東京から24時間離れた父島での暮らし
小笠原諸島の父島をご存知でしょうか?
父島へのアクセスは、東京から24時間かかるフェリーのみ。飛行機はなし。
通常は週に1回、シーズン中は3-4日おきに運航している。
24時間の航海中は電波がない。
つまりほぼ24時間、オフラインの時間ということ。
どこでも電波が繋がる日本で、こんな体験をできることが、ものすごく貴重である。
電波が繋がると、「もうすぐ東京に着くぞー!」「父島に着くぞー!」ってわくわくした。
そんな父島での暮らし。
私はカフェとホテルで働かせてもらっていた。
「海がだいすきです!海で毎日泳ぎたいです!」と宣言していたから、海の状態を調べ、潮の満ち引きを知り、風向を知り、「明日は何時くらいに海に行きたいです!」と自己申告し(笑)、結構、仕事時間も自由に働かせてもらっていた。
11時から働くときは、朝一から泳ぎに行っていたし、朝5時半から9時まで働き、海に行き、思う存分泳いで、2時間ほど昼寝して、3時からまた働くという勤務もあった。
ツアー会社も付属しており、ツアーに空きがあるときは半日休みにしてもらって、ツアーに参加させてもらっていた。
めちゃくちゃ自由に楽しく、自然の遊びと共生しながら、働かせてもらえており、ほんとうに感謝している。
シーズン中のフェリーの就航日は大忙し!
朝9時のチェックアウトに合わせて全部屋掃除し、11時の到着までに完成させる。
そしてフェリーが到着すれば、カフェにお客さんが溢れ、チェックインするお客さんが訪れる。
15時にはお見送りに行って、太鼓とか鳴らして、船も並走して、レイ投げて、、、というようにお見送りが盛大、
それが終われば、スーパーへ買い出し!
食料もこのフェリーで運ばれてくる。
カフェの食事もホテルの食事も1週間分買い込む。
スーパーには住民が溢れ、飲食店の人にいつも会う。「よっ!」みたいな。笑
そして怒涛の一日が終わり、家に帰る前に自分の食材を買いに、またスーパーへ。笑
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台風が来たとき、フェリーは止まった。
スーパーの棚はガラガラ。
フェリーが来ない=帰れない、ということで、ホテルにお客さんは泊まっている。
(交通手段がないから、延泊するという選択しかない。笑)
だからご飯を作り続けなければいけないけれど、材料がないから、釣りに行って、釣れた魚を料理して出す。
それさえも「生きている!」って気がしておもしろかった。
食べ物ない、だから何とか手に入れないといけない。笑
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南国であり、バナナやレモン、パッションフルーツを栽培しており、私はそれらを日本で栽培しているのは見るの初めてだったから、毎回ウキウキわくわくしていた!
養蜂もしていて、生のはちみつを食べたのは、この小笠原だった気がする~!
ハチが浮いている取れたてのはちみつは、激うまだった記憶。
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念願だったイルカスイムにも行けて、南島も行き、めちゃくちゃ楽しい日々を過ごした。
海はズコーン!と深くて、抜群の透明度と濃い青の海には、カラフルな魚やサメもいて、サンゴもあり、沖縄とはまた違う海の美しさに終始感動していた!
「地球環境に優しいところで働きたい」と調べて見つけた場所に「働かせてください!」と勢いで連絡して、働かせてもらったことで、夢が叶い、想像以上に楽しくて、有意義な時間を過ごすことができた!
私は、いつも人生を楽しんでいきたい。
自分の心に素直になって、心の叫びに導かれるように動いていきたい!
愛する人たちと、愛する人生を。
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小笠原で暮らしていた時期の記事はこちらもあります⇩
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