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出版社を辞めた僕はキャバクラで黒服をすることになった。 #3

(前回)

中野区のさびれたキャバクラに勤務して1か月が経っていた。
薄給で衛生面も良くない、場末感のただようバイト先。

ゴミだめのような環境で僕が辞めずにいられたのには理由がある。
不思議なことに、可愛い女の子が多かったのである。

特に僕のお気に入りだったのはリタという源氏名の女の子だ。
モデルのように背が高く、日本人形のように黒髪を伸ばした清楚系だった(水商売に従事している時点で清楚系もへったくれもないのだが)。

外見の可憐さだけでなく接客技術もピカイチ。彼女が席につけば、どんなにケチな客でもついドリンクを入れてしまう。たしかな実力で多数の固定客を抱える、まさにエースの一角だった。

人気のあるキャストは、他にも数名在籍していた。
場末の小さなキャバクラなんて来なくても、もっと稼げる場所が他にいくらでもありそうな優秀な女の子が。
なぜ? と当初は疑問だったが、働いているうちにわかった。
彼女たちがこの店で働くことには、いくつかメリットがあるのだ。

一つ目は、店側が人気のあるキャストに特別な待遇を与えていたこと。
時給アップや交通費の支給など、他店からの引き抜きを防ぐような好条件だ。通常のキャストが聞けば「不公平だ」と怒っていただろう。
実力至上主義の水商売では当然のことなのだが。

二つ目は、ストレスの少ない環境であったことだ。
最初に黒服バイトを提案してくれたキャバ嬢はこう話していた。

「キャストのお世話は、歌舞伎町にあるような本格的な店より楽だと思うよ。みんないい人たちだから」

都心の店ではキャバ嬢を本業としている女の子が多く、売上のノルマに対する熱意、他のキャストとの競争意識などが比較的高い。
夜の世界しか知らない人が多い店では、キャスト同士での争いや窃盗・傷害といった事件も起こりやすいのだそうだ。

それに比べれば、中野区の小さなキャバクラは治安が良い。
ノルマも競争もないだけでなく、ほとんどの女の子が昼職を本業としている。
ゆえにキャバ嬢としては副業ならではの”一種の余裕”を持っている。
キャスト同士で貶めたり客を奪ったりすることは一切ない。待機用ボックスでは適度に挨拶したり、世間話をしたり、ジャニーズのライブの話をしたりするぐらいだ。
もめごとを避けて無難にやり過ごす処世術を熟知しているのだ。

彼女たちは昼職で十分な生活費を稼いでおり、このキャバクラに人生を懸けている者など一人もいない。彼女たちがここに勤務しているのはあくまで小遣い稼ぎのためだ。
だからこそ、店にも客にも執着しなくていい。
都心のギラギラした高級キャバクラで働くのはハードルが高いかもしれない。しかし、雑で汚いこの店なら、自分のペースで働くことができたのである。

バッグヤードは生活感に溢れる(撮影/牛窓)

人気キャストの女性たちが別の店に移らなかった理由はもう一つある。
それは「店長」の存在だ。
面接に出てきた白髪の男は「社長」で、その下で店を任されているのが「店長」だった。
「店長」は若い女性である。キャストたちの愚痴や条件面の相談を引き受け、ケースバイケースでしっかり対応してくれる。キャストからしても、自分たちのことを理解してくれる女性店長のもとで働いていたいと思うのは当然の心理だろう。

店長が念頭に置いていることは「いかに金を稼ぐか」だ。
来店する客一人一人の個性を見極め、どれだけ金を落とすかを概算してキャストを采配する。
羽振りのいい客なら必ずドリンクを入れるため、できるだけ多くのキャストをつかせた方が店に利益が生じる。そのため店側による積極的なチェンジが行われた。
女の子が足りない日には店長自身がキャストになることもあった(店長は男性人気も強く、固定客が大勢いた)。また店長の指示があれば、黒服である僕が席につき、客からドリンクを入れてもらうことさえあった。
すべては店のキャストを十分に養っていくためだ。店長は身内想いなのだった。

キャバクラの黒服としての仕事を僕に教えてくれたのも店長だ。店長が入っている日は積極的にホール業務に携わらせてくれたし、「2月と8月は閑散期(=ニッパチと呼ばれる)」などの豆知識も教えてくれた。
他のキャストから聞いた話では、店長も僕を有能で真面目な従業員だと信頼してくれていたらしい。感謝してもしきれない存在だ。

そんな店長が後日とある事件を引き起こすことになるのだが、それはもう少し後で記述することにしよう。(牛)

(ようやく折り返し)


牛窓:1995年生まれ。脚本家。『ルポ〇〇の世界』ゲストライター。大手出版社勤務を経て、2022年にNHK BSプレミアムよりドラマ脚本家としてデビュー。「明治時代、山縣有朋が次期首相の座をめぐってひたすら下ネタで盛り上がる」という舞台を上演して観客をドン引きさせたことがある。署名は(牛)。


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