引っ越しは人生の棚卸し作業
引っ越しのために荷造りを始めた。
今の家に住んだのは1年弱、大がかりな掃除をしたことはなかった。
だから、わざわざ棚の奥まで見ることもなく過ごしてきた。
荷造りを始めて、棚を開けて、モノをひとつひとつ取り出して、手に取る。
どんなモノにも、思い出があって、ストーリーがある。
「これはこんなときに使ってたなあ」「これと共にあそこに行ったなあ」
「これは○○さんから貰った手紙だ」
毎度毎度、物思いにふけって、全然荷造りは進まない。笑
そんなことをしていると、引っ越しの荷造りは、人生の棚卸し作業だと感じた。
人生を振り返るのに、もってこいの作業だ。
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この家に住む前は、軽バンに車中泊しながら各地を旅するように住んでいた。
だから始まりは、車一台分の荷物から始まった。
それなのに、気がつけば、段ボール2箱分の本、段ボール2箱分の調理器具、靴も8足あって(長靴、ムートンブーツ、登山靴、サンダルも入れて)、いつの間にか増えていたモノの量に自分で驚く。
定期的に断捨離してきたつもりだったが、それでもまだ手放すものに出会う。
冷蔵庫も洗濯機もダブルベッドもあるため、今回は引っ越し業者を使う、人生で初めての大がかりな引っ越しだ。
最小限のモノしかなかった私が、自分なりに心地よく楽しく暮らすために、自分の好きなモノを集めてきた結果だ。
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最初は、マットの上に寝袋で寝ていた。
冷蔵庫もなくて、必要最低限のものしか購入できなかったが、お米や小豆を炊いたあとに、腐って捨てることもあった。
洗濯機もなく、週に一回のコインランドリー生活。
お皿も調理器具もキャンプ用しかない中で、ちまちましたものを作って食べる日々。
机も棚もなくて、段ボールで代用して過ごしていた。
ああ、忘れ去っていた懐かしき日々が蘇ってくる。
本当に「ゼロ」から、自分がこの空間を作り上げてきたのだ、と実感すると、「よくやってきたなあ」と自分が誇らしくなった。
そしてこんな心地よい空間を作り上げてくれた自分に「ありがとう」と感謝が溢れた。
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ここ一年、苦しんだ。
人生で初めて自分に向き合った。
1年間で書いたノートは8冊にもなった(1冊は現在進行中)。
読み返すと、懐かしき心情に、失笑と涙が出る。
「○○さんに腹が立つ!なんであんなこと言われなきゃいけないんだ。」
「○○さんにこんなこと言われてショックだった。傷ついた。」
という他人に対しての感情の揺れ動き。
自分が大嫌いで、無価値だと嘆き、「自分を愛そう」と呪いのように何度も何度も書いていた。
「生きて生きて生き切る」
「何かを成し遂げるのではなく、生き遂げること」
「傷つくのが怖くて自分を抱きしめている腕を広げてみよう、胸を開いてみよう」
「自由になっていい、幸せになっていい」
「何を恐れているんだろう、何を失うのが怖いんだろう」
「何のために生きているのだろうか、何がしたいんだろうか、何を表現したいんだろうか」
過去のノートを読み返して、そこに書いている言葉に胸がうずいて泣く。
ノートには過去の自分がいる。それは未来の自分へのラブレターのような気がした。
読み返すたびに自分が成長して進化していることを実感する。
こんなに遠くまで来たんだ、と自分で驚く。
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過去の悩みは、今となっては全く悩んでいないことだ。
読みながら「しょーもない!」と失笑することもある。
でもあのときは、本気でその出来事や目の前の人に、腹が立ったり、傷ついたり、悲しんだり、苦しだり、落ち込んだり、悩んでいた。
この一年で、セミナー受けて、カウンセリング受けて、コーチングを受けて、私は本気で変わりたかった。自分自身も自分の人生も変えると覚悟した。
読み返していると、「アルクトゥルスヒーリング」というスピリチュアル的なヒーリングも受けていた。笑
あのときは、苦しくて、誰かになんとかしてほしくて、楽になりたくて、いろんなものに、いろんな人にすがっていた時期もあった、と懐かしくなる。
それほど、出口の見えない暗闇と苦しみの状況から抜け出すことに必死だったのだ。
たくさんの人にサポートしてもらいながら、奥底にいる自分と向き合いながら生きてきた。
ノートを読みながら、ここまで支えてくれた人たちを思い浮かべる。
ひとりじゃここまで来れなかった。
そんな日々から約一年が経ち、私は大きく変わった。
今でも私は相変わらず、目の前の人や出来事に苛立ったり、ショックを受けたり、傷ついたり、喜んだり、一喜一憂して忙しいけれど、自分が受ける打撃は弱くなったし、その感情に大きく振りまわされることも減り、振り回されている時間も短くなった。
幸せを感じられることも、幸せに満ちている時間も増えた。
心が穏やかな時間が増えた。
ストーリーの真ん中から、ひょいっと自分を客観視できるようになることも、増えた。
ここまで必死に自分と向き合ってきて本当に良かったと心から思える。
全員が敵に見えたこともあったし、引きこもりになり、時には泣き叫び、底のない無限な絶望に襲われたこともあるけど、それでも以前のように自分を偽ることには戻れなくて、必死に食らいついてやってきた。
全然楽しくなかったけれど、最近やっと「しょーもない」と自分で自分にウケながら、自分との向き合いが出来るようになってきた。
長かったようで、あっという間に過ぎていった日々。
棚から出てきた、子どもたちから貰った寄せ書きに泣いて、母からの手紙に泣いて。
過去に生きるのではなく、過去を想う。そんな時間も大切。
全然引っ越しの荷造りは進まず、部屋はどんどん荒れていくけれど、この1週間のんびりと荷造りという名の、人生の棚卸し作業をやっていこう。
引っ越しって良いもんだね。この荷造り作業が贅沢な時間に思えてきた。
荷造りが、自分にとっては大きく意味のあることで、人生の節目の今このタイミングで出来ることが嬉しい。
今日は、どんなモノに、どんな懐かしき思い出やストーリーに出会えるだろうか、楽しみだ!
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