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念願の年末ライブ(自己紹介48)

資金集め、動員、CD、年末ライブ。


チャッカマンが、バンド活動に必要な要素をすべて手に入れたのは高校2年生の年末でした。10月にミニアルバムを販売し、11月の2週目の土曜日には120枚を売り切りました。


これらの功績とライブハウスでの動員や、出入りしているお客さんからの評判もあって、僕たちは「そのライブハウス史上最短での年末ライブ出場」を決めます。


今日は、年末ライブとその間に起こったメンバー間での問題について書きます。


今年の3月2日で30歳になります。これからの人生をより素敵なものになるために、これまでのハードモードな人生を振り返って、糧にしていこうと思います。


僕の自己紹介・自分史「ちょうどいいハンデだ」はコチラから

当時、名もなきアマチュアバンドが120枚のCDを作って完売させるという事例は、かなり少なかったのではないかなぁと思います。


確実に言えることは、作った時点で「黒字」は絶対にないでしょう。


ファンクラブという母体を最初に作り、人気論という考えを可視化したのは正解でした。


このCDの販売が無ければ、僕たちの年末ライブ出演は無かったと思います。


僕が出入りしていたライブハウスの年末ライブは、出演しているバンドにとって「大きな目標」になっていました。みんな、そのライブを目指して活動している。そんな状態でした。


当日は、キャパいっぱいにお客さんが来ます。


出られるバンドはたったの4組。


どれくらいのバンドが出入りしていたのかは分かりませんが、1つ言うと、チャッカマンのドラムが以前組んでいたバンド。彼らもかなり動員がありましたし、このライブハウスによく出入りしていました。


チャッカマンよりも動員が多いライブもあったし、彼らは、別のライブハウスの企画でトリを務めるだけの力を持っていました。


それでも、この年末ライブには手が届かなかった。


それくらい、出るのが難しいライブです。


ドラムの彼を誘った時に「今年の年末ライブに出る」と僕が言ったら、彼は「絶対に無理だ。来年なら可能性がある」と言っていました。


挑戦したことがある人間の「絶対に無理だ」は重かったです。それくらい、高い壁だと言えると思います。


そこに僕たちは通ったわけです。


今回嬉しかったのは「出入りしている他のバンド」からやっかみが無かったことです。これには2つの理由があります。


まずそもそもこのライブが、オーナーの偏愛と実力主義の思想で構成されているという点です。


年末ライブは、ライブハウスのオーナーが「手塩にかけて育てた名物企画」でした。そのことを、出入りしているお客さんもバンドもしっかり理解しています。


そこには「オーナーさんが選んだバンドに間違いはない」という空気と、この年末のイベントを絶対に成功に導くという共通認識がありました。


オーナーさんはとても魅力のある方です。面倒見がよくて、バンド好き。何よりも、出入りするバンドやお客さんを家族だと思って接する温かみがありました。


パンクバンドマンが集まる理由が何となくわかる。そんな感覚です。


そんなライブハウスで揉まれているバンドマンは、かなり実力主義です。実績や盛り上がり度合い、動員、リアクションなどをシビアに見る人が多い。


そこには、年功序列的な発想はなかったように思います。


色々なライブハウスを見て、最終的にここを拠点にしたいと決めた理由はこれでした。


だから、結成して半年程度の僕たちが年末ライブのステージに足を踏み入れても、大きな文句ややっかみはほとんどありませんでした。


ドラムの彼は「信じられない」という雰囲気でした。彼も3年近くバンドをやり、沢山ステージを経験し、いくつかタイトルも持っていました。そんな彼が夢として掲げていた「年末ライブ」を最短で射止めたわけです。


「お前と組んでよかった」


そう言われた時、少しだけ泣きそうになりました(笑)


僕はというと、年末ライブへの参加は嬉しかったですが、これが1つの足掛かりだという感覚でした。何度も言うように僕の目的は、チャッカマンの活動を通して、もう一度彼らとバンドを組むことです。


ここで年末ライブに引っかからない場合、自分の限界はそこまでだという事で、バンド活動を止めていたと思います。


オーナーさんに言われました。


「血走ってるね~。そこがいい。それが出演を決めた理由かな」と。


確かに、ギンギンだったと思います。それくらいしないと、もう1回、以前のバンドを組むことは出来ませんから。


この年末ライブは、界隈でちょっとした恒例行事になっていて、周辺のライブハウスやバンド内でも、今年は誰が出るのか?と話題になるほどでした。


その周辺のバンドの中に「彼がいる」事を知っていました。


多分この時点で、僕の名前は彼に届いたと思います。


ライブのセットリストは揉めましたね(笑)


ドラムは気合が入りまくっていて、ちょっと周囲が見えなくなっていた気がします。


僕は、セットリストは「王道」をぶつけるべきだと主張しましたが、ドラムは「いや、新曲もかまそう」という主張でした。


最終的には、王道リストに、2曲だけ新曲を盛り込むという形で落ち着きました。


ちなみにこの頃、バンド仲は悪くなかったのですが、ベースは入れ替わっています。


ちょうど、オフ会での投げ銭ライブでお金が回り始めたころの事です。


ベースがお金を持って逃げました。


確か15万円くらい持っていかれました。


ある程度そういう事があるかもしれないと覚悟していましたが、これは結構きつかったです。


お金が回り出してから、態度が明らかに変わりました。


周囲の人間に対して横柄な感じになっていきました。まるで、前回のバンドで成功した僕のように。僕は、都度注意しました。そんな事をしても、ロクな事にならないと。


残念ながらこの声は届かずでした。


「分かってるって」


彼の口癖はこれでした。


彼の評判はどんどん下がり、あんな奴をバンドに置いておいていいのか?と周囲から言われるようになりました。僕とドラムとギターは、確かに悪評が目立ちすぎていると思っていました。


このままだと、そろそろバンドを出て行ってもらわないといけない。そんな話をしようと思った矢先、彼が練習に現れませんでした。


お金を持って逃げました。


これは僕が甘かったです。お金を預けるのを彼に任せたのは僕でした。収入が回り始めた頃、お金の管理を誰がするかという会議をしました。その時のベースは、まだまだ明るくていい奴という印象でした。


彼が明らかに変わったのは、お金を渡してからでした。


僕は、お金を渡していい人とダメな人の区別がついていませんでした。


彼が逃げたと分かった後、バンドメンバー及びグループメンバーに全力で謝りました。


メンバーは「仕方ない。俺たちも見抜けなかったから同罪だよ」と言ってくれましたが、グループメンバーからは、きちんとお叱りを受けました。


当然のことです。お金を預けてくれた方々ですから。


僕は、今後のお金の管理は僕が徹底することと、再発防止として「収支の公表」及び「口座の開設」を約束しました。当時は、本当にどうしたからいいか分からず、めちゃくちゃへこみました。せっかくレベル100まで上げた人気を落としてしまう事になるのがすごく怖かった。


でも、逃げることは出来ません。


グループメンバーとは、目と鼻の先の距離感で繋がっています。


僕にできる事は「同じ失敗を2度と起こさないこと」と「もう1度、人気を取り戻せるように誠心誠意対応すること」だけでした。


結果としてこの事件は、僕にすごく大きな学びをくれたと思います。


本気で謝り、もう1度と伝える。


もちろん、これが原因で離れてしまった人もいます。でも、多くの人がこの事件を機に、さらに僕たちを応援してくれるようになりました。


若いから、失敗する事だってある。そういう気持ちと、それでももう1度と謝る姿が、1つになる機会をくれたのだと思っています。


収支表の付け方なんてわかりません。でも、レシートをしっかり記録して、毎日帳簿を付けて、月末にはきちんと写真を撮影し、皆様に公開するようになりました。


お礼の言葉と、次月は何をするかを添えてです。


空席になったベースも、すぐに新しいメンバーを見つける事が出来ました。なんと、ドラムが以前やっていたバンドのベースです。


ドラムは、僕がベースにお金を持ち逃げされたことで落ち込んでいる時、同じように申し訳ないという気持ちを持ってくれていました。バンドをやっていてよかったなぁと思う瞬間でした。


今回は、孤独な運営ではなかったわけです。


「自分にできるのは、優秀なベースを連れてくること」


そう言って、前のバンドのベースに頭を下げて加入を促してくれたのです。ドラムが以前やっていた音楽は「ハードコア」です。リズムが肝になる音楽。このバンドのベースは、ドラムと同様、バンドを引っ張るだけの演奏力を持っていました。


そして、このバンドが解散した原因は、ドラムとベースの方向性の相違からくる不仲でした。


年末ライブまであと一歩という状態で、急にベースが抜けてしまった。その上、お金も持ち逃げされている。バンドは一気にガタガタです。どんなにうまいベースを連れてきても、今まで通りのバンドを再現するのは難しい。


なんなら、応援してくれている人の事を考えると、今まで以上のバンドをお届けしないといけません。


こういう時、再現性を突き詰めるならば「演奏力」よりも「呼吸」です。


ドラムにとって、一番呼吸の合う人間は、以前組んでいたバンドのベース。誰がどう見ても、一番納得のいく形です。知名度も力もありますからね。確実にバンドをパワーアップさせてくれました。


ドラムの彼からすると、一度ケンカ別れした人間に頭を下げるのは苦しいはずです。10代の男の子、それもバンドを本気でやっていた人間からすると、頭を下げるのはすごく大変なことですから


でも彼は、自分のプライドよりもバンドを選んだ。


凄くカッコイイ奴ですよね。今でもこのエピソードには惚れ惚れします。


ギターも、今まで以上に積極的に、グループメンバーと接触してくれました。彼はいつも「このバンド楽しいです」と言ってくれました。


絶対パンク向きじゃない性格ですが、ステージで豹変する姿は面白いし頼もしい。


僕からすると、あの時ギターを壊してよかったと思います(笑)


彼でないと、チャッカマンのギターは務まらないでしょう。


ベースと合流し、今までのオリジナル曲やコピーした曲を渡すと、10日足らずで、ほぼ完ぺきにさらってきてくれました。凄まじい才能だなと思いました。


バンドにも重厚感が増しました。


これが、ハードコアをやっていた人間のリズムキープかぁ。


感心を通り越して感動したのを覚えています。


問題を何とかクリアし、結束力を高めた結果「年末ライブ」を掴めたわけです。


絶対に失敗する事は出来ません。


当日は、持ち時間45分で8曲やりました。


こんなに長い時間ステージに立ったのは久しぶりでした。


ステージの詳細は覚えていません。全身で感じる血のめぐり、今まで感じたことがない客席からの圧、いつもよりも熱い照明。


覚えてないですけど、印象に残っているライブは?と聞かれたら間違いなくこれを上げます。


それくらい、充実していました。あっという間に時間が過ぎました。


その後の打ち上げは楽しかったです。


みんなで泣いたんですよ(笑)


たった半年、されど半年です。グループに入ってくれたメンバーが「良かった。良かった」と言ってくれた時、嬉しさと安堵の気持ちでいっぱいでした。


1歩間違えれば大惨事です。


昨日の記事でも書きましたが、僕が預かった期待値は「完全に僕が扱える規模を越えてました」から。


どうして乗り越えられたかといえば、間違いなく1人じゃなかったからですよ。


バンドのメンバーと、僕たちを支えてくれるグループメンバー、全員で進んできたから乗り越えられたんです。


これが、僕が初めてやった「マネジメント」と「チームビルディング」なんじゃないでしょうか?


高校生には、荷が重い案件でしたね(笑)


年末ライブは、多くの方からご好評をいただきました。特に嬉しかったのは、オーナーさんからの「バイオレンスだったねぇ」という言葉です(笑)


僕は、このライブハウスを拠点としながらも、次のステージへ進むことを決めていました。


これは、メンバーにも共有済みでした。何より、グループメンバーから「次はなにするよ?」と言われていました。今見ている景色にずっといても面白くないです。


みんなが求めているのは、熱くてハラハラして、ワクワクするような体験です。


だからこそ、他のライブハウスを回り、面白い出来事を探さないといけない。そんな風に思っていました。


正直この頃、もうこのバンドで突っ走ってもいいんじゃないかな?


そんな事も考えました。だって、凄くいいバンドじゃないですか?(笑)


高校は手違いで理系コースに進んでしまい、全然楽しくなかった。これだけの環境があれば、高校を辞めて、このバンドで食っていっても・・・そんな風にも思ったんです。


高校生です。まだまだ世間を知りません。目の前の、恵まれすぎている環境に飛びつこうとするのは自然なことでしょう。


でも、そうもいかなくなるんです。


僕の携帯のディスプレイに「懐かしい名前」が表示されました。


「久しぶり。ちょっと話さないか?」


そうです。以前のバンドで僕が運命を感じた、ある意味で僕の初恋の相手、あのギターから連絡がきたんです。


来ると思っていました。


絶対に来ると。


僕は「いいよ!」と返しました。


ここから、彼がやっているバンドとの対バン話が持ち上がります。


そして僕は、高校に通う目的が生まれ、チャッカマンの在り方と天井を見て、なんやかんやで受験と向き合う事になるのです。


はぁ~、しんどい(笑)


この辺の話は、結構鮮明に覚えています。


まさか、こんな物語のような書き方をする日が来るとは思いませんでしたが(笑)


僕にとって、チャッカマンは「完成形」です。ちなみにチャッカマンの話、妙にリアルじゃないですか?


それもそのはず、この記事は「チャッカマンのメンバーの話を聞きながら」書いてます(笑)


今でも彼らとは仲良しです。


みんな、ちゃんと自分の人生をまっとうしています。


どうしてチャッカマンとして、ライブをしないのかといえば、もうあの時の攻撃的な雰囲気を出せないからでしょうかね。


今の僕たちがやったらウソになるでしょう(笑)


もう30歳目前ですから(笑)


彼らとは、チャッカマンという名前ではなく、音楽性も全然違うバンドをしています。今の僕たちの雰囲気や経験にピッタリなバンドを、自分のペースでやっています。


こんな風に、一生の仲間を作れたのも、あの時の頑張った経験のおかげです。


明日は、VSギターをお送ります。


僕にとっては、高校生活のラスボスでしょうか(笑)


好きで、なんとか口説いて、でも別れてしまった最愛の想い人に自分の成長した姿を見せる。


そんな気分です。


出来るだけ、生々しく書きたいなぁ(笑)


・・・・・頑張ります(笑)


それでは、続きはまた明日!

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