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感想なんて言いたくない


2023年10月18日(水)朝の6:00になりました。

それってあなたの感想ですよね?

どうも、高倉大希です。




映画は、ひとりで観たい。

ずっと、そう思っています。


なぜなら、終わったときに感想を言わなくて済むからです。

こう思ったとか、ああ思ったとか。


ひとりなら、話す必要がありません。

だれにも邪魔されることなく、余韻に浸ることができます。


ぼくは、ひとりの時間を持たない人は、どこか嘘があると思う。できれば、ひとりの時間を持っている人や、それを経験してきた人と付き合っていたいんです。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


学校ではよく、感想文を書きます。

子どもながらに、なぜ書かなければならないのかとずっと疑問に思っていました。


たのしかったとか、おもしろかったとか。

だからどうした、という話です。


そこまでは言わずとも、よかったね以上のことはありません。

名もないひとりの感想なんて、だれも興味がないのです。


作者すら気付いていない作中で生じた現象を掴んだり、「このように鑑賞する方法もある」と新たな角度から作品に光を当てなければ意味がないと考えている。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


他者に感想を共有しようというのなら、せめて発見を述べなければなりません。

あなたの解釈をとおした、あなたなりの発見です。


そこではじめて、他者に興味をもってもらえる可能性が生まれます。

当然その発見がしょぼければ、だれも見向きはしてくれません。


自分の感想を、他者に受け取ってもらう。

当たり前のように行われていますが、そんなに簡単なことではありません。


僕らが話をするのを聞いて、どうしてそんなおもしろい経験ばかりしているのだろうと、一般の人は思うかもしれない。けれど、それは違う。僕らだって、普通の人と同じように平凡な普通の毎日を生きている。その日常の中から、素材を見つけ出し、料理しているだけなのだ。

島田紳助、松本人志(2003)「哲学」幻冬舎


だから感想は、けっこうバレます。

目の前のものごとをどう捉えたのかが、顕になってしまうわけです。


学校でやけに、感想文を書かせる理由はここにあります。

感想を書かせれば、その人のものごとの捉え方が顕著にあらわれるのです。


おなじものを対象としているのなら、なおさらです。

おなじ映画を観たあとに感想を言おうものなら、すべてがバレてしまいます。


エンターテイメントの役割は「人を幸せにする」のではなく「幸せになろうとする人の手助けをする」ということだと僕は考えています。

小林賢太郎(2014)「僕がコントや演劇のために考えていること」幻冬舎


また今度、いっしょに映画を観にいきましょう。

そして、なにも言わずに帰りましょう。






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