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沈まぬように。そして、急ぎ過ぎて溺れぬように。

焦る。

気持ちが、急いている。


いろんなアイデアがずっと浮かび続けている。
今の自分が経験していること、学んでいること、試行錯誤していること。
そのすべてが、誰かの役に立つのかもしれない。
うつになるまでは見えなかった、進むべき道みたいなものが見え始めてきている。

でも。

急ぐな。
わたしの心の中から声がする。


なにかを学ぶとき、人はまず知識を知識として脳みその中に格納する。
その知識を、ただの知識として脳みその中から都度ひっぱり出しているだけでは、それはただ読み漁った本の引用をくっつけ合わせて行間を埋めて、まるで自分の考えたこと、自分の意見かのように論じているペラペラの論文に過ぎない。

そんなことをしても。
意味ないことを、知っているだろう。
そんなことをしても。
本当の意味で誰も救えないことを知っているだろう。
そんなことをしても。
自分だけが知っている己の無知と、不甲斐なさに、その薄っぺらい仮面に、苦しみ堕ちていってしまうことを、わたしは、誰よりも知っているだろう。

それを経験したからこそ。
それをやってしまったからこそ。
こうして今、底なし沼の闇へと堕ちてしまったのだから。


他人を救う前に、まずは自分を救え。
自分を救った後は、他人を救う前に自分の身近な家族を救え。
それでも余ったもの、熱、力があるのなら。

そのときはじめて、赤の他人を救えばいい。


知識が智慧(ちえ)となるには。
知識を脳みそに格納するだけじゃ足りないんだよ。
その知識を、肉体に、行動に、生活に、日常に、落とし込まないといけない。

脳みそから都度ひっぱり出してくるんじゃなくて。
息をするのと同じくらいに。
自分の肉体と溶け合うくらいに。

そうして初めて、知識は智慧になる。
そうして初めて、人はなにかを学び、それを体得したと言える。


タイミングを間違えるな。
焦るな。
本質を見誤るな。


でも、そのゴールはどこにある?
でも、その道標はどこにある?
地図もない。
明確な折り返し地点やサインもない。
そんな中、いつ「そのタイミングが来た」ってわかるんだろう?


そんな不安が、ずっとある。
この心の底に。
この闇の中に沈んで、その中で光を目指してもがき始めた日から、ずっと。


わからない。
答えなんて、誰もくれない。
正しい道なんて、誰も用意してくれない。

自分で、進むしかない。
自分を信じて。
目の前に流れてくる事象を信じて。

ただ、ひとつずつ。

それ以外に、今、できることは、きっと、なにもない。
そして、それ以外に、しなければならないことも、きっと、なにもない。

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