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私だけが知っている私の街の好きなところ

初めて住む場所を街で選んだ。キティ伊豆スタジオへレコーディングへ向かう途中に、何度も車や電車で通過していた街だけど、その時は住むなんて夢にも思っていなかった。良いところだなあと肌で感じてはいた。当時は旅をするのにハマっていたから、定住するなんて考えられなかったし、家なんていらないとさえ思い、理想は遊牧民族みたいな暮らしだった。コロナ禍にならなかったら、東京で部屋なんて借りなかったと思う。

住む場所は色んな条件が合わないと難しい。仕事や家族の都合で選択肢すらない場合もある。私はたまたま出勤しなければならない場所も、一緒に暮らしている人もいなかったから選択肢はそれなりにあった。内見をしにその街へ行くことになった時、今度はちゃんと街を見ようと思った。前回は不動産屋さんの車の中から駅前の雰囲気と、人の賑わいぶりだけを目視しただけだったから。普通はそんなもんなのだろう。街なんてほぼ興味がなかった。でも年齢と共に、自分にとって必要なものは変わる。その必要なものが一体何なのかを、探しに行くような感じもあったのかもしれない。

初めて降り立ったその街は、雨に濡れていた。雨雲でどんよりとして、あまり印象が良くないように見えてしまいそうだなあと不安だったけど、この街には風情があった。街が雨にスポットライトを当てて、美しく演出しているようだった。いい意味で主張をしない。一歩下がって、引き立てている感じ。海も灰色に染まっていたのに、それがとても心を落ち着かせた。きっと普段から静かな海なのだろう。後から分かったのだけど、静海町という名前の場所が本当にある。青色だろうが灰色だろうが全てを受け入れて、ありのままを映し出せるその姿に心惹かれた。それは当時の私に必要なものだった。

それから街の奥の方へ入り、なんてことない路地を歩いた。長い商店街があり、多くのシャッターが閉まっている。昔はここも賑わっていたのだろう。2階には人が住んでいるようで、跡継ぎがいなかったか引退されたかなのだろうか。東京では感じられない、今の日本の現状が映し出されているようだった。でも街の人たちは皆んな元気で、疲れている感じはしない。色々と大変なこともあるのだろうけど。終わっていくことを無理に何とかしようとするのも違う気がした。続けていくことよりも大事なことはある。抗わずに受け入れていく方を選ぶのもありだ。自分と戦ってばかりだった私にとって、これも必要なものだった。

街の人に東京から来たことを伝えると、「何にもなくてつまらないところでしょ〜」と言われることがある。どこかで聞いたことのあるセリフだ。地方へ行くと皆んな口を揃えて、挨拶のようにこのセリフを言う。確かに大きなショッピングモールや、オシャレな服屋さんや、便利な交通機関みたいな都会によくあるものはない。でもそうではないものを求めて、皆んなこの街へ来ている。それは外から来た人間にしか見えないことかもしれない。私も自分が育った地元の街の良さを伝えるのは難しい。それが当たり前だから気づけないし、慣れて飽きてしまってもいる。だから私は外から来た人間として、私にしか見えないこの街の良さを表現していきたいと思った。多分、それがこれからやっていきたいことなのだと感じている。

文章にして、音にして、料理にして、自分でできるアウトプットを探している。そして最近では風景画を描き始めた。以前から興味はあったけど、何を描けばいいのかが分からなかった。でも今まで描いてきた絵に対して、もう完成してしまった、頭打ちしてしまった気がしていた時で、そんな時に坂口恭平さんの個展を見に行き、急に自分も風景画を描ける気がした。私の描きたい風景はもう見つかってるじゃないかと。あの街の景色を、あの空気感を表現したい。風景画は描きたいから描くのではなく、見せたい景色があるから描くのだと初めて分かった瞬間だった。私の見ている景色を、皆んながまだ見つけられていない良さを、自分なりに伝えていきたい。

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