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お疲れ様なのらね公式グッズを早く売ったほうがいい

しかし結論としては売らないんだろうな、売るべきでないのかもなというこのジレンマ的思いについて書いていきます。ヘッダ画像をお借りしています。多分話題が飛び散るのでここ含めて何回かに分けて書くことになるだろう。

ぼくは自分が見てる実況について別にいちいちこういう場所でアウトプットしないんだけど(こういう場所はそういうことを大いにアウトプットする場だと思う)、このマイクラホロ鯖ハードコアに至っては約一週間開催期間が限定されてたとは言え、トータルで3回も書いてしまった。見る意味はないが見たければ数日遡れば残りの2つが読めます。

お疲れ様なのらねとはこのハードコアたる由縁でありなんらかでマイクラの自キャラが一回でも死ねばもうこの企画自体に参加できなくなるというもの。

というものっつって全然説明になってないですが、マイクラハードコアではHPのハートがなんか怖い絵になっていて、全部削れたら死ぬ。タレントが参加してるゲームでは以降遊べなくなる。ゲーム内でのコミュニケーションが取れなくなる。仲間の輪に入れなくなる……と言ってしまうと語弊があるか。

それぞれ慎重にゲーム内で過ごしているからなかなか誰も死なないけど、たまに死ぬ。それに対してどうリアクションすべきかわからない。だってたとえゲームだからって上記の通り当人だって粗末にしたくなかったはずの命を失いたくなかっただろうに、声のかけ方なんてわかるわけがない。

ましてやマイクラでの声掛けはチャット。文字の羅列は会話より重いということは意外と知られていない。特にそれはぼくらより上の世代に顕著であり、最近ようやくまるはらという形で顕現したが、それはめちゃくちゃ余談である。

お疲れ様なのらねはそんな中唐突にチャット欄に躍り出た。確かにお疲れ様ですね。今までよく頑張ったね、復活できないからもうここでお別れだね。日本人らしくお疲れ様で別れよう。という意図は至極まっとうなのだが、お菓子の国のお姫様が旅立つ者にかけている弔いの声だと理解しようとすると誰もが爆笑する。していた。

最終日に参加した多くの仲間がお疲れ様なのらねと言ってサーバと別れた。

別に言わない人を責めているわけじゃない。日本の様式的に、姫森ルーナより後輩の人は言いづらいことだろう。

このように、どうやってお疲れ様なのらねが生まれたのかの経緯(なんたってその語が生まれる元となったイベントすら見ているわけだ。それは数日前に書いた)を視聴者はともに体験しており、タレントたちがお疲れ様なのらねの操るように、例えばその視聴者がんなファンであるなら、ゲーム終わりのチャットなりリプ欄にお疲れ様なのらねと書き、タレントと同じ言葉で会話することになる。それはもちろん一方的なものでしかないけど。

となると、まさに今のぼくがそうであるように、自分の体験を彼女たちの追体験としてアウトプットとして披露する。これも数日前に触れたがウェーブ消費、インタラクティブ性があると錯覚してやるそれなんだけど、さらにその以前からぼくがやたらと言っているように、そしてすぐ上部で言ったように割と錯覚でしかない。お疲れ様なのらねという感想をあまりに手軽に出力できるSNSなり書き込み欄があるからやっただけで、帰ってくるのはそれを打ち込んでる全体に対してまたね~~~みたいな挨拶ぐらいです。それが嬉しけりゃそれで良いんだろうけど、ウェーブ消費、応援消費とは見返りなどなくおこなわれるものらしい。

つまり錯覚なので、自分が体験してるかのように感じてしまってるんだけど結局は映画を消費するのと同じようなものでしかない。でも、体験とは生きた証、自分がその場にいた証であるので、ぼくはこのようなエントリ─────つまりマイクラホロ鯖ハードコアにおける「形」としてのお疲れ様なのらねT-shirtなどを自然発生的に求めたのだろう。何らかの「事象」を見守った関係性おたく的な考え方が消費を生むみたいな。といいますかこのサーバは関係性の塊みたいなものだから、そういうファンにはたまらなかったのではないだろうか。往年のファンにこそ刺さる仕組みが確かにそこにあったんじゃないかと。発案者からそこまで意図されたのかどうかはわからない。けどあまり喋ったことない面子とクエストを終わらせると報酬が上がるみたいなのからはそんな感じのことが読み取れてもおかしくない。

でも割ともともと近しい仲間といたり、そうじゃなかったり色々あった気がする。そう多く視点は見なかったけど、ぼくが見ていたのはもともとの仲間とつるんで、そこにプラスアルファで誰かがやってくるみたいなのが

話があまりに長くなったが、だからお疲れ様なのらねグッズがあって然るべしだと思った。んなたんは以前も名言を残しており、それは2年ぐらい前のホロ鯖運動回、これもまたマイクラであり、競技の感想を聞きに来たレポータに対し、んなたんがいるチームのそれぞれが感想を言い、じゃあ別のチームに聞きにいきますねとレポータが去ろうとした時に「お疲れ~い」と言ったら全員が爆笑したというものである。

不思議なことにこのときも疲れをねぎらう日本人特有のそれをお菓子の国の同じ姫から発されていたのだと気づく。この様子は手書きでわかりやすく見られる。

この時のんなたんはルーナ監督と暫定的にチームリーダの大空に呼ばれ、まさにこのもものふ絵が示すような貫禄がある。獅白が別にこのように三下みたいに運んで来たわけじゃないのだが、アレンジとして理にかなっている。

同時に昨日はこのハードコア内で起きた風真の戦いのさまと、カエラ・コヴァルスキアと轟はじめの親子のようなやり取りについても話したがこの後者(なんだったら前者の様子が公式イラストT-shirt化したらそれはそれでなのだが)についても、JDON MY SOULという期せずして生まれてしまったネットスラング的なもので結ばれた絆だった。

そしてこのJDON MY SOULについても、海外で重宝されており、上記であげた例と同様「ファン発ではない」ので、公式化してもいいと思うんだけど色々問題があるのかなあと思った。

JDON MY SOULなんてアジア圏のファン、英語圏のファン全員を結べるツールであり、だからこそカエラ・コヴァルスキアの献身的なサーバ貢献が合ったのかも知れないとも思える。つまりベールズの企画で出会ったはじめのために、はじめがハードコアの世界を最後まで楽しめるように自分にできることは何でもするという姿勢だ。20時間ぐらい(30時間?)寝なかったり、ネザライトとかダイヤとか交易所とかとんでもない労苦を苦とも思わずできたのではないだろうか。勝手な想像だけど

JDON MY SOULと書かれたベールズが点を仰いでいる服を着たアジア圏の人や英語圏の人々が台北とかでよく開かれるアニメイベントで合流する様は用意に予想できる。

ぼくはネットスラングみたいなものは語気が強すぎたり極端すぎたり、果ては知ってる側と知らない側を分断するためにしかないと思うので基本的には嫌うが、JDON MY SOULがつなぐ国境の数を思うとこれは異質であると理解した。

そしてお疲れ様なのらねもお疲れ~いも、JDON MY SOULも語気が決して強くなく、誰も傷つける言葉じゃない。そういう優しい言葉がスラングとして表面化することは珍しい。希少な機会である。次回があればそのようなことについて触れながら、マーチャンダイジングの難しさとかについて考える。

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