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友人の話を例に、問題解決よりも問題提起が重要だという話をします!

こんばんは!
問題解決をひたすら追い求める社会に飽き飽きしている男、小栗義樹です!

水曜日は僕がこの1週間で吸収した学び・気づきを共有する回なのですが、今回は事象に関する見方・捉え方について記事を書いていこうと思います!

これは僕の友人の話です。この友人は、それなりに大きな商社でパソコンや電化製品の販売・開発企画などの仕事をしています。

先日、この友人から相談があると言って呼び出されました。話しの内容を要約すると「今、抱えている大きな仕事がある一点で手詰まりになっている。どんなふうに解決したらいいか、その一助になる何かが欲しくて連絡した」という事でした。

この仕事というのは、友人が所属している会社の中では前例のない・真っ新な事業のようで、プロジェクトに選出されたメンバー全員が手探り状態のなかで進めているそうです。

友人曰く、会社も協力的で、仲間もすごく仕事がしやすいとのこと。これ以上ないくらい良い環境といってもいいと言っていました。

僕はプロジェクト発足の経緯、これまでの流れ、どんな行動を誰が担っているのかを教えてもらいました。その上で、何が原因で手詰まりになっているのか? そもそもの壁となっている課題は何なのか? などの質問をしました。

こういう場合は往々にして、質疑応答の中から勝手に答えが出てくるものです。相手に問題を客観視させるチャンス、その問題の正体とこれまでの流れを整理するキッカケを与えることが出来れば、能力のある人間は、助言なんてせずに自分で解答にたどり着くものです。

現に彼は、僕の質問に答えていき、僕がその回答をメモして図にしたものを見せたら、自分で答えにたどり着きました。

問題の正体というのは、実はそんなに大したものではないことがほとんどです。大体のものは、解決せずとも受け流すことが出来たり、そもそもが今考えても仕方のないことだったりします。首を突っ込んだ状態でいると、いつの間にかその問題が大きく見えてしまうことがあり、早急に解決しないといけないというマインドになってしまうことがある。客観的に捉えるタイミングさえ作る事ができれば、問題の実像とでも言うのでしょうか、正確な大きさを図る事が出来たりして、その問題が如何に小さい事かに気づくことが出来るのです。

この話の中で、友人から聞いた問題も、聞いている限りでは、別に大きな問題ではありませんでした。いずれその答えは、プロジェクトの進行とともに見つかるくらいのもので、こちらが無理に助言をする必要はないと思いました。良いメンバーが揃っている前向きなプロジェクトであれば、問題の解決方法は自然と内側から湧いてきますからね。

僕が彼の話の中で助言すべきだと思ったのは、もっと根本的な部分にありました。彼の話を聞いたとき、この問題はすぐにでも解決した方がいいと思ったのです。

彼は、僕がそのプロジェクトを行う理由・そのプロジェクトが会社や社会にもたらす影響について尋ねた時、答えることが出来ませんでした。今まで流ちょうに話していた彼が、急に少し考えて、釈然としない解答をしたのです。

彼ほどプロジェクトの内容を言語化し、それも、内情を全然知らない僕に分かりやすく、伝えていいことと伝えちゃいけないことを分けて話せる人間は、きっとプロジェクト内にはいないでしょう。それくらい、彼の話は分かりやすかったです。このプロジェクトにそうとう肩を入れていることが分かります。

そんな彼が、このプロジェクトが終わった後にもたらす影響について答えられなかった。これにはちょっとした驚きがありました。このプロジェクトのゴールではありません。このプロジェクトが終わった後の話です。プロジェクトのゴールについては、伝えられる範囲できれいに教えてくれました。

これはどういう現象かというと、問題提起がきちんとしていないことを指しています。

問題提起とは何かというと、なぜこのプロジェクトをやらないといけないのか? の前、今、世の中には〇〇という問題があるのではないか? という問いが設定されていないということです。

これ、別に彼が悪いわけではありません。皆様の周囲でも、かなりの確率で同じ場面が見受けられると思います。

僕はこれまで、色々な会社やチームのプロジェクトを見せてもらいました。そういう仕事が多かったので、それなりに経験や体験を積ませてもらった方だと思います。

2:8です。

この数字が何かというと、僕が見てきたプロジェクトの中で問題提起がなされているプロジェクトと、そうでないプロジェクトの割合です。問題提起が事前になされているプロジェクトに遭遇した割合は全体の2割。そうじゃないプロジェクトは全体の8割です。

そして、その2割の中で、提起された問題がメンバーに共有され、ほとんどのメンバーが、その問題の解決のためにプロジェクトに参加しているという意識を持っているプロジェクトの事例は0.1割です。そういうプロジェクトに遭遇する確率は稀中の稀で、ほとんど出会ったことがありません。

2割の0.1割って相当少ないですよね。

この割合が何を表すかというと、そのプロジェクトがもたらす影響力・成功の大きさを表します。8割の、問題提起がなされていないプロジェクトのほとんどは失敗します。プロジェクト期間が終わったのち、何事もなかったかのように通常業務に戻るか、あるいは途中で空中分解する例がほとんどです。

2割の問題提起がきちんと設定されているプロジェクトは、基本的にプロジェクトで固めた内容を実現することが出来ます。そこから先、成功するかどうかは分かりませんが、少なからずプロジェクトを打ち立てた意味はきちんと回収されることになるのです。

そして2割の中の0.1割のプロジェクトは、100%の確立でその会社や母体に利益をもたらしています。プロジェクト内で生み出された商品やサービス、企画は、必ずといっていいほど何かしらの成果を生みます。そのほとんどはリリースされた後も成功を納め、その会社や母体の定番として長く続いていっています。

これは、僕が実際にこの目で見てきた結果です。

問題提起とは、明確な課題と課題にまつわる仮説の結晶です。

〇〇という問題がある。この問題は解決できるのに誰も解決していない。この問題が解決されれば、社会にこのような変化が起こる。それはとても便利だし、素敵な事だ。僕たちはこの問題解決に全力で取り組まなければならない。

この一連の流れこそ、問題提起だと思います。ここには、根拠も論理も熱も可能性もこもっています。複数の人間と共同で何かをするプロジェクトにおいて、あるいは自分の気持ちや行動を継続する上で必要な要素がすべて詰まっているのです。

僕は、最近の日本に足りていないものさえ、この問題提起だと思っています。みんな、解決方法や手段を求めて奔走しているだけ。肝心の解決したい問題と向き合わないから、根本的な前進を得られずに苦しむ。

タイパという言葉が象徴する痛々しい日本人の無意味な行動の根本はすべて、この問題提起が抜け落ちているからです。

議論に参加するだけで満足してはいけません。解決方法や誰かの言葉に対して、自分の意見を述べているだけじゃだめです。自分が抱えている問題、社会が孕んでいる矛盾、どうしようもない不条理、こういうものに対して、きちんと問題提起をして、自分なりの考えをまとめて、問題を身近に置いておくことから始めないと、結局何も解決しないのです。

問題提起をするということは、一度立ち止まってじっくり考える時間が必要です。それは何も無意味な事ではありません。

ビジネスにおいて、判断するスピードや実行する速さが求められるのは当たり前だと思います。そうしないと抱えている仕事の成功は見えてきませんから。

でも、長く生きていくという視点で考えた時に、問題提起を隣に置かずに走り続けても、結局船そのものは沈んでいきます。今、色々な問題を自らの手で手放しているからこそ、世の中はどんどん暗くなっていくのでしょう?

問題を提起することはとても大事です。

ビジネスだって、生活だって、趣味だって、特技だって、基本は問題提起と欲望から始まっています。

一度立ち止まって考えてみてください。そして、自分が解決したい問題をきちんと見定めてみてください。それがあれば、軸がぶれることなく、自分の人生を輝かしいものにしていくことが出来るでしょう。



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