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セブン・イヤーズ・イン・舞鶴

映画「チベットに7年間」の感想です。舞鶴は何も関係がない。

つまりセブン・イヤーズ・イン・チベットです。

以前、ブラッド・ピットが出た映画では、彼が萌え萌え人外キャラクターになって、現代2次元文化でいうところの「異世界転生した俺が悪魔で人間と恋に落ちちゃって!?」みたいな仕立てになっていたという感想を書きました。

今回のセブン・イヤーズ・イン・チベットもいうなればダライ・ラマという異次元の存在かけるブラッド・ピットて~て~(尊い)みたいな関係性おたくに突き刺さる感じの造りになっている。ところでこのてーてー的な表現ですが、本来の表記が共感性羞恥高すぎてぼくにはできないのでこのような表記になりますが本筋に関係ないためお気になさらないでいただければ……

漁るように映画を見ているため、ブラッド・ピットが見たくて見ているわけではなく著名な映画に彼が出てくるだけなんですが上記のように期せずしてブラッド・ピットのつらばかり拝んでいる。

つまり彼がどのようにハリウッドに、世界に受け入れられてきたのかという歴史を追体験しており、まざまざと栄光みたいなものを見せつけられているわけなのだが――――――ぼくのようなおたくみてえな奴でも感じ取れる「おたくにささる文法に従ったコンテンツ造り」と同じ構造であるとも形容できることに、上記までに触れたように気づいた。

これはつまりおたくを喜ばせるやり方がイコール、ハリウッドでも通じんじゃね的な理論を匂わせているとも捉えられなくもないんじゃないかと思いそうになるんですが、よくよく考えれば萌え萌え文化が勃興した――――――といいますか定着した?――――――のはハリウッドなんかよりも全然後。

こうなるとおたく文化の勃興そして定着はハリウッドを、あるいはブラッド・ピットをなぞった可能性がある……とか言ってしまうと、ブラッド・ピットみたいな陽キャ代表どころか陽キャ通り越してぴえん通り越してぱおんぐらいのベンツSクラスと比肩させようとしてどないすんねん?みたいな理性が流石にぼくの中にも働き始める。

つまりたまたまでしょう。人類文化には斯様な構成のコンテンツが上手く機能する。

自分のことを話してもしょうがないですが、ぼくは今あげたような転生がどうのみたいなコンテンツにほとほと興味が持てない。ただ関係性みたいなあれそれについてはぼくが普段から書いているカテゴリにおいて判断基準のひとつとなり得ることもあるのですが、それがビジネスシーン的な展開(ビジネスライクという単語はあまり使いたくない)に組み込まれた結果、提示されているのだと理解できてしまうと途端に興味を失うように心的作用がはたらいてしまうようになりました。

だからぼくは映画ばかり見るようになってしまったのかも知れない。チベットに7年間についての感想はまだまだあるので、近くに書きたい。おやすみなさい。

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