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シロキのおはなし。

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ぼくのこと。時系列はめちゃくちゃ。思い出した順に書きます。
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まつりごと。

あまりテレビを見なくなって、インターネットが、社会情勢を知る手段になりつつある。

LGBT法案。
そんなものが社会を賑わせていると知ったのはつい何週か前のこと。

前のnoteにも書いているけれど、権利の主張とか、そういった類の活動に興味がない。(活動を否定しているのではなくて、僕自身の興味がないということです。応援はしています。)

僕は恋心が芽生えてすぐ自分がゲイであると自覚しました。本当に

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本町スタバで会いましょう。

本町スタバで会いましょう。

働く前、僕は大阪に住んでいました。大阪阿倍野。

初めて関西に住むことになって、それまで九州と札幌に住んでいたから関西は知り合いが皆無。すごく心細かったのを覚えています。

そんな中、知り合い伝いでゲイの人が飲み会開いてくれて、そこで知り合ったのがPくん。

年は一個違いで、お兄さんたちに可愛がられるタイプで、あぁ、こういう子がモテるんだろうなぁというのが第一印象。

そこから遊びに行ったりして気

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死について。

最近、死について考えることが、多い。自分の死ではなく、他人の死について。

この数日、立て続けに、アルバイトさんの肉親が亡くなった。誰か死は話を聞くだけで、どこか心が重くなってくる。

昔後輩が、こんなことを言っていた。

「人身事故で、電車が止まった時、こんな時に飛び込んだりするなよ~とか、いいますけど、おかしくないですか?誰かが怪我したり、亡くなったりしているかもしれないんですよ。」

なんと

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僕のこと。2

今日もまた僕のことを書いちゃう。もしかしたら、僕は自分大好きなのかもしれないね。愛すべき自分がいるって大切でしょう?

僕はゲイだ。男だけど、男が好き。女の子になりたいわけじゃない。女の子って楽しそうとは思うけど、女子トイレに入りたいわけでも、女風呂に入りたいわけでもない。男風呂は天国だしね。

よくネットでLGBTQの権利についての意見や、記事を見るけれど、僕はあんまり興味がない。ごめんなさい。

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母、家を売る。

母の日ですし、先に褒めておこう。
うちの母は優しい。優しいいんだけど、ちょっとだけファンキーだ。強いし、良く喋るし、明るい。

4姉妹の末っ子なのだが、上の3人との差がすごい。上の3人が木村多江、うちの母だけ、磯野貴理子って感じ。ビジュアルの話じゃなくて、テンションの話ね。僕がいうとマザコンっぽいけど、うちの母はチャーミングだ。ただ、母方の実家に行くと、すごく上品な空気感の中に、母の笑い声が響き渡

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母。

明日は母の日なので、母について書いてみようと思う。さっきまで母と電話してたし、マザコンとかではないが、仲良しな親子だと思う。

母は昔看護師をしていて、父と結婚をして仕事を辞めた。それ以来ずっと専業主婦。家族6人のご飯をずっとつくり続け、手のかかる子供を2人育て、手のかかる父親の面倒を今も見ている。

祖父母の介護をしたのも母だ。僕なんかは全然顔も出さないけれど、ちょっと会っただけで孫の特権を駆使

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火傷とお灸と我慢の話。

うちのじいちゃんは、ものづくりが得意だった。何か壊れても自分で直すし、大工仕事のようなことも自分でしていた。具合に影響はなかったけれど、腰が昔から曲がっていたんだが、それをもろともせずに。パワフルだった。特に脳みそがパワフルだった。

ある日、何がこわれたかもう覚えていないけれど、電気系統のものが壊れて、電気回路を修理してくれていた。

僕はハンダゴテというものを初めてみて、ハンダ付けするのを横か

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僕のこと。

僕はゲイだ。ずっと。
女の子になりたいわけじゃない。
男が好きなだけ。

これだけのことを言うだけなのに、何年も何年もかかった。口にするのが難しかった。だけど、口にするとびっくりするほどあっけなくて、スッキリした。

小学校の頃はピュアなもので、同じクラスの子が気になるけれど、それが恋とは分からなくて、クラスで人気の女の子が好きだと嘘をついた。

中学でもクラスメイトを好きになり、高校では男の人と

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バスとおばけ。

僕は中学高校と遠いところで通っていた。往復3〜4時間かかる。全ての行程はバス。田舎というのは路線バスが発達していて、こんなところにもバスが、みたいなところにも届いていることが多い。特に長崎は急な坂道が多く、自動車運転ができればよいが、できない人はバスが主な交通手段だ。

県外の人に聞いてみるとよく、長崎のイメージはチンチン電車だと言われる。確かにそうだ。長崎市内中心部はくまなく走っているし安い。路

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僕とおばあちゃん。

僕はずっと長崎の山の上で育った。引っ越しも高校卒業までしたことがなくて、うちはずっとあそこだったのだろうと思って育ったのだが、そうではなかった。両親も祖父母も色んなところに住んだことがあって、僕が産まれる年、同居を始めたのがあの家だった。

諸事情で今はもうなくなってしまったが、生まれた時からあの家で、生まれた時から家族みんながいた。特におばあちゃんは、小さい頃から何をする時も一緒で、親族一同認め

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ファンキーなじいちゃん。

うちは三世帯家族でした。でしたというのは祖父母がもうなくなってしまったから。なかなかに個性のぶつかり合いというか、似たところがあまりない、人間が6人も一緒に暮らしていたもんですから、やはりなかなか大変でした。表立って喧嘩はないけれど、雰囲気が悪いなんてことは日常茶飯事で。そんな一家のトップに君臨していたのがじいちゃんだったかなぁと思います。今日はそんなじいちゃんのおはなし。

じいちゃんはとにかく

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イケてる兄貴。

僕には兄がいます。男二人兄弟で、僕が生まれた時にはもう兄は兄でした。

兄という生き物はいくら年をとっても追いつけなくて、憧れの存在です。今回はそんな兄のお話。

僕は食べることが好きですが、昔からそうだったわけではありません。幼稚園までは食も細くて好き嫌いも多く、食べなさすぎて親が心配したほど。全く記憶にありませんが、食事の時間を嫌がっていたようです。

少し話が逸れましたが、そんな幼稚園の頃。

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トビラ。

僕は長崎の田舎で育った。田舎といっても田んぼや畑に囲まれているわけではなく、住宅はたくさんあるし、人もたくさんいた。山の上の方で街からは離れていたし、坂道だらけで、信号もなかった。(今はある。できたときに近所ではゴシップネタより盛り上がった。ただ、その信号で渡るものはいなかった。)

小学校まではあのまちが全てで、人もモノも情報も世界の全てがあのまちに詰まっていた。悪さをすればすぐ広まるし、いいこ

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