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『シブヤデアイマショウ』を観て(2021.04.24)

4月24日(土)の昼に、シアターコクーンにて『シブヤデアイマショウ』を観劇した。

小劇場、ミュージカル、歌舞伎、全ての演劇人を愛ある目線でいじり倒し、コロナ禍の目も当てられない世相を皮肉り、割を食わされている者たちのやり場のない怒りや愚痴ややさぐれを、それでも華やかで晴れやかなエンターテインメントに仕立ててしまう、表現者の意地と矜恃。それは、窮鼠が猫を噛み、イタチがケツをまくり最後っ屁をひり出すかのような舞台だった(褒めてます)。

田舎を追われ舞台に居場所を見つける少年をのんが演じる

お手伝いさんを孕ませて田舎を追われ、東京に漂着してシアターコクーンの仕事にありつく少年・松坂牛之助を、のんが初々しく演じていた。芸歴は長いのにいまだに「初々しく」という形容をしたくなってしまうのは、彼女の資質ももちろんあるが、あの頃から時を止められてしまっているような彼女の不遇のせいもあるだろう。東京をあてどなくさまよい歩くその役は、コロナ禍でやり場のない足踏みを強いられている演劇人の不遇と重なっても見える。

ショーの狂言回しであり、巻き込まれ役でもある松坂牛之助は、まるで大人計画の百戦錬磨の猛者たちや、第一線のミュージカル俳優たちのパフォーマンスを特等席で見せてあげるために用意された役のようでもあり、それ自体がのんを舞台に本格起用する試金石に思える。現に、宮藤官九郎が今年8月に作・演出を務める舞台『愛が世界を救います(ただし屁がでます)』に彼女の出演が決まっているというのは、どう考えてもたまたまではないだろう。大人計画によるのんの全面バックアップを感じて、非常に頼もしい。

常に社会の底辺に足場を置く悪の芸術監督・松尾スズキ

松坂牛之助の物語と並行してステージを牽引するのは、闇堕ちして「悪の芸術監督」になってしまった(笑)という設定の松尾スズキ。八嶋智人や佐藤二朗、ムロツヨシに嫉妬を剥き出しにし、三谷幸喜やケラ、野田秀樹、出演者の秋山菜津子の夫である白井晃もいじり倒す。自虐と悪ふざけの極地といえるが、これが松尾氏なりの演劇人へのエールであることは間違いない。ミュージカルの名曲をバカバカしい替え歌にするのも、元曲の強度を信頼した上での「笑いにする」というおもてなしであり、ミュージカル愛の裏返しなのだ。

オリンピックや小池都政を揶揄するような替え歌の一方で、コントに登場するのがホームレス(康本雅子によるダンスパートのタイトルが「宮下公園ブルース」であることに注目)や円山町の街娼、渋谷の野良犬といった下層の者たち(弱者や抑圧される側)ばかりであったことにも注目したい。

「乞食」や「立ちんぼ」といった剣呑なワードが使われてはいるが、昔から松尾氏が世界を見つめる視線は、彼らの立場に共感・同調するものだったことを忘れてはならない。天下の東急グループ資本のシアターコクーン芸術監督になっても、優れたアンサンブル俳優やミュージカルスターたちを率いる立場になっても、彼の自意識は常に田舎からの流れ者であり、地を這う野良犬であり、荒野をさまよう河原乞食の「下から目線」が原点にあることを忘れていないのだと再確認させてもらい、嬉しいような頼もしいような気持ちになった。

'03年に原宿クエストホールで上演されたソニン主演の松尾スズキ少女歌劇団しかり(当時会場で見た、懐かしい!)、'18年に松尾スズキ+大人計画30周年記念イベント「30祭(SANJUSSAI)」の一環として行われたファミリーコンサート『なんとかここまで起訴されず』しかり(見れなかったけど)、松尾氏は折に触れ、歌と踊りによるミュージカル仕立ての小規模なショーを手掛けてきた。そしてそれは、常に松尾氏が松尾スズキをメタ的に自己言及しながら、自分を癒し鼓舞するような内容だった。今回は、その積み重ねが本格的な演奏と出演者によって結実した、まさに集大成のようなショーだったと思う。

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「松尾氏」「秋山氏」と呼び合う旧知の2人が推せる!

それにしても、今回際立っていたのが、宮崎吐夢、猫背椿、近藤公園ら大人計画勢の頼もしさであった。稽古時間も少なかったと聞くが、この3人が舞台上にいるときの世界観を引っ張っていく牽引力と、与えられた場と時間の責任を引き受けて笑いを取る安定感がすごかった。普段はつい、皆川猿時や荒川良々といった力技でその場の笑いをもぎ取っていくパワープレイヤーたちに目を奪われがちだが、言わずもがな、彼らもまた化け物のようにとんでもなく面白い役者だったことを再確認させられた。

個人的に「萌え」だったのは、「松尾氏」「秋山氏」と呼び合う2人の関係性だ。「萌え」という概念がもう古いなら、「推せる」と言い換えてもいい。20代の頃から小劇場シーンの最前線で互いに切磋琢磨していた旧知の盟友だからこその、深い信頼感で結ばれた、しかし決してベタベタしすぎない、気恥ずかしさも含めた絶妙な距離感を、「松尾氏」「秋山氏」呼びで表現しているのが妙におかしかった。しかも、秋山菜津子は闇堕ちした松尾スズキを一度殺し、初心に目覚めさせるという役どころ。あんなの、松尾氏から秋山氏への性愛抜きのラブコール、いわば異性間ブロマンスじゃないか。うーん、推せる!

この日、終演後しばらくしてから、翌25日の公演中止を知った。あと1日を残して図らずもこの日が千秋楽になってしまうとは…。見られてラッキーだったけど、翌日行く予定だった人や、何より作り手の皆さんの無念はいかばかりか。コロナ禍での表現者の鬱憤を晴らすような内容だっただけに、そして、十分な対応が取れるわけがない直前の緊急事態宣言発令という悪政のしわ寄せをもろに喰らう形となっただけに、余計やりきれない思いが募る。図らずもカーテンコールのあと、宮崎吐夢が「夢だった!」と叫ぶように、まさにはかない夢のような舞台だった。

またシブヤデアエマスヨウニ!

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