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映画『FALL』の感想

映画『FALL』を見ました。ヘッダ画像をお借りしています。

ヘッダ画像をお借りする上で本当は夕暮れの鉄塔を借りようと思ったんだが、トラウマレベルで見たくなくなる。この映画を見ると。なので日本の田園にした。

アメリカのホラーやスリラーは日本のそれと違い、五感をフルに痛めつけてきます。日本の「ただ静寂が連続した中で急に巨大な音や異形を出して怖がらせる」のはホラーではない。ただの「驚かせ」で情けなくなってくる。

『FALL』はそんなアメリカのスリラーの典型的な要素を持ち、独自の視点から心理的恐怖と生存の葛藤を描いています。ただの物理的な高さの恐怖だけでなく、キャラクターの内面の痛みや喪失感がきつい。


命をかけた挑戦

『FALL』の主人公ベッキーは、夫ダンを事故で亡くした悲しみから立ち直れずにいて心に深い傷を負い、アルコールに溺れ、自殺まがいの行為をしていることに救いようがない。

親友のハンターが訪れ、ベッキーを立ち直らせるために地上600mの超高層鉄塔「B67テレビ塔」に登る計画を持ちかけた。この時点でオワです。同情の余地が消え失せて、もはや見る側は純粋に恐怖を楽しむことになる。

それが楽しめると思うのであれば……

主人公助かってくれ!とか思えるのと思えないのでは、そこそこ内容が違って捉えられるような気がする。

ベッキーが過去の悲しみから抜け出し、新たな一歩を踏み出すための象徴的な行為などと呼べるのだろうか?鉄塔の頂上でダンの遺灰を撒くシーンは、過去との決別だとか、前に進むための儀式みたいに美化すべきだろうか?

恐ろしいまでのSNSへの執着とかが書かれてる以上、映画全体に漂うのはむしろ現代社会の空虚さとそこからの逃避の必死さだ。ハンターがYouTuber「デンジャーD」として活動しているという設定は、この物語の皮肉を象徴している。

危険な冒険を通じて得られる一瞬のスリルと視聴者の称賛。それが彼女たちの行動の原動力であり、その一方で彼女たちを縛り付ける鎖でもある。

高所の恐怖と心理的な葛藤

鉄塔を登る過程での描写は手に汗握る……といえばいいんだろうか。錆びたはしごや軋む音は観客に物理的な恐怖を強烈に感じさせる。高所での孤立感と無力感は、単なる身体的な恐怖以上のものを伝えてくる。これらのシーンは視覚的にも心理的にも観客を捉え、まるで自分がその場にいるかのような錯覚を起こさせる。徹底して空の描写しかないからマジで五感が痛い

一方ハンターのSNS依存や、ベッキーの過去に対する執着といったテーマは、現代の若者が抱える問題を浮き彫りにしている。高度なテクノロジーと瞬時のコミュニケーションが可能な現代社会においても、彼女たちは本質的な孤独と戦っているのだ。

人間関係の闇

映画はまた、友情と裏切りというテーマも描いている。ハンターが隠してためんどくさい事実が明らかになるシーンは、二人の関係に大きな亀裂をもたらす。しかしこの告白が二人を崩壊させるのではなく、逆にベッキーは助かるんだろうなという感じを顕著にする。互いの理解を深めたかどうかはわからない。ここで示されるのは、人間関係の複雑さと、それがもたらす感情の深さだ。

ハンターの「143」というタトゥーは、ダンが使っていた特別なスラングだった描写は夢の中でやられたけどそう使うのかと。あっちじゃ入れ墨が軽すぎてどう受け取ればいいのかわからん。これは文化の違いとしてあまりにも大きい。

生存への執念

クライマックスに向かって二人の状況はますます悪化し、絶望が深まっていく。頂上部に取り残された二人は、限られた資源と知恵を駆使して救助を待ちますが、ドローンや信号弾を使った救助の試みはことごとく失敗に終わる。助けが来る見込みがほとんどなく、ベッキーは生きることの無意味さに直面します。

特に印象的なのは、彼女たちが絶望的な状況の中で見せるのは不屈の精神ではなく、むしろ無力感と諦めの連続です。どんなに努力しても状況は好転せず、生き延びるための最善を尽くしても、それが必ずしも希望に繋がらない現実が突きつけられる。つまりこんなバカなことはやめようと言っている。

助けの乏しさと現実の受け入れ

映画の終盤で描かれる救助の試みの数々は、彼女たちがいかに孤立し、助けを得ることが絶望的であるかを強調しています。これは現代社会においても感じることのできる孤独感や無力感を象徴しています。

絶望的な状況の中で逃れられない現実を受け入れるかどうかは死に直結するので怖すぎる。半径1m以内に死がある映画だってことですね。怖すぎ

どんなに努力しても報われない状況が続く中で、観客は生存への執念が必ずしも希望をもたらすわけではないという冷酷な現実に直面させられる。ぼくなら鷹に捕まって飛んでしまうだろう。

まとめ

『FALL』は高所の恐怖を描いてこんなアホなことすんなよと広く世代に呼びかけている。ベッキーの生存への執念とその過程での絶望と挫折は、観客に関わりたくないという一心をもたらす。

五感を刺激する映像表現と、心理的な緊張感を巧みに織り交ぜたこの映画はスリラー映画としてだけでなく、現代社会の冷酷さを映し出した人間ドラマとしても完成度が高い。

映画を観終えた後ぼくはベッキーのように困難に立ち向かうことの空虚さと、映画で地上600mにいることの実感があじわえることの恐怖について考える。FALLは単なるエンターテインメントを越えた冷酷な現実を突きつける話です。

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