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『JOKER』と無敵の人〜俺が悪いんじゃなくて、社会に合わない俺に自己責任論押しつけてくる奴が悪い

昨今、公共の場で無双乱舞する人が増えて困りますね。

そうテレビの難癖コメンテーターたちのような庶民代表顔している、そこのあなた!

JOKERはあなたのとなりにいるんです、たぶん


京王線刺傷事件の犯人は、JOKERの模倣犯?なんてニュースが駆け巡ってますが、あれはいわゆる「無敵の人」というやつでしょうか。

「無敵の人」とは、かのひろゆきさんが定義づけたとかしないとかいわれる、『失うものがなにもない人=社会のルールなんてくそくらえマン化』のことを言います。

我々は社会のルールを守ることで、ダンバー数を超えた集団で生きています。

人間は150人くらいの集団形成が限界で、それ以上になると安定的な社会関係が維持できないとか。

社会のルールとは、神様や聖書やKGBやジャイアンなどが作る決まりごとであり、これを破るとたいていロクな目に合わないぞ!という抑止力です。

よって、我々は幼き頃からこのルールを遵守するよう、まるで犬にトイレを躾けるかの如く人格矯正されるわけです。

もちろんメリットは大です。なんせこのおかげで文明が生まれ、餓えや病に苦しむことなく、というか一番はより強者である人間に狩られることなく我々は安全欲求を着実に満たしているのです。


ですがね、このルールというやつは尊いものとされ道徳なんていわれていますが、誰が決めたんでしょう。

そして非常にアンフェアです。

だってね、金持ちに生まれるかどうかで人生決まっちゃったり年代が違うだけで就職率違ったり生まれる場所で生存競争が全然違ったり、リアルタイムでドラゴンボール見てない若い子と話が合わないのに愕然としたり、そんなこんなで非常に厳格なルールのくせにスタート地点が全く考慮されていないわけです。

このアンフェア感、フリーライダーむかつく感、俺はまだ本気出してないだけ感が生まれること間違い無しのバグった体制であるのは言うまでもないんですね。

というか、これは言い訳なんですよ。言い訳ができてしまうところに問題があるわけです。

もちろん、言い訳ができないシステムなんてジョージ・オーウェルが潜入してそうなヤバい政治体制ですよ。

でもこのアンフェア故に言い訳ができてしまう素地に、自己責任論という体制側の言い訳を押し付けてしまうと、そこは修羅の国になってしまいます。


よって政府や上級国民は、アンフェア感をひた隠しにして甘い蜜を吸うのが「腕の良い上級国民」でした。

田中角栄なんてあれだけステレオタイプな油でデラデラの見た目しているのに、腕の良い上級国民でしたね。

平成という暗黒時代の黒歴史において、日本という国はせっせと貧しくなり、上級国民は勤勉に勤勉な国民を搾取し続けました。

この搾取というのは、正社員で働いて結婚して子ども作ってマイホーム建てるという昭和の王道幸福パターンをなぞるための機会を搾取したのです。

このサザエさん的幸福パターンは古臭くてバカにされてますが、サザエさんの呪いは今でも国民の脳裏に焼き付いているのはご承知の通り。

しかも、サザエさん家ですら「専業主婦2人で都内庭付き平屋ってどんだけ上級国民やねん」と嫉妬されてしまうくらい我々は努力すれば普通の暮らしができるという共同幻想がマジで幻想だったという事実と向き合っています。


JOKER」は格差大国USAの映画ですが、グローバリゼーションにより貧富の格差がスペースX昇りしている世界的な世情を反映した映画であるのは言うまでもないでしょう。

アメリカン・ニューシネマ時代のゴリゴリのマーティン・スコセッシ映画をほぼ丸パクリしたのは、当時の時代背景が現代と非常に近いからでしょうね。

JOKER=アーサー・フレックは、典型的な負け組要素を全て網羅したSASUKEでいう山田勝己のような男です。

貧困、80:50、独身非モテ、障害(しかも虐待による後天的な)、非正規雇用

負け組パーフェクトなアーサーは、社会のルールに適応できない自分を呪っていました。

なぜ俺はこうもダメなんだ」と。

アーサーは、誰からも相手にされず、社会からは厄介扱いされ、家族の愛情からも見放されていました。

アーサーは、それでも自己責任原則を受け入れて生きていました。


しかし、ある事件を起こしてアーサーはわかってしまうんですね。

社会のルールって、絶対ではないと。

アーサーは、ひょんなことから上級エリート正規雇用労働者を撃ち殺してしまうんですが、そのあとの恍惚な表情こそこの映画の全てですね。

絶対に超えられない壁の先にいる住人を、人差し指を引くだけで殺すことができた。

この瞬間に社会のルールは本当に見えないだけのものであり、それを遵守していた自分を解放してあげたい、そして解放した可能性の先にある新たな世界を手にするんです。


ピエロの暗殺者がマスコミに取り上げられ、世間が共感を、ある種の一体感を生みます。反格差社会へのヒーローの誕生です。

アーサーはこの時、自分が発見した新たな世界を現実に呼び起こすことができるんじゃないかと希望を感じたのかもしれません。

アーサーの精神は、狂気の世界へ浸透していきます。

いや、我々が狂気としている世界です。

アーサーは、狂気こそが現実である・・・そんな陳腐なテーゼではない現実社会の非現実化により「自分で選んだ人生を生きている」という全能感を得ました。

アーサーのあのダンスは、虐げられ、騙され、それでも社会へ認めてもらおうとしていた自分の滑稽さを笑い飛ばしているんです。

社会とは共同幻想でしかなく、それに縋るも使うも無視するも自由。

これこそ、無敵の人です。

アーサーは、こうして無敵の人になりました。


アーサーは2人の父親と出会い、そのいずれにも相手にされません。

父性を求めていたという最後の現実社会に依存していた自分の部分はこれで完全に消滅し、正真正銘の無敵の人になったアーサーはJOKERになりました。

JOKERは拳銃をガシュガシュさせないロバート・デ・ニーロを世間の目の前で射殺し、その砲声はゴッサムシティを共同幻想の夢から覚ます轟音になりました。


無敵の人を作りたくないのであれば、中国のような監視社会化させるか、社会保障制度をよりフェアに振りまくか・・・しかないんでしょうか?

それとも、昔の日本のようにイエ・ムラ制度で雁字搦めにして同調圧力で特攻までさせればよいのでしょうか?

この問題は、個人主義を消費の観点から奨励してきたこの数十年と、経済活動最優先にしながら体制側の言い訳としての自己責任論を押し付けてきたことが原因じゃねえかなと思います。

個人主義により、経済活動のパイが膨らむかに見えましたがこれは失敗でした。しかし、経済成長と大量消費社会が行き詰まった最後の一儲けは、個人主義的消費がカンフル剤でした。

個人主義は暴走し、家族制度は瓦解、地域のコミュニティはマンパワー不足でオート姥捨山となり、うっすい壁の令和うさぎ小屋で犇めき合ってパソナに搾取される若者という名の残骸だけが残ったわけです。

イエ・ムラ制度へ帰れ!というのはもう無理でしょう。「美しい国」は憲法を変えても不可能ですし、共産主義は選挙のときのウグイス嬢になっちゃいましたしね。

もうすでに右とか左とかイデオロギーとか言っている場合ではないのに、いい年した日光老害軍団がプロレスしながら確信犯的に傍観しているのを若者は的確に捉えています。

故に選挙に行かない。プロレスよりも総合格闘技が好きなんです。


結局は自己責任論で縛り上げた結果、もはや一億総碇シンジくん時代に突入しました。

あ、TV版のシンジくんですよ。

もはや現代に残されたライフハックは、雑音少ない場所で細々と生きるだけです。これが一番コスパが良い。

〇〇離れはミニマリズムを通り越してハイデガーの領域に達しています。


いわゆるワイドショー的無敵の人=JOKER化は『俺が悪いんじゃなくて、社会に合わない俺に自己責任論押しつけてくる奴が悪い』という振り切れが復讐心となった時に発生します。

アーサーのような新たな世界の住人になるわけではなく、単なる開き直りです。

しかし、見返りがないのに社会に言われるがまま辛抱させられ続けてきたという感情が、世間に充満しているのは肌感覚でわかるんじゃないでしょうか。

子供の頃から矯正され、「我慢すれば普通の生活ができる」と辛抱し続けて成人した結果、こんな辛いの?ってのは、経済原理的におかしいですよ。

このコスパの悪さ、回収不可能なタダ働き、機会損失と過ぎ去った可能性、これで文句一つ言うなってのは流石に酷すぎますよね。

でもこれは日本だけではなくて、いわゆる先進国共通の問題です。


JOKERを生まないためには、体制側から自己責任論を押し付けないこと、そして選択肢を増やすことですかね。

自己責任論は結局政治の失敗だし、僕を含めて先人の失政なわけです。

そうであったのならば、ライフスタイルの選択肢を増やして望むべき自己責任原則が円滑にできるよう整備してほしいですね。

僕なんかは基本働きたくないので、本と映画と第3のビールさえあればベーシックインカムとかで細々と生きていくのも平気です。

それを選んだのであれば、ひどい病気になったら安楽死させてくれればOK。

まあ、死ぬ間際になったらわかりませんが。

子育ての社会保障制度を充実してくれさえしたら、けっこうあり得る選択肢だと思います。


結局、恣意的に選択肢を削ることで経済活動最優先に差し向けているくせに、そこからこぼれ落ちると自己責任というのはいかがなものかと。

押し付けられた自己責任ではなく、本来の自己責任であれば文句言う人も少ないと思いますね。

週3日勤務で残りの時間は趣味に使うという人もいれば、休みなく働いてランボルギーニでヒャッハーしたい人もいる。

個人主義を推し進めた結果、後戻りはできないんだからそこまで突っ切ってほしいですわな。

JOKERは、自然発生するのではなく、追い詰められた結果です。

かくいう僕もJOKERになる可能性は大いにあるわけです。



要するに僕は働きたくないでござる!!!!!!!!!!!!!

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