マガジンのカバー画像

生活すること

159
生きるって何だろう?それは生活することなのではないだろうか────30才で伊東市にある海の街へ移住して感じたことを書いています。
運営しているクリエイター

#海の見える生活

海と共に緩やかに漂う

海と共に緩やかに漂う

半月ぶりに伊東へ帰ることにした。右手がまだ使いものにならないため、もうしばらくは生活サポートをしてもらうべきなのだけど、伊東へ帰りたくて帰りたくて仕方がなかった。もともと心の安定を求めて移住したため、伊東にいる限り私の心は安定する。きっとその心地よさを身体が覚えていて、求めてしまうのだろう。

小田原辺りで電車の窓から海が見えた瞬間、私の心は舞い踊った。待ちに待った海だ!こんなにも心が惹かれるもの

もっとみる
街の向こう側に見える海を探しながら

街の向こう側に見える海を探しながら

クリスマスにサンタさんから腱鞘炎をプレゼントされたため、制作をストップして散歩へ出かけることにした。最近やりすぎだから休めよというメッセージなのだろう。駅前まで自転車を走らせ駐輪場に止めて、そこから歩いて松原の方へと向かった。旅行客らしき人たちとよくすれ違う。冬休みの学生や、すでに仕事納めをしてきた人たちなのかなと想像してみる。

伊東松原八幡神社の鳥居を横切り、ひたすら坂道を登って行く。歩いてい

もっとみる
海の街へ移住したら

海の街へ移住したら

伊東へ移住して1年が経ったので、今しかないこの新鮮さをパッケージングしておくためにも、初めの1年で起きたことをまとめておくことにした。

伊東市は約半分が国立公園になっていて、国際観光温泉文化都市にも指定されている自然豊かな街。私が暮らしている「新井」という場所は、特に古い街並みが残っている漁村で、道端で干物が干されているのが当たり前の風景。高齢化が進み、空き家も増えているけれど、私がここでしか感

もっとみる
染まりゆく地平線に向かって

染まりゆく地平線に向かって

コーヒーを淹れてリビングに座っていると、ベランダへいつものにゃんこがやってきた。毎朝同じ場所で、なんとも言えない体勢でくつろいでいる。観葉植物たちは朝日に煌々と当てられ、葉水をした葉っぱが艶やかに光る。植物が増えてきたため、満遍なく陽が当たるように最近配置換えをした。こんなにも小さい鉢植えの中で、少量の土と水があればすくすくと育っていくさまを見ていると元気をもらうと同時に、人間は不便すぎると感じる

もっとみる
彩られる日常はなんてことない日常

彩られる日常はなんてことない日常

朝、いつものようにコーヒーを淹れて、作業部屋へと向かう。机に向かって正面にある窓の外は、青々としていた。山は様々な緑色に彩られ、トンビが空高く飛んでいる。山の下が海なのだけど、残念ながら見えない。この家が6階建てぐらいだったら見えたかも。でも毎日トンビの鳴き声と共に、この美しい山を眺めながら作業ができるのは最高の贅沢だと感じている。窓を開けると、冷んやりとした空気が入ってきた。ここ数日で急に涼しく

もっとみる
海の街で出会っていく人たち

海の街で出会っていく人たち

朝起きて、窓を開ける。暑くもないけど寒くもない。ちょうどいいくらいの朝の空気が部屋へと入ってくる。その窓の外ではいつもの猫たちが一時停止して、こちらをチラリと見たのち通り過ぎていく。たまに知らない猫も通り過ぎる。最近はお水の減りが早いため、器をもう1つ増やしてみた。2つあれば自分がいない間でも少し長くもつ。

着替えて化粧をし、出かける前に配信ライブをした。話したいことがある時、コミュニケーション

もっとみる
和らぐ暑さの中で日常を愛でる

和らぐ暑さの中で日常を愛でる

蝉の鳴き声が聞こえなくなった。鳴いているとそれだけで暑さを感じてしまうけれど、聞こえなくなると夏の終わりを告げるようでどこか寂しい。地表に上がった蝉の寿命が短いのは、鳴き声が大きいためすぐにオスとメスが巡り合うことができ、短期間で繁殖が可能なのと、成虫になると細胞があまり分裂せずどんどん老化してしまうかららしい。子孫を残したらはい終わり!というのは潔い。命を燃やしながら子孫繁栄に勤しむ蝉たちを聞き

もっとみる
漂う色彩に落ち着く日常

漂う色彩に落ち着く日常

目まぐるしく過ぎていく日々が少し落ち着く。久しぶりに何も予定がない日。洗濯物を干して、掃除機をかけて、ずっと気になっていた冷蔵庫の中を掃除した。この家に住み始めてから家事をするのが好きになった。自分がこだわりまくった好きなものしか置いていないからかもしれない。好きなものの状態はやっぱり綺麗に保っておきたい。

いただいていたデザインの納品を済ませて、新しい風景画の制作に取りかかる。今まではずっとA

もっとみる
暇を楽しむ

暇を楽しむ

あらゆる納品が終わって、また作品を作る日々が戻ってきた。以前まではやらなくちゃいけないことがあると安心していたのだけど、今はやらなくちゃいけないことがなくても安心を感じている。私の中でやらなくちゃいけないことと言うのは、期限が決まっていたり、途中ではやめられなかったり、誰かに求められていたりするものだ。私の作品は、今はそうしていない。やらなくちゃいけないことにすると窮屈になって、余白がなくなる。だ

もっとみる
私は私になった

私は私になった

最近私は私になったと感じている。これだけだと意味不明だろう。私はずっと私ではない何かになろうとしていた。それは多分、理想の自分みたいなもので、近づこうと努力して、磨いて、戦って、負けず嫌いだから悔しさもバネにしたりして、なりたかった自分になれた時もある。でもなぜかコレじゃない感があった。行きたかった喫茶店に行けたのに、肝心のコーヒーの味は好みじゃなかったみたいな感じ。嘘をついていたわけではない。本

もっとみる
ただの散歩

ただの散歩

出汁に使うカツオがなくなってしまった。以前までは粉末を入れるだけのスティックタイプを使っていたのだけど、カツオで出汁を取るようになってからその美味しさを知り、もう戻れなくなってしまった。スーパーは高いから、業務スーパーへ買いに行きがてらサイクリングすることに。業務スーパーまでは自転車で約20分。都会だと遠いと感じるけど、ここだともはや近所の感覚。愛車のクロスバイクに乗って、家の前の急な坂道を下る。

もっとみる
海になった私が見た都会

海になった私が見た都会

東京へ来ている。母宅で朝を迎えて、コーヒーを淹れながら、いつものようにキッチンを片付けている自分がいることに気がついた。完全に無意識だった。自分の家でなくても、ルーティーンが発動するようになっているみたい。いつもと違うのは、鳥たちの大合唱や、お隣さんちの犬の鳴き声や、迎えの家のおばあちゃんが雨戸を開ける音が聞こえないこと。代わりに遠くの方で、救急車のサイレンが鳴り響いている。街によって朝の音が違う

もっとみる
私だけが知っている私の街の好きなところ

私だけが知っている私の街の好きなところ

初めて住む場所を街で選んだ。キティ伊豆スタジオへレコーディングへ向かう途中に、何度も車や電車で通過していた街だけど、その時は住むなんて夢にも思っていなかった。良いところだなあと肌で感じてはいた。当時は旅をするのにハマっていたから、定住するなんて考えられなかったし、家なんていらないとさえ思い、理想は遊牧民族みたいな暮らしだった。コロナ禍にならなかったら、東京で部屋なんて借りなかったと思う。

住む場

もっとみる