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映画『正欲』は、もはや観るまでもなかったまである


2023年11月13日(月)朝の6:00になりました。

ほっといてもらえれば、勝手に生きるので。

どうも、高倉大希です。




岸善幸監督の映画『正欲』を、観に行ってきました。

原作は、朝井リョウさんの小説です。


改めてこの人は、世間の気持ちの悪さを描くのがほんとうに上手です。

世間を気持ち悪く思う人たちの気持ち悪さまでが、作品に落とし込まれています。


だから、迂闊に共感することができません。

共感している状態すら、気持ちが悪いと言われてしまうような気がするからです。


多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。

朝井リョウ(2021)『正欲』新潮社


今作もそんな朝井リョウ節が、炸裂しておりました。

あまりにも朝井リョウすぎて、もはや観るまでもなかったまであります。


相変わらず気持ちの悪さに敏感で、相変わらず迂闊に共感できない作品でした。

作中では、特殊な趣向を抱える者どうしが邂逅することで安心を得ます。


ところが、そんな安心している状態すら不穏な描かれ方をします。

奇跡の出会いにつながる未来が、必ずしも明るいとは限りません。


まったく共感できないかもしれない。驚愕を持って受け止めるかもしれない。もしくは、自身の姿を重ね合わせるかもしれない。それでも、誰ともつながれない、だからこそ誰かとつながりたい、とつながり合うことを希求する彼らのストーリーは、どうしたって降りられないこの世界で、生き延びるために大切なものを、強い衝撃や深い感動とともに提示する。

映画『正欲』公式サイトより


「〇〇が好きだ」と言える時点で、似ている人を探すことができるじゃないか。

これが、映画を観終わったときの率直な感想でした。


マイノリティである所以が明確なら、難しくとも探しようはあります。

問題は、マイノリティである所以に明確な名前をつけられないときです。


本作のように、仲間と出会うという奇跡すらほど遠くなってしまいます。

奇跡の出会いに期待しながら生きていくことほど、辛いことはありません。


「孤独」は、前提なのだ。「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。赤ん坊じゃないんだから、誰もあんたのために生きてない。それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、リンクすることはできるし、時には共振し、時には矛盾し、時には協力しあうことはこれもまた当たり前のことのようにできる。

ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン(2000/11/6)」より


映画を観ながら連想したのは、押見修造先生の『惡の華』でした。

この作品でも特殊な趣向を抱えた人が、世間を相手に苦しみます。


苦しみ抜いた末に、その人物は穏やかに生きている姿を見せてくれます。

『正欲』のように、運よく仲間に出会えることを期待してはなりません。


二度とくるなよ、ふつうにんげん。

孤独は、前提です。






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