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朝日新聞を1年間ただよみして気づいたこと

別に万引とか不正行為ではなく、所属する場所に毎朝配られるから「仕方なく」読んでいた。次の朝に回収屋が来て燃やされるだけなのが #もったいないから 読んでいる。ヘッダ画像をお借りしています。

もう少し言い訳しておくと彼らは別に望まないだろうけど、ただ捨てられる紙がぼくの生きる何かにつながれば存在した意味があっただろう。つまりSDGsの意味も持っているのだ。

世間のイメージ

朝日新聞に対するイメージは別に良いものじゃなかった。ただだから読んだ。けど報道機関というメディアとしてそれなりの便益があるとは思っていたし今も思う。便益がなきゃこんなに長く続かないっしょ

良いイメージじゃない理由は「ネットで当該出版社をバッシングする奴の声が面倒そう」だからというものです。別にぼくはこれを達成したあとにおける朝日新聞に対するイメージはそんな変わってないけど、そりゃ是正すべきなんじゃね、という部分もしぬほどあることに気がついた。だからって別にあんたらは変わんねえよな、とも理解する。1年読んじゃったら流石にわかる。変わりゃ将来いいことあるかもしんないのにね

なんだか知らんし関わりたくもないけど、小紙(小紙とは当該出版社に所属する人間が自らを卑下して言うためにある単語なので、ぼくが使うのは筋違いだ。弊社みたいなものだから)を攻撃する連中の言ってることは言ってることで偏りすぎている。もちろん糾弾対象が偏ってるから、つまり小紙における主張が偏っている、気に入らねえということでしょう。否定はしないしできない。

なんでそんなイメージがあるのか

その偏り方は様々だ。北国にいるカスを否定するし、政権を否定するし(といいますか報道メディアとは常に監視機関の役割も持たねばならないため、別にまた民主党や別のとこに与党がなったところでぶっ叩いてくれるものだと信じている)、中国が陥ってる全体主義を否定するし、人々が外国に習ってマスクを外しつつあることでウイルスが再び結構拡散するだろうことを危惧しもうちょっとマスクはつけ続けるべきだと言っているし、極論しか言えないYoutuberを否定するし、在留外国人とかの人権についてかなり「もっと持たせてやれ」的な考え方をもっている。そのどれかについてはぼくは別に同調できないことはないが、必要ないためここには書かない。

これだけ見ても自国民最優先主義みたいな奴とはぜってえ折り合いがつかなさそうなことだけは理解できますね。いわゆるTwitter上では、「関わるべきではなさそうな人」の見分け方としてこれが活用できますが角が立つため言わない。

常に社説(当該出版社のご意見表明ページみたいなものだ)では上記の理念が書かれるし、理念に反することが社会だろうが永田町の中だけでだろうと起これば、真っ向から全力で否定する。言われた側は鼻につく。正論言われたから頭にくるのだろう。つって別にぼくは朝日新聞の味方をするつもりはない。

読者至上主義はどこいった(資本に尻尾をふるな)

新聞とは情報というリターンを便益として届けねばならない。それは一貫していると思うが部分的に否定する。ぼくはいわゆる朝日新聞のことが嫌いでしょうがない人たちと思いをともにすることはない(果たしてそんな人達は本当にいるのだろうか、ぼくの思い込みではないのだろうか、その可能性はあまり否定できないほうがいい気がする)が、読者至上主義ではない連中だと理解している。

それはラテ欄の扱いだ。通常新聞の最終面、最終ページとはテレビ番組表が載っていますね。月曜休刊日だけは真ん中に来る。日曜と月曜の見開き状態にして使ってもらうためだ。ユーザーライクでえらいと思う。マーケティングをきちんとしている。でもそれは何十年も前からやっていることで、現行の社員たちが便益を意識できているわけではないことが想像される出来事がある。

それはLOUIS VUITTONの広告を小紙に載せるときだ。次の日は休刊日でもなんでもないのにラテ欄を真ん中に持って来、本来ラテ欄がある最終ページに何のセンスの欠片もないLOUIS VUITTONの広告を載せるのだ。

新聞の便益とは情報だと言った。ならば家庭においては新聞ユーザではない人間にとっての便益も考えるべきだろう。すなわちテレビユーザが次に見る番組を知りたいがために新聞を利用する場合である。いつもなら、さっと新聞を手に取り広げるだけでそれが実現できる。なのに全く理解できないLOUIS VUITTONへの謎忖度(そういう契約だろうとなんだろうとユーザに不便を強いている時点で知ったことではない)が発動し、その日についてはテレビユーザはくそめんどうな「新聞をめくりまくる」という行動をせねばラテ欄にたどり着けないのだ。

新聞に何百年と金を払ってるのは、購読者だ。それがぽっと出の成金メーカーの気まぐれマネーひとつの前に犬で言う嬉ション状態になり、アヘ顔最終面不便忖度を読者に強いるとは報道機関として見下げ果てた商魂と言えるだろう。

何なら資本主義の監視役ですらあるべきなのに、強大な資本の前に初志貫徹をへし折っているのです。

朝日新聞にとって一番偉いのはLOUIS VUITTONなのか?

情報のセカンド・レイプ

あと報道する内容についても、気に入らない人にとっては気に入らないんだろうなと思えることはある。日経とかなら大々的に報道することをしなかったりみたいな、載せる情報の取捨選択をしている(なんたって自分の会社の新聞なんだから、毎朝配られる20枚の紙に何を載せるかなんて自由だ)時点で情報は「意図的に」偏らせられる。そんなん気に入らないっしょ(なんであれは報道してこんなこと報道するんだ、的な。春先のなんかの詐欺の時に思った気がする)

監視機関なのはいいんだけど、世間にはどんなカスがいるんだってことを知らしめたいがためになんっども何度も同じ情報を書くというセカンドレイプみたいなことを何のためらいもなくやることも割と露悪的に見える人には見えるだろう。

やれ米の上に海産物を乗せる食べ物チェーンで悪事をした者に対する報道をする時はそのことをいちいち読者に思い出させて不快にするし、ブログにひでえ投稿をして世間を騒がせた奴のその投稿内容とかも毎回載せて来て不快にしてくるし、こんな発言をした偉いやつがその後糾弾されたならそのゴミ以下の発言内容をいちいち再掲してくるし、情報で人が傷つくかどうかにおける配慮とかについて何もない。何の躊躇いもない。

つってそれは表現の自由だという最強の後ろ盾があるからなんとも難しい。指定NGワードでユーザが一発で紙面を黒く塗りつぶせればいいのに

表現の自由について掘り下げると、序盤で言ったインターネッツとかにありがちなステレオタイプに朝日を嫌う連中に対しては何のへりくだりもしないというスタンスを小社はまた持ち合わせているのだろうことも1年間読んでると伝わってくる。世間からの評価なんて載ったことを見たことがない。でも別に真っ向からそういう侮辱と戦うみたいなことも書いてない。そんなん普通の会社と一緒で侮辱されたらその時初めて戦うぐらいわかんだろ、という意思表示にも見える。それがまたインターネッターを苛つかせて……というクソみたいな循環とかもあるんでしょうね。知りたくもない

別にこれは小紙に限ったことじゃないんだろうけど、凄惨な事件があったときとかに以後ニュース番組をつけないのがメンタルを守るために最適な方法だとするような理論と真っ向から対立するメディアスタンスだ。ぐぐれば一発で出るんだから、問題発言をしたどいつが~ていうぼかした書き出しにすればいいのにね。と思ったけど紙は右クリしてもコンテキストからぐぐれないんだった。


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