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社会復帰計画記録その113

拝啓、
中学時代のわたし。

辛かったですね。
廊下ですれ違いざまに「ブス」等と容姿を貶されて。何度も何度もそういう言葉を吐き捨てられましたね。
クラスでは女の子に無視をされ、修学旅行のときには、同じ部屋の子達に無視をされて、そして部屋にひとりぼっちで取り残されて。
父親は仕事で大きなミスをし、母親に「死にたい」とメールを送って失踪するし、辛かったですね。
ただ、自分がいじめの的になったこともあったけど、いじめに加担してしまうようなこともありましたね。
直接的にどうこうしたというより、自分がされたのと同じように無視をしたことがありましたよね。
周りの目がこわかった、というのは理由にはなりません。そう。今のわたしはそう思えるけど、当時のわたしには、周りの目を振り切るのは難しかったんですよね。
せめてもの償いの気持ちで、人が見ていないところで話しかけたりして、でもそれって相手からしたらどんな気持ちだったんでしょう。最低ですね。
だけど、今のわたしでも当時のわたしを責め立てることがどうしてもできません。
正当化するわけではないけれど、学校という小さな世界には圧倒的な強者がいて、その圧倒的な強者の目を、機嫌を伺うことでしか自分の居場所を守れなかったからです。
強い女の子は強い男の子とつるんで、そして、弱者と判定した人間に攻撃してくるのですから。
思えば、わたしが自分の容姿に対して異常なまでに自信をなくし、男性に対して苦手意識を覚えたのはこの時からだった気がします。


拝啓、
高校時代のわたし。

楽しかったですね。
日々、とても楽しかったですよね。
特に高校3年生の時は、自由にのびのび生活をしていましたね。
クラスであまり馴染めていなかったような男の子に頑張って話しかけていたけど、あれは彼にとって良かったことなのでしょうか。好意と偽善は表裏一体です。


拝啓、
大学時代のわたし。

あなた、なにをやっていましたか?
漠然と楽しかったような気もしますが、一番印象が薄いように思います。高い学費を払ってもらって、物凄く恵まれた環境にいたのにそのことに全く気づいていませんでしたね。馬鹿です。あなたは。大馬鹿者です。この時代のわたしがいたから今のわたしがいる、とはいえ、あなたのことを殴り倒したいです。
ただ、この当時はこの当時で徐々に心が不安定になることがあった気がします。それなりに必死で生きてたんですかね、わかりませんけど。


拝啓、
社会人になってからのわたし。

よく頑張りました。
本当に本当に本当によく頑張りました。
社会人生活を始めてから、療養になるまで本当によく頑張りました。職場の先輩は親切だったけど、部署異動になってすぐ、上司に「こんなこともわからないのか」「頭悪いな」「お前自殺しろ」等と暴言を吐かれる時期がありましたね。自分含め3人しかいない部署で、上司2人の仲は最悪。毎日2人が言い合う中、間を取り持ったり、それによって不機嫌になった上司の機嫌を取ったり。
暴言を吐く上司が異動になってから、新しく入ってきた上司は仕事ができないことで有名な方で、どんなに仕事を説明しても一向に覚えられず。その方も一生懸命仕事をしているということがわかっているからこそ、些細なことでイライラしてしまう自分を責めて、だけど自分の仕事もどんどん溜まっていって、変わらず少人数の部署だったからフォローしてくれる人もいなくて、特殊な部署だったから愚痴を吐こうにも業務内容を伝えるところからになるし、うまく聞いてもらうこともできなくて。

そんな中、恋人に振られて、裏切られていたことを知って。大好きだった祖母も亡くなって。
本当にもうボロボロだったけど、ここで駄目にはなれないって思っていましたね。
わたしが仕事を休んでしまったらこの業務を熟せる人がいない、祖母が亡くなって悲しい中でわたしが崩れてしまったら母がもっと悲しむ、わたしが駄目になったら元恋人に対して負けな気がする、そんな責任感や弱いプライドがどんどんどんどんのしかかっていたのに、気付かないふりをしていたんですよね。
そして、春を目前にした時、人事異動が発表されて、所属部署は大幅に増員されることになりました。そのときでしたね。何かが切れたのは。プツン、と。
その前からだんだんと身体を起こせなくなる日が出てきたけれど、異動を境にそれが顕著になりました。それから躁うつ病だと診断されましたね。
凄く辛かったですね。死にたかったですよね。自分なのに、体も心も自分では制御できなくて。
でもあの時のあなたが、なんとか踏みとどまってくれたから今のわたしがいるんです。ありがとう。



拝啓、
療養中のわたし。

何度も何度も言いますけど、あなたもとても辛かったですね。父が、鬱病なんですよね。いや、鬱病と診断されているけれど、側から見た症状は、どう見ても躁うつ病なんです。けれど父は、周りが何を言ってもセカンドオピニオンは受けないから、ずっと鬱病の治療をしています。
躁うつ病って遺伝するんですって。
それを知った時、あー、遺伝もあるのかあって。そう思いましたね。
わたしには妹がいます。
正直、なんでわたしばっかりって思ってしまいました。なんで同じ両親から生まれてるのに、わたしはこんな病気を背負わなきゃいけないんだって。
遺伝もあると母に伝えた時、母は「ごめんね」と泣きました。あぁ、この話は二度としないようにしようと心に決めました。だから、どこにも吐き出せませんでした。ひとりで泣くしかありませんでしたね。自分はただの重荷でしかない、そう思って死のうと考えた時、「ただでさえ重荷なのに部屋で死んだらこの土地売れなくなるかな」「線路に飛び込んだらたしか凄くお金請求されるんだよな」「飛び降りも同じなはず」「じゃあどこでだったら死ねる?」そんなことをぐるぐるぐるぐる。元々先に行動するより思考する人間だったのが功を奏しましたね。今は反対になっているので、今この状態だったら死んでますね。
そんな日々を過ごして、耐えて、耐えて、耐えて。
そして、今があります。よく耐え抜きました。本当にありがとう。


拝啓、
今のわたし。

ここまで自分に焦点を当てて書いてきたけど、今にたどり着くまでにどれだけの人に迷惑をかけてきただろうね。
恋人と別れた時なんて、人生で初めて経験する別れだったもんだから、相手の迷惑も考えずにパニック状態でいろんな人に連絡しまくっちゃって、俗にいうメンヘラだったよね。本当に迷惑な人間だった。恥ずかしい。その後も、たくさんの人に話を聞いてもらったり支えてもらったから今があるよね。
自分自身に対してもありがとうだけど、やっぱり周りの人たちに対してもたくさんのありがとう。

こうやって振り返ってみても、まだ振り返りきれないくらいたくさんのことがあって、今のわたしがいる。今のわたしが過去のわたしになったとき、よく頑張ったね!って、今よりちょっと歳を取ってシワが増えたわたしが両手で精一杯ハグするんだろうな。いや、できれば今とそう変わらない見た目のわたしにハグしてほしい。

中学時代のわたしが社会人時代のわたしを見たらびっくりする(良くない方でだけど)ように、社会人時代のわたしがほんのちょっと先のわたしを見たときびっくりする(めちゃくちゃ良い方で)ような、そんなわたしがいる。


拝啓、
目標達成したわたし。

アンタ!よくやったな!!!!!!
ていうかわたしが言った通りでしょ!?
間違いなかったでしょ!?全部今のわたしが言った通りになってるじゃん!!!!!!
先のわたしを信じた今のわたしも、今のわたしを信じた先のわたしも、どっちも最高!!!!!!
ハッピーだらけだね!!!!!!


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