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時代はずれな新聞のイキがり

朝日新聞のアテンションマーケ的な主題の書き込み欄的なのが情報に溢れている。ヘッダ画像をお借りしています。

ここまでいくともう中(新聞社の中、つまり社員同士)にいるとわからんし、外から見ると中のそれが腐敗してるのかどうかもわからん……みたいなところになっちゃうのかなと思える。一般論みたいなことを言って、何か申した気になりたいわけじゃないんだが、社外取締役みたいに外部の知識人が客観的に言ってることが結構同じ意見なのに内部はそれに反発してるところを見ると、救いようがあるのかどうか難しそうだな、と。

当該書き込み欄にはまずこの意見を書いた西田みたいに大学教授とかそれなりの権威がある人が溢れており、ちまちまとその社員もいる。

中で必死こいて変えようとしてんだろうがこっちは、という中の者どもの怨嗟の声にも見えるし、古き良いそれが最強だし俺の色だしなんら変える気などねえ、という自画自賛にすら見える。どっちもこの紙が嫌われる理由に思える。どんだけ嫌われてんのかどうかは知らないし、興味もないが……

特に「あ、やっぱ」と思ったのがこの人の独自表現(えもい)に対してまず真っ向から異を唱えてるあたりですね。別にそれが今から紹介する例と同じ人とは思わないが、ガチで鼻息あらく最新の文化と真っ向対立したがるようなやつが新聞社内に別にいるならむしろそっちのほうがこわいかも、と。

この時は、句点を使うことがまるハラスメントと言われているが、俺はそんなこと気にも留めねえ。何が起ころうとやめてやるものか、と言っている記者が息巻いて新聞の一面で猛アピしてて、もはや新聞を、いや……最低限、この新聞をもはや文化の一員と呼ぶことは控えるべきとなった瞬間だ、とぼくは結論づけた。

句点が嫌ってやつがこの世にいるんなら、同じ国にいるんならそら文化だろうが。切るんだってよ、それを。俺は正しい日本語を使ってるから何も悪くないんだと。すげえな昭和か?そんな連中が人並みに金を寄越されて生きている現実がこの世にあるなんて不思議な限りです。それも自分たちはさんざん移民だなんだ就労生を差別すんなとか一面レベルで掲げておいて、自国民を差別するんだとよ。……

やってることがもうなんか「世の中には新聞を買えるような立場のお前なんかよりもこんなにキツい人々がいる。せいぜい朝からこんなに大量の凄惨な過去を抱えた人たちの苦しみを一つでも多く味わえ!!!」だけ、なんです。

ついでに上で「ちまちまとその社員もいる」と書いたが、なんだか知らんがこの書き込み欄は時系列順に並んでいない。……

その知識人たちの書き込みが時系列順に上から下へ流れるようになってい、新聞社社員の書き込みは意味不明に下にまとまっている。なんだそれは……?

そのおかげで(結果その意味不明な悪習が特に悪影響を及ぼしちまってんのかもしれないけど、分析してあげるような利をぼくがしてあげる義理などないからしたくない)、各知識人たちが「この書き込み欄を見てもわかるように、どうにも新聞社の人たちは(上記西田の指摘を)否定する感じなんですね」と書き込んでも、その直上にもはや新聞社の奴の書き込みがないからすんげー「議論場として不自然」。

もはやその価値をなくしつつあることが今ぼくが書いたことからもわかりつつあるのでその限りではないのだが、曲がりなりにも言論をどうにかするメディアの一角を担っているんだろうに、その議論の見方もあやふやってのはプラットフォームとしてまず破綻してんじゃねえの……と指摘せざるを得ないんだが大丈夫そ?の境地にぼくはいる。

なんか「俺たち国家を監視してるウォッチドッグスの機能は果たしてっからそれ以外は好き放題しま~~~つww感謝しておけや?」とか言ってるように見えてしまう。

そのためならアテンションマーケティングも厭わないのだ。

いやその……お前らうぜえからなくなれ、みたいな極端なことしか言えないネットおじさんみたいなことは言いませんよ。だって小紙より腐ってるお政治のほうを監視する人がいなかったらもう人々が稼ぐ金はあれ(う……うらがね。裏金。気持ち悪い単語なのであまり使いたくない)共に取られるためにしか存在しないわけですしね。

せめて統一してくれへん?と。アテンションマーケはやめて、金払ってるじじいばかりが喜ぶ思想はやめて中庸を選び、句点が怖い人の気持に寄り添うとかさ、と……(もちろん小紙の人々に言わせればこんなの事実を書いてるだけでどこもアテンションじゃねえよ、と言うだろうし、その「言い返し」をむざむざ否定もしないけど)

決して連中を庇い立てしたいとは思わないのだが、困窮者支援の人が言うような「こんな悲惨な環境で生きてている人がいてかわいしょうでちゅね」なページばっか作ってないで、データとエビデンスに基づくページを作れば?

……と思うし実際その通りなんだけど、ガチでそれだけになったら見たこともない数字や見たこともない規則に伴ったデータばかりの紙面になり、「読まれなさ」の促進を生んでしまうからこそ、問題の一端に興味をもたせたいがためにそのような「誰々がこんな悲惨なエピソードがありまちゅ」文をやっている、つまり問題の本質に人々を気づかせるためのアテンションをむしろやっているのだと……いう……最後の言い分がある。なぜぼくは言い逃れの余地を与えてしまうのか。

と思ったら

こうした記事は、グラフだけ見ても面白いので十分に訴求もします。また、データは更新をすれば使い回しもききますし、朝日新聞のような大きな会社であれば各部署でシェアして参照して記事を作ることもできるでしょう。データアーカイヴみたいな部署もあるとは思いますが、更新し続けるなどしてうまく運用すれば、それだけで大きな財産となります。

という言い分があった。ぼくなんかより、どころかデータを専門的に扱ってる人が言うのでそりゃもうそうなのだろう。うーん……言い分を与えたが意味がなかったかも。

ともあれ、でもそんなもの(データのことじゃなくてお涙のほう)、ぼくは「朝から人の不幸を見せつけ文」にしか見えない。

たぶん連中(新聞社)に言わせれば「SNSやクソ以下のネットニュースにそんなん溢れてるからってお前ら(読者)は言うけど、俺らの書くお涙頂戴はそいつらのとは全く質もレベルも違うんや」ということなんでしょうね。ぼくはどっちも読む気がしない。

*

いわゆるインターネット黎明期に、その頃ぼくは死んでたから立ち会ってこそないから知らないんだけど、良く知らんからこそ想像する。

鬱積して溜まってたような各紙への不満みたいなものが匿名で粘着質に書かれまくったんじゃないだろうか?それはもう今で言うところの完全な侮辱とか名誉毀損レベルのことが野放しになってて、各紙は当時の対応とかマジで地獄みたいなもんだったんじゃないかなと。

インターネッツの初期悪意を一手に引き受けたのが、斯様なメディアだったのかな、と。別に同情はしないけど……

で、それ系のかわし方としてこのような”クソ玉虫色”なやり方が彼らの中で確立されてしまい……ある意味「成功体験」だ。それをこのように、結果続けてしまっていると。

だから句点を怖がる若い人の気持ちなど見捨てるし、自社に金払ってくれる爺にはへこへこする。テレビ欄が見づらい読者など、ティファニーだかエルメスだかなんだか知らねえが大口の広告顧客のためなら平気で犠牲にする。アテンションのためなら金払ってる読者をも見殺した。少なくともそのような社員がここの構成員にいる。恐ろしいほどの金満主義、営利主義だ。裏金まみれのカス政治おじたちからそこを糾弾されたらどうすんの?と思う。もちろん裏金カスごときこの世のどの言い分にも勝てるわけはないのだが。

じゃなかったら句点が怖がられてるのにぜってえやめねえ、なんて日本を代表する新聞の一面に書きますか?



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