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こころの断捨離

 日頃、僕は生活にムラのある日常を送っている。その大きな理由のひとつとして、双極性障害と言う病を患っているからだ。そして現在も月に一度、心療内科に通院しながら、処方された薬を朝、夕、寝る前に服用している。

 たぶん外見だけで、僕の事を精神疾患の抱えた精神障害者であると判断するのは無理だろうと僕は思っている。また僕自身も、この双極性障害と言う病に今まで向き合って来たのだが、ある日突然、僕の中にあるこの病が燻り出す。

 すると僕は取り憑かれたように、いろいろな不安やまた壮大な妄想が頭の中を駆け巡るのだ。そしてその不安や妄想が、僕の執筆活動における〝根源〟である事は間違いない。

 例えば、「今の世の中、どうしたらもっと良くなるだろうか・・・」

 そんなスケールの大きな問いにぶつかり、僕はこの問いに必死に答えを探す。こんな僕であるから、執筆家としては常に新しい事象や世の中の動向にアンテナを張るようにしている。また気に止めるようになった。

 しかしその性で、僕の頭のキャパシティーをオーバーしてしまい、収拾がつかず断念してしまう事もある。そして悩み抜いた結果、僕の〝智熱(ちねつ)〟が上昇し、沸点に達して体調を崩す事もあるのだ。

 ひとつの事を根気強く長続きさせるのは本当に難しい。でも逆にスイッチがONになったら、僕みたいな性格は夢中になり、ご飯を食べるのも寝るのも忘れて熱中し過ぎてしまう部分がある。そんな僕であるが、現在取り組んでいる藝術活動(執筆・絵・音楽)や日々の活動の中で、僕自身のこころと向き合い〝こころの断捨離〟をする必要があるのではないかと最近感じている。

 自分の中に今、こころの中で感じている事を取捨選択すると言った作業になるかと思う。僕の場合は双極性障害から来る気質なのか、自分の気になる事を取捨選択し〝断捨離〟するのがとても苦手だ。

 仕事(やるべきこと)も感情(感じていること・思っていること)も抱え込んでしまうタイプだと、頭では理解しているつもりではいるが、実際はそう簡単ではない。僕自身、じっくり物事を考えるのは好きだが、複数の事を同時進行させると言うのが苦手だ。

 だから今の自分から遠くにある仕事(やるべきこと)や感情(感じていること・思っていること)を、出来るだけ〝断捨離〟して行こうと思っている。これが〝こころの断捨離〟である。その為には僕のこころに、こう問い掛けるのだ。

「それは僕に今、必要なことかい?」
「それとも後回しでも良いことかい?」

 こうして自分のこころに問い掛けてみると言う行為は、心理カウンセリングの世界では良く行う事であり、自分の無意識の声を聴くと言う作業である。自分の作業や行動、そして思考や感情が、生活の中で自分にどのくらい必要性のある事か迷った時に、この無意識の声に尋ねてみても良いのではないかと思っている。

 おそらく判断に悩むケースも多いと思う。それでも再び、こころの中の無意識に問い掛けてみる。腑に落ちたら、たぶん必要な事なのだろう。そして自分の無意識が、残念ながら疑問や違和感を覚えたのなら、それは後に回すか今は止めておく。

 〝こころの断捨離〟は、自分が気になっている事を取捨選択し、優先順位をつけて行くと言う作業でもある。〝モノの断捨離〟と違い、自分のこころの中の思考や感情の〝断捨離〟なのだから目に見えず分かりづらい。自分の価値観の優先順位と言っても良いのかも知れないが、はっきりした物指しがある訳ではない。

 また往々にして自分の価値観も変わって来る。その都度、優先順位をつけて自分の中の〝こころの断捨離〟を推し進めて行こうと思う。

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