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片付ける

たくさんの捨てるものをまとめていて一年前を思い出した。
今と同じように、急いで多くを処理しなくてはいけなくて毎日荷物と格闘していたんだった。

今年は去年より開花が遅いのかな。去年の桜は今頃もうピークで、あと数日で散り始めるくらいの感じだった気がする。
毎日毎日片付けに通って、うんざりして、帰りに花を眺めに行っていた。

片付けは、はじめのうちは書類や本を色々スキャンしたりしていたんだけど(物としては手放すけどデータで残すため)、それがもう間に合いそうにないってなると(10年以上蓄積されてきたものを短期間で充分整理できるはずなどなく)、最終的には「絶対捨てるもの」以外、分量的に何とかなりそうな分はとにかく訳もわからぬまま箱に詰めて持ち帰る形になった(紀要類や学会論集は置き場所が無いから捨てた)。そしてそれらはほとんど開封されることもなく部屋の中でタワーとなり空間を圧迫し続けていた。

私はとにかく物が多く且つ捨てられない。無駄が嫌いだし、活かせるものはなるべく活かしたいって思う。そしていつか使えるんじゃないかっていうのの幅が(私はおそらく一般の三段階位先まで色々想定する傾向があるので)とにかく広い。自分一人で全てに対応し「備えよ常に」しなければいけないから、「必要かもしれない」となるものも非常に多い。おまけに収集癖もある。結果、周りが物だらけになる。

1年間、ずっと何とかしようと思っていたんだけどなかなか動けなかった。無償譲渡の場に持って行ったりもしたんだけど元の量が多すぎた。
でも完璧には無理でもせめて、できる範囲で減らして出ようとは思うから、心的負荷の少ないところからまとめている。

「いつか使えるかも」は「いつか」が無ければ使われない。
そう考えるとわりとすんなりいく。

研究室の片付けで、学報とか大学案内とか、大学関連の資料がたくさん出てきた。入学前、在学中(学部、院)のものもあった。入職後のほうが長くなっていたから、同じものをまとめておこうと家から持って行ったんだろう。
はじめのうちはそのまま箱に詰めて持って帰ろうと思っていた。片付けにうんざりすると中を眺めて、昔の教員リストとか、懐かしいなって思ったりして。
でも、人権委員会のペラ紙の後に全部捨てた。あんまりだと帰ってまた泣いた。

No more harm. I had enough.


はじめから人権なんてないとっくに終わっていたはずが手違いで続いてきてしまっただけの者がしっかり自己責任させていただくだけのこと。
抜け出せるのは幸せだよきっと。幸せってよくわからないけど。

個人宅だと収集日も置ける量も限られるのが厳しい。
まだ使えるはずのものを捨てるのも心苦しい。けれども仕方ない。全ては仕方ないのだから。


2022年11月8日。月蝕だったかな。

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