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V8V8V8V8!イモ〜タン・ジョ〜〜〜〜〜な映画解説
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#映画感想

映画『オッペンハイマー』レビュー〜責任という名の虚構に踊らされるプロメテウス

映画『オッペンハイマー』レビュー〜責任という名の虚構に踊らされるプロメテウス

映画「オッペンハイマー」を見た。
クリストファー・ノーランの映画は必ず映画館で見ることにしている。
時の魔術師クリストファー・ノーランは、「インセプション」では断層的な夢の世界の時の魔術を、「ダンケルク」では空間と速度における時の魔術師を、「テネット」では時間さえ逆行させてしまう大魔道士となった。IMAXフィルムを使ってね。ホイテマ。
「オッペンハイマー」は時の魔術師としての新たな秘術を・・・と思

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「ジョジョ・ラビット」と大人はつらいよ

「ジョジョ・ラビット」と大人はつらいよ

ジョジョ・ラビットに出てくる大人たちは皆、ひたすらに濃厚な俗物として描かれている。
大人とは社会の何かしらのポジションに屹立するセルロースの塊、動けない生命である。
大人とは成長するにつれ、親ガチャや社会との適合性、社会からの要請への返答次第で、社会の用意された場所へ自ら出向くか流されるかでどこかに収まるのである。

ジョジョの母親、第二次世界大戦期にしてはフェミニンごりごりの強き女性ではあるが、

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なぜデビッド・フィンチャーの復讐の描き方は痛いのか?

なぜデビッド・フィンチャーの復讐の描き方は痛いのか?

デビッド・フィンチャーといえば復讐であり、それはそれは痛々しい。
単にグロテスクと一蹴するも良し、しかし過剰なまでの生々しい痛覚映像化の手腕は天才的である。
ドラゴン・タトゥーの女の例のシーンは言うまでもなく、ファイトクラブの社会への復讐としての裸の暴力とビルの崩壊シーン、ソーシャルネットワークの友人を失う瞬間、ゴーン・ガールの馬鹿な亭主の醜悪なバカさ加減・・・ただ身体的な痛みではなく、様々な「痛

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ジム・ジャームッシュがわからない

ジム・ジャームッシュがわからない

「パターソン」を観たのだが、相変わらずのジャームッシュ節。
何かが起こっているのだが、全体的に俯瞰してみると何も起こっていない。
我らが押井守の「ビューティフル・ドリーマー」的な終わらない日常、そのもっとおしゃれなやつ。そんな映画ばかり。
通ぶるにはちょうどよい「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を半分眠りながら観たつもりになっている僕には大いに心当たりがある。

ジャームッシュ映画の特徴は、反主

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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」感想 愛を求める二人

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」感想 愛を求める二人

ネタバレ注意

まずは簡単なあらすじから。
過去の深い罪に苦しむ主人公リー
一見リア充ながらアイデンティティの不在に苦悩する甥のパトリック
そんな二人が共に過ごす時間を描いた映画。

リーはある事件を起こしたことから、それまでのすべてを捨て見知らぬ土地で本質的な意味での自虐的な生活を送っていた。
故郷を捨て、ボストンの住宅街で便利屋として働きながら、酒と喧嘩に溺れ無機質な部屋でただ生きながらえてい

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『JOKER』と無敵の人〜俺が悪いんじゃなくて、社会に合わない俺に自己責任論押しつけてくる奴が悪い

『JOKER』と無敵の人〜俺が悪いんじゃなくて、社会に合わない俺に自己責任論押しつけてくる奴が悪い

昨今、公共の場で無双乱舞する人が増えて困りますね。

そうテレビの難癖コメンテーターたちのような庶民代表顔している、そこのあなた!

JOKERはあなたのとなりにいるんです、たぶん

京王線刺傷事件の犯人は、JOKERの模倣犯?なんてニュースが駆け巡ってますが、あれはいわゆる「無敵の人」というやつでしょうか。

「無敵の人」とは、かのひろゆきさんが定義づけたとかしないとかいわれる、『失うものがなに

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『ミッドサマー』は現代だからこそ受け入れられるバズるオカルト民俗学

『ミッドサマー』は現代だからこそ受け入れられるバズるオカルト民俗学

『ミッドサマー』はベタなオカルト民俗学だ。

令和のこの時代だからこそオカルト民俗学であるとほんわか認識してもらえたわけで、これはジェネレーションギャップの輪廻転生をすかさずすくい取ったマーケティングの勝利であろう。

オカルト民俗学というのは、オカルトレイヤーの幾分深いところにあるオカルト趣味分野だ。

オカルト趣味は、全人類共通の興味の対象としての磁力が強い。

理由は簡単で、すでにユヴァル・

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