母。

明日は母の日なので、母について書いてみようと思う。さっきまで母と電話してたし、マザコンとかではないが、仲良しな親子だと思う。

母は昔看護師をしていて、父と結婚をして仕事を辞めた。それ以来ずっと専業主婦。家族6人のご飯をずっとつくり続け、手のかかる子供を2人育て、手のかかる父親の面倒を今も見ている。

祖父母の介護をしたのも母だ。僕なんかは全然顔も出さないけれど、ちょっと会っただけで孫の特権を駆使し、一気にいいとこをかっさらっていたけど、母はずっと、ずっと家族のために尽くしてくれていたと思う。

今、僕はすこぶる元気だが、小さい頃は体が弱かった。ご飯も食べないし、鼻炎もひどい、喘息も酷くて、しょっちゅう体調を崩していた。

ピークに体調が悪かったのが、小学校3〜4年生。毎日喘息の発作が起きていた。夜になると息が苦しくなり、薬でも落ち着かず、病院へ直行。毎晩のように点滴をしていた。大袈裟ではなく、本当に毎晩のようにだ。

入院すればいいじゃないかと言われそうだが、そう言う話は出ていたけれど、母は僕を家にいさせてあげたかったんだと思う。その証拠に家でできることは何でもやってくれていた。

クロレラ、足つぼ、食事療法、自宅に大きい吸入器もあった。毎日吸入器をして、毎週外来にも連れて行ってくれた。それでも、毎日息苦しくて、呼吸がままらなくなったいた。

ある夜のこと、病院に連れて行かれ、点滴をして、待合室のソファーでいつものように寝ていた。ふと、目が覚めると、薄暗い隣のソファで、じっと一点を見つめる母がいた。あの顔がいつまでも忘れられない。

あの頃僕は文字通り、母に生かされていた。あの頃母はいつ眠っていたのだろう。毎日家のことをして、毎晩僕が発作を起こして病院へ行って、心配でじっと起きている日々だったんだろうと思う。間違いなく愛だなと思う。

中学でクラリネット に出会ってから、みるみるうちに喘息は良くなった。中学卒業以来一度も発作は出ていないし、肺活量は人並み以上だ。

それもこれも母のおかげ。自分が男を好きで、何度も何度も申し訳ないと思った。生まれてきてごめんなさいと思った。どうしようもなく苦しくなったこともある。でも、それでも今元気に笑顔で過ごしているのは、家族と、母のあの目のおかげだ。

生んでくれてありがとう。生かしてくれてありがとう。母の日は毎年そう思うよ。

うちの母はとってもとっても明るいので、明日はそんな母の面白エピソードを書こうと思う。


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