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13.病気の女には仕事も出産も子育てもすべて「高望み」?(谷田朋美)|私たちのとうびょうき:死んでいないので生きていかざるをえない

「私たちのとうびょうき」は、弁護士・青木志帆さんと新聞記者・谷田朋美さんによる往復ウェブ連載。慢性疾患と共に生きる二人が、生きづらさを言葉に紡いでいきます。今回は、谷田朋美さんの担当回です。

「寿退社」した夫

大皿に盛られたイカスミパスタと思いきや長い髪の束を大量に喉に突っ込まれて、もうこれ以上は無理、と思ったところで目が覚めました。午前4時。いや、目が覚めたところからが本当の地獄でした。甘酸っぱい胃液が上ってくるのと熱い便が下ってくるのとを同時に感じてトイレに駆け込みます。頭痛と吐き気と下痢と呼吸困難とほかにもありとあらゆる症状の治療法はないし薬も効かないし、1日で終わるのか半年以上続くのかさっぱり分からないけれど、とりあえず私にできるのは便器にまたがってひたすら耐えることしかないのでした。これまでは。
 
今は隣で寝ている夫のとりやんにすかさず「鍼、頼む」とすがって、夜な夜な全身に鍼を抜いたりさしたりしてもらいます。「そこ、ええわ~」と思わずため息を漏らす時、寝ても覚めても続く「死んだほうがまし」と思える悪夢をちょっとだけやり過ごせているのです。とりやんは「漏らしてもよいからね」と優しくささやくことも忘れません。私と彼はそうやって夜の営みを重ねてきました。だから青木さんがおっしゃる「結婚して、毎日隣で一緒に寝ている人がいること(エロい意味ではなく)」の安心感、すごくよく分かります。
 
とりやんはサラリーマンでしたが、私との結婚を機に8年前、「寿退社」しました。彼の名誉のために言っておくと、職場での信頼は厚く、海外赴任を打診されていました。「働き方改革」がまだ浸透していない頃、お互いに転勤族でしたが、一緒に住めるよう融通してもらえる状況にはありませんでした。最終的に、どちらかが辞めるしかないと思いつめた結果、とりやんのほうが「朋美が働くことを応援したい」と仕事を辞め、どこでもできる鍼灸の資格を取ってくれたのでした。私が病気でも仕事を続けることができているのは、とりやんが仕事を辞めて家事や痛みの緩和ケアを担ってくれているからに他なりません。
 
もちろん、私が仕事を辞める選択肢もありました。というか、周囲の誰もが、とりやんではなく、私が仕事を辞めるのが当然だろうと感じていたと思います。女性活躍の道を切り開いてきた当時の所属長に結婚の報告をした際、「(夫が)寿退社なんてよくやるね」と笑われてしまいました。子育てのために仕事をセーブする男性は賞賛されても、病気のケアのために仕事を辞める男性はまだまだおかしな目で見られるのだなぁとちょっと傷ついたことは確か。まあ実際、病身の人間が大黒柱として働くことは非常に困難ですし、家庭で養ってもらったほうが周囲にとっても楽であり、「わきまえない」行動だったと思います。なんとか新聞記者の仕事を続けたくてとりやんに苦渋の決断を強いたと感じている身としては、前回の連載で書いた通り、仕事で活躍できていないことを申し訳なく思っていることも事実です。
 
それでも、よくある企業戦士と専業主婦の両親のもとに育ち、その機能不全ぶりを身をもって味わってきた私には、病気になってあらゆることを諦めたとしても、体に負担がかかったとしても、働くことだけは手放せなかったのです。経済的な保障としての結婚は女性を不利な立場に追いやるリスクとしか捉えることができず、正直なところ、「もし好きな女に何かあった時さ 『何も考えないでしばらく休め』って言えるくらいは なんかさ (稼げるものを)持ってたいんだよね」という真山的なことば(https://note.com/gendaishokan/n/n54a1abeb5656?magazine_key=mf8e4e990d77b)には全くキューンとこないんです……むしろ、そのまま家に閉じ込められちゃったらどうしよう、という不安のほうが勝ります。
 
でも、青木さんがおっしゃるように、調子の悪い人がひとりで生きていくことはほぼ不可能ですし、結婚制度は唯一、私が選択できる生活保障です。どれほどゆるいつながりや仲間同士の共助が素晴らしかろうと、文字通り、自分の尻拭いさえできない日もある私が、例えば青木さんに尻を拭ってもらうわけにはやっぱりいかないと感じるのです。
 
結婚については、いろいろな思いや現実が交錯して、「したい」とも「したくない」とも「このようにありたい」とも自分ひとりでは決められなかったのでした。ではなぜ結婚したのか。

結婚・出産・仕事・子育てと向き合うことを許されていない

矛盾するようですが、私はそもそも結婚を選択できると思っていませんでした。20代の頃、「結婚を前提に」と言われて付き合い始めた(付き合うってことば、別の言い換えできないですかね)男性に「もしかして病気じゃないよね? 誰も病気の人間なんかと結婚したくないじゃん。介護したくないし子どもほしいし」と言われ、何も言わずにお別れしたことがありました。正直、これはめずらしい経験ではなく、病人あるあるではないでしょうか。結婚して何年も連れ添ったにもかかわらず、病気を発症したとたんに離縁された話だって、まれなことではないのです。
 
差別というのは、実際に身体的、金銭的な負担やリスクがありそうだとなった瞬間に先鋭化します。病気を打ち明けるか打ち明けないか問題は、就職だけでなく結婚にもついて回るんです。私自身は、結婚も出産も仕事と子育ての両立も、向きあうことさえ許されていないような状況に苦しんできたのです。青木さんはどうだったでしょうか。
 
だから、とりやんの「そばでケアしたい」という覚悟に触れた時、初めて結婚しようと思えました。それを最も痛感したのは、とりやんが仕事を辞めた時ではなく、「朋美をケアすることで精いっぱいだから、子どものケアまでは申し訳ないけど無理」と言われた時でした。とりやんは子どもを育てたいと切望していました。私自身、働きたいけれど、当然、とりやんにも仕事を続けて欲しいし、出産も子育てもしたかったのです。でも、病気の女には仕事も出産も子育てもすべて「高望みだ」と社会にずっと言われているように感じながら生きてきました。とりやんが自分の責任で「子育ては難しい」と言ってくれたことで、「子なし」の罪悪感からだけは解放されたのです。会社という後ろ盾を失ったとりやんを、サラリーマンの自分が結婚という制度で支えたいと思うことは、自然の流れでした。
 
先の見えない病人の人生に巻き込んだうえ、とりやんの生活をケア中心に変えてしまったことに責任を感じ、「仕事を辞めて良かったのか。海外支社でバリバリ働きたかったのでは」と度々問う私に、彼は「もともとケアの仕事に関心があったけど、『お金にならないぞ』と言われて一歩踏み出せなかった。朋美が背中を押してくれたおかげで今は鍼灸師の道を選ぶことができ、楽しい毎日だ」などと言ってくれます。とりやんと出会って、病気である自分の価値を知りました。ただ、とりやんは時々こうもつぶやいて私の胸を抉ります。「朋美のことは俺がケアするけど、俺が調子を崩したら誰がケアしてくれるんだろう」と。

家族がケアすることは本当に「得」なのか?

日本では、介助などの福祉サービスは「税金を食う」ため社会の損失であり、「家族で面倒を見ろ」という価値観が支配的です。でも、それって本当なのかと問いたいのです。最近、医療や福祉、教育など生存に必要なサービスを全員に無償提供する「ベーシック・サービス」という考えがあることを知りました。もしベーシック・サービスを受けられていたなら、とりやんはサラリーマンの仕事を続けてそれなりの税金を納められていたでしょうし、私は自分の仕事をしながら世の中に介助の需要を生み出してもいたでしょう。子どもを産み育て、少子化の抑止にも貢献できたはずです。長い目で見て、ベーシック・サービスと家族で面倒を見ることと、どちらの社会を目指すことが、すべての人にとって「得」で「損」なのでしょうか。
 
私はずっと、少なくともマスメディアが語ってきた「フェミニズム」の「女性」の中に自分は含まれていない、と感じてきました。いやいや、あなたこそがマスメディアの中のひとりだろう、と言われそうですね。
 
日本のフェミニズムを切り開いてきたおひとりである社会学者の上野千鶴子さんは「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」(2019年東京大学入学式での「祝辞」より)とおっしゃっています。青木さん、これからは、ずっと調子が悪い女性の、病んだ身体で生きる私の「フェミニズム」についてことばにしていきたいものですね。

谷田朋美(たにだ・ともみ)……新聞記者。1981年生まれ。15歳の頃より、頭痛や倦怠感、めまい、呼吸困難感などの症状が24時間365日続いている。2005年、新聞社入社。主に難病や障害をテーマに記事を執筆してきた。ヨガ歴20年で、恐竜と漫画が大好き。立命館大学生存学研究所客員研究員。

編集部よりお知らせ:2023年3月からはじまった当連載ですが、ウェブでの更新は今回を最後とさせていただきます。毎回たのしみにしてくださった読者のみなさまには、突然のことで申し訳ございません。来年春ごろに書籍化を予定しておりますので、ぜひそちらをお手に取ってくださいますと幸いです。書籍版では、さらなる加筆・書下ろし、座談会などの収載も企画しています。パワーアップしたお二人の「とうびょうき」をお楽しみに!


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