作品の向こうには仲間がいた
2023年8月22日(火)朝の6:00になりました。
バイバイとか、サンキューとか、簡単だけど。
どうも、高倉大希です。
むかしから、人に言われて嫌な言葉というものがあります。
それは「考えすぎ」という言葉です。
他者から言われると、とてもさみしい気持ちになります。
「これ以上お前の思考に付き合うつもりはない」と、切り捨てられた気になるからです。
そんなとき、文学に出会いました。
文学作品の向こうには、自分とおなじように考えすぎる人がいました。
そんなとき、音楽に出会いました。
音楽作品の向こうには、自分とおなじように考えすぎる人がいました。
そんなとき、映画に出会いました。
映像作品の向こうには、自分とおなじように考えすぎる人がいました。
この世には確実に、考えすぎる人がいる。
そんな事実を証明してくれた作品は、大切な拠りどころとなりました。
間違いなく、存在はしています。
しかし、そんなつくり手はなぜかいつも遠くにいます。
会って、話すことはできない。
作品を通してしか出会えない距離に、さみしさを感じることもありました。
作品は、遠くの仲間の存在を知らせてくれる便りのようなものでした。
返信を送ることはできない、一方通行の便りです。
仲間の存在を確認できなければ、いまの自分はここにはいない。
ときどき、そんな大袈裟なことを考えることもあります。
作品の向こうにいる人も、決して自分とおなじではない。
孤独が前提になったのは、もうすこしあとのことだったように思います。
どれだけ共感したとしても、みんなちがう人間です。
だからこそ、話をしましょう。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。