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「自分がされて嫌なことは他人にもしない」は言うほど万能じゃないぞ
2024年3月20日(水)朝の6:00になりました。
みんなちがって、どうでもいい。
どうも、高倉大希です。
朝日を見て、新しい1日のはじまりを気持ちよく思う人がいます。
その一方で、朝日を見て新しい1日のはじまりを憂鬱だと思う人がいます。
ひとりでいることを、寂しいと思う人がいます。
その一方で、ひとりでいることを楽しいと思う人がいます。
罵声を浴びせられて、苦痛に思う人がいます。
その一方で、罵声を浴びせられて快感に思う人がいます。
「収入が高くて困っている」とか「自分の異性が好きなんだけど、どうしよう」と悩む人がいてもよさそうなのに、見当たらないのはどうしてでしょうか?それは僕たちが生きる社会には無数の「当たり前」があり、そこから外れる人が悩んでいるのです。
自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけない。
小さいころから、ずっとこう教えられてきました。
たったひとりの自分の感覚なんて、まるであてにならない。
大人になってから、こんな事実に気がつきました。
自分にとっては大好きなことが、他人にとっては大嫌いなことだったり。
自分にとっては大嫌いなことが、他人にとっては大好きなことだったり。
多様性の肯定は軋轢の肯定でもあります。多様なひとたちが声を上げれば、当然軋轢も生まれる。そこからこそ訂正する力も生まれてきます。(中略)本当に大事なのは、自分と異なった意見をもつ人間を、すぐに理解し包摂しようとするのではなく、理解できないまま「放置」するある種の距離感なのです。
人の気もちが、想像できる人になりなさい。
小さいころから、ずっとこう教えられてきました。
たしかに、相手を思う想像力はとても大切です。
ただし、これだけは忘れてはなりません。
それはあくまでも、ただの想像です。
本当の意味で、相手の気もちなんてわかるわけがないのです。
わかりあえないというところから歩きだそう。湿潤で美しい島国で育った私たちには、それを受け入れることはつらく寂しいことかもしれない。「柿くへば」を説明することは、とても虚しいことかもしれない。しかし、おそらく、そこから出発する以外に、私たちの進む道はない。
自分がされて嫌だからといって、相手も嫌だとは限りません。
自分がされて嬉しいからといって、相手も嬉しいとは限りません。
仮に多くの人が自分と同じだとしても、相手がそこに含まれるかはわかりません。
仮に多くの人が自分と同じだとしても、時と共に簡単に変わるかもしれません。
自分がされて嫌なことは、他人にもしない。
この考え方は、言うほど万能ではありません。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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