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ロンドン滞在日記 14日目【後編】:「人生は○○」って比喩は安っぽいしそれにつけても人生はキャバレー

YMSビザで在英中のパートナーに会いにロンドンを訪れた際の、およそ2週間にわたる旅の記録です。コラムともエッセイとも言えないようなただの日記なので、どうぞ気軽に読んでください。
1日目:なんでこんな映画見たんだ
2日目:まだ飛行機に乗っているのか
3日目:木で鼻をエルメス(塩対応という意味のことわざ)
4日目:犬が苦手な人はいないことになっている
5日目:はじめてのおつかい(ただし39歳)
6日目:その屁はいつかどこかで借りてきた屁
7日目【前編】:犬は吠えるがオクラは揚がる(日記は不作)
7日目【後編】:『レ・ミゼラブル』を観て感じた演劇界の無情
8&9日目:旅の中だるみもリフトアップできればいいのに
10&11日目:もうヌン活なんて言わないなんて言わないよ絶対
12&13日目:骨董市で木村が手放したバーバリーと出会った
14日目【前編】:ゴッホより普通にキッチュが好き


劇場に入るときから芝居は始まっている

ロンドン滞在14日目。日中にShepherd Market、「ナショナル・ギャラリー」、「ロンドン・アイ」という怒涛のスケジュールをこなした前回に続き、今回はいよいよ楽しみにしていたミュージカル『キャバレー』を観にPlayhouse Theatreへ。

シンプル&シックでかっこいいポスター

数多ある演目の中で『キャバレー』を選んだ理由は、7日目に観た『レ・ミゼラブル』と同じで、英語のセリフがわからなくても楽しめるよう、すでに日本で舞台なり映画なりを観たことがあってあらすじがわかっている作品だから。私が観たのは2007年と2017年、ともに松尾スズキ演出によるもので、特に2007年版はかなり独自にアレンジされたギャグも盛り込まれていたので、オリジナルはどんなものかと気になっていたのだ。

Playhouse Theatreへ向かうと、まず劇場全体を物語の舞台であるキャバレーに見立てているのがおもしろい。外装はもちろん、劇場の名前も公演期間中だけ劇中のキャバレーの名称である”Kit Kat Club”に変えてしまっている徹底ぶりなのだ。観客は、普段使っている劇場正面入り口ではなく、あえて裏口から地下通路を通って入場する仕組みになっている。まるで自分が本当に秘密クラブの会員になった気分が味わえるという粋な演出だ。

劇場全体の外装もすっかり”Kit Kat Club”仕様になっている

劇場の中に入ると、ダンサー(に扮した役者)や楽器奏者が開演前からさっそくロビーやフロアの各所でパフォーマンスをしたり、ダンサーが客席内をウロウロしていたりして、観客はいくつかあるバースペースで買ったお酒を飲みながら、その退廃的な雰囲気を楽しめるという趣向。私たちが購入した座席はDRESS CIRCLEと呼ばれる2階席だったが、そこでもダンサーのカップルが空いた客席に座って痴話喧嘩を始めるという小芝居が行われ、観客を飽きさせない。

劇場内にあるバルコニーのようなスペースで
開演前にダンサーと楽器奏者がパフォーマンスしていた

もともとのPlayhouse Theatreの構造が割とこじんまりとしており、円形舞台を取り囲むように客席が設置されているので、演者と観客の距離がとても近いのも特徴だ。1階の特等席にあたるシートは、お酒を飲みながら観劇できるテーブル席になっており、上演中もその姿が目に入るので、私たちは"Kit Kat Club"の観客としてこのショーを見ている気分になれるのである。

観客が擬似体験するのは享楽か、差別か

『キャバレー』の舞台は1930年代初頭、ナチスが徐々に力をつけてきている頃のドイツの首都・ベルリンだ。いかがわしく退廃的な場末のキャバレー”Kit Kat Club”の歌姫サリー・ボウルズと、自由を求めてやってきたアメリカ人作家のクリフ・ブラッドショウとの若き恋。そして、クリフが下宿するアパートの大家フロウライン・シュナイダーと、ユダヤ人のフルーツ店主シュルツとの老いらくの恋。2組の恋が盛り上がるが、やがてナチスの台頭とともに破局していく……というのが物語の骨格である。

会場で購入したパンフレットより

 物語自体は至ってシンプルだが、この作品が面白いのは、”Kit Kat Club”で上演される劇中劇のショーの進行役、その名も"エムシー"が、作品世界をメタ的に俯瞰して語る狂言回しの役も担っていること。

ドイツの大衆がナチスの熱狂に取り込まれていく様子と、”Kit Kat Club”の観客が享楽的な歌と踊りに魅せられるさまをオーバーラップさせているのはもちろんだが、同時にこの『キャバレー』というお芝居を観ている我々もまた、ミュージカルの魅力に動員されてしまう危うい存在である……ということを突きつけてくるのが秀逸だ。

”Kit Kat Club”のダンサーたちが各々の性指向や性癖を開陳するナンバーも

それがもっとも顕著に表れているのが、二幕で披露される”If You Could See Her”というナンバー。エムシーが舞台上でゴリラの着ぐるみとイチャイチャと愛し合いながら、「みんなは蔑んだ奇異な目で僕らを見るけれど、僕の目を通して彼女を見れば、彼女がいかに素敵な女性かわかるはずさ」と歌い上げる曲だ。

一見、「相手がゴリラであることが見えなくなるくらい、恋とは盲目なのだ」ということを風刺したコミックソングにしか聞こえないが、最後の最後に現れる「僕の目を通して彼女を見れば、彼女は全然ユダヤ人ではない」という歌詞によって、この曲の意味は一変する。

つまり、ゴリラとの奇妙な恋愛を笑っていたはずの私たち観客は、いつの間にかユダヤ人との恋愛に蔑んだ嘲笑を向ける当時の大衆にされてしまうのである。これはいわば無実の観客を、騙し討ちのように共犯者に仕立て上げてしまうずるいトリックだが、差別とはそれくらい無自覚に無意識に行われるものだということを疑似体験させる絶妙な演出でもある。

『キャバレー』の観客を、”Kit Kat Club”の観客として扱うことで、わざと現実と虚構を混濁させるという入場時からの仕掛けが、ここにきて効いてくるというわけだ。

ややクセが強い歌姫サリー・ボウルズ

それはそれとして、エムシーや”Kit Kat Club”のダンサーたちが繰り広げる劇中劇としてのショーは、それ自体クオリティが高く、言葉はわからなくても見ているだけで楽しい。円形舞台には複数の盆(回転舞台)やセリ(昇降装置)が設えてあり、それらを活用した演出もいちいちアトラクティブで面白い。とにかく、体験型演劇としての没入感が半端ないのだ。

今後、『キャバレー』という作品を舞台と客席がはっきりと分かれた、いわゆるプロセニアムアーチ型の劇場で見ても、ここまでの興奮と感動は得られないだろう。それくらい、客席が円形舞台を取り囲むこの劇場の構造に、作品の特性と演出がぴったりと合っていたと思う。正直、今回のロンドン旅行で一番見てよかったものかもしれない。

(こちらは、まさに私がロンドンで観たカンパニーによるトレーラー・ムービー)

『キャバレー』に笑いは必要な要素

で、ここからは正直ロンドンはあまり関係ない話になるが、私が以前日本で観た松尾スズキ演出版の『キャバレー』は、前述した通りかなり日本人向けのギャグで潤色されていて、特に2007年版は笑いの要素が多すぎることに対して当時批判も多かった記憶がある。

2007年の松尾スズキ版『キャバレー』(©️谷古宇正彦)

でも、今回のロンドン版の演出を見て思ったのは、いやいや、本場だってなかなかどうして、特に一幕ではドッカンドッカン笑いを取っていて、むしろこの笑いがあるからこそ二幕で迫り来るナチスの軍靴の音が落差となってより寒々しく響くのだということ。この『キャバレー』という作品において、笑いはやっぱり重要な要素なんじゃないかと確信できた。

それに、ロンドン版で下宿の主人シュナイダーを演じていた年配の女優が、奇遇にも松尾スズキ演出版でシュナイダーを演じていた秋山菜津子に雰囲気がそっくりで、解釈が完全一致だったのもおもしろかった。

2017年の松尾スズキ版『キャバレー』(©️引地信彦)

かねてからレビューショーのような上演スタイルに興味があると語り、実際に『シブヤデアイマショウ』『シブヤデマタアイマショウ』のようなショー形式の舞台を手がけてきた松尾スズキ。

彼が今回のロンドン版のような円形舞台での上演を見たら「我が意を得たり」と思うのではないかと思ったし、氏の理想とする本来の『キャバレー』は、ひょっとすると今は亡き歌舞伎町「クラブハイツ」や、銀座「白いばら」のようなグランドキャバレーで上演してこそ実現できるのではないか、と思ったりもした。

というわけで、もしまた松尾演出による『キャバレー』再再演があるとしたら、そのときは鶯谷にある「東京キネマ倶楽部」で上演するというのはいかがでしょうか。

* * * * *

帰宅後は、前日に引き続き夜食としてインスタントラーメン・パーティーを開催。パートナーがタイ旅行で買ってきたのはまたしても日清の現地法人が出しているもので、タイの辛いサラダ「カオパットラープガイ」のような鮮烈な青唐辛子の辛さが効いた一杯。正直、今まで食べたどのインスタントラーメンよりもヒーハー!であり、またしても「やればできるんじゃん、日清!」と思った。

パートナーがタイで入手したインスタントラーメン。引くほど辛かった

いよいよ明日は最終日。朝には家を出てロンドンを発つことになる。はじめは永遠かと思われた2週間の滞在期間だが、過ぎてみれば拍子抜けするほどあっという間だった。その理由は、日本から抱えてきた仕事をしたり、疲れて中だるみしたりして、実質活動していたのが1週間分くらいしかなかったからかもしれないが。(つづく)

都心で見かけた、電気自動車の充電スタンド
集合体恐怖症の人には酷なメノウ(?)のテーブル
このまま漆黒の闇に吸い込まれてしまいそうなFISH&CHIPSのキッチンカー
篠山紀信が撮影していた無駄に豪華な日本食の写真集

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