青果店に並んでいるような立派な作物を育てることの困難さや同じようなサイズの作物が大量に並んでいることの不思議さ。また、一見荒れ果てた土地を掘っているときにミミズと遭遇したなら、土のポテンシャルを見せつけられたような気持ちになるだろう。仲間と一緒に作業をすれば、その人の新たな一面に気づかされることもあるだろう。収穫物が得られればよろこびも感じるだろうし、もし収穫を逸したとしても、それまではスーパーで売られている姿しか知らなかった野菜の花の姿形、匂いを楽しむことができる。さらにもう少し待てば、種を鑑賞することができ、それまで果実しか知らなかった植物の一生を目撃することになる。
だけど注意してほしいことがある。「放置された場所」は、誰のものでもない場所である。そこで育った作物や花は、誰が持っていってもいいことになっているのがふさわしい。開墾し、自らの手を加えることによって芽生える愛着が、その土地や成果への個人的な執着とならないように気をつけてほしい。
また、何より重要なのは先住者への敬意だ。都会であろうとなかろうと、放置された土地には先住者がいることもめずらしくない。人間以外の動物の場合もあればホームレスの人が暮らしていることだってある。そのような土地でゲリラガーデニングを行う場合はとくに、その土を掘ることが先住者の排除にならないように工夫してほしい。そうでなければ、せっかくのガーデニングも個人的な再開発と大差ないものとなってしまうからだ。
最後に、ニューヨークのリズ・クリスティや著者のレイノルズがあえて「ゲリラ」という語を用いているのは、このガーデニングには既存の社会や社会に敷設されたあらゆる境界に対する抵抗の意がこめられているからにほかならないだろう。実際に土地はいくつもの「境界」で仕切られている。ゲリラガーデニングは無断占拠の要素もあるし、都市に書かれたグラフィティのように人目につかないように風景に参加する行為でもある。「東京大学だめライフ愛好会」のように、キャンパスの一部を畑にする行為も越境だし、どこに何を植えるかは重要だ。自分の暮らす社会のどこにどのような境界が存在し、それをどうやって越えるかあるいは消すか、その設定や方法によって闘い方は決まるだろう。
だけど、もっとも乗り越え難いのは自分の心の中にある境界かもしれない。誰にだって、やってみようという気持ちとやめておいたほうがいいという気持ちがあるはずで、その境界で立ち止まるのも当然だ。本書で紹介されている取り組みが、植物の根のように読者の心の境界をくぐり抜け、この物騒でささやかな、よろこびに満ちた庭づくりに対する共感を呼び起こすなら、それは土と風景に参加する人が増えるということだ。
土を掘る、種をまく、育てる。その過程をとおして得られるものは、きっと植物や作物だけではないだろう。
おわり
『ゲリラガーデニング:境界なき庭づくりのためのハンドブック』
2200円+税 216頁 ISBN 978-4-7684-5964-5
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