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「自分がされて嫌なことは他人にもしない」は言うほど万能じゃないぞ


2024年3月20日(水)朝の6:00になりました。

みんなちがって、どうでもいい。

どうも、高倉大希です。




朝日を見て、新しい1日のはじまりを気持ちよく思う人がいます。

その一方で、朝日を見て新しい1日のはじまりを憂鬱だと思う人がいます。


ひとりでいることを、寂しいと思う人がいます。

その一方で、ひとりでいることを楽しいと思う人がいます。


罵声を浴びせられて、苦痛に思う人がいます。

その一方で、罵声を浴びせられて快感に思う人がいます。


「収入が高くて困っている」とか「自分の異性が好きなんだけど、どうしよう」と悩む人がいてもよさそうなのに、見当たらないのはどうしてでしょうか?それは僕たちが生きる社会には無数の「当たり前」があり、そこから外れる人が悩んでいるのです。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけない。

小さいころから、ずっとこう教えられてきました。


たったひとりの自分の感覚なんて、まるであてにならない。

大人になってから、こんな事実に気がつきました。


自分にとっては大好きなことが、他人にとっては大嫌いなことだったり。

自分にとっては大嫌いなことが、他人にとっては大好きなことだったり。


多様性の肯定は軋轢の肯定でもあります。多様なひとたちが声を上げれば、当然軋轢も生まれる。そこからこそ訂正する力も生まれてきます。(中略)本当に大事なのは、自分と異なった意見をもつ人間を、すぐに理解し包摂しようとするのではなく、理解できないまま「放置」するある種の距離感なのです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


人の気もちが、想像できる人になりなさい。

小さいころから、ずっとこう教えられてきました。


たしかに、相手を思う想像力はとても大切です。

ただし、これだけは忘れてはなりません。


それはあくまでも、ただの想像です。

本当の意味で、相手の気もちなんてわかるわけがないのです。


わかりあえないというところから歩きだそう。湿潤で美しい島国で育った私たちには、それを受け入れることはつらく寂しいことかもしれない。「柿くへば」を説明することは、とても虚しいことかもしれない。しかし、おそらく、そこから出発する以外に、私たちの進む道はない。

平田オリザ(2012)「わかりあえないことから」講談社


自分がされて嫌だからといって、相手も嫌だとは限りません。

自分がされて嬉しいからといって、相手も嬉しいとは限りません。


仮に多くの人が自分と同じだとしても、相手がそこに含まれるかはわかりません。

仮に多くの人が自分と同じだとしても、時と共に簡単に変わるかもしれません。


自分がされて嫌なことは、他人にもしない。

この考え方は、言うほど万能ではありません。






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