文化的落ち葉そうじ
2024年3月21日(木)朝の6:00になりました。
葉が落ちれば、僕はそれを効率よく道端に退かせた。
どうも、高倉大希です。
本屋さんに行くと、ほんのすこしだけ寂しくなります。
生きているうちに読める本なんて、たかが知れているのだろうなと思うからです。
この空間に集まる知識の数%も理解しないままに、死を迎えることになります。
どうしようもないことはわかっているのですが、なんだか寂しくなるのです。
それと同時に、当然うれしくも思います。
たった数%であれ、その価値に触れることができるからです。
玄関先にたくさんの落ち葉がたまっています。
ほうきとちりとりを持ち出して、たまった落ち葉を集めます。
翌朝目が覚めると、また玄関先にたくさんの落ち葉がたまっています。
ほうきとちりとりを持ち出して、たまった落ち葉を集めます。
昨日の落ち葉と今日の落ち葉は、まったくちがう落ち葉です。
新しい落ち葉を、毎日ほうきで集めます。
意味がない。
そう言ってしまうことは、簡単です。
大抵の「意味がない」は、「考えたくない」の裏返しです。
むしろ意味があることなんて、はじめからないのかもしれません。
変わっためがねをかけた人が、こんなことを言っていました。
「コスパをよくしたいのなら死ねばいい」
わかりやしないものを、わかろうとする。
翌朝も落ちてくる葉を、そうじする。
意味がある。
意味がない。
そんなこと、誰にも判断できません。
だからこそ今日もせっせと、ほうきで落ち葉を集めます。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。