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ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか

「おれ、馬鹿だからわかんない、誰か教えて」

その日は、大いにだらけていた。夏場のホッキョクグマのような形態になり、youtubeを閲覧していた。最初は目を疑った。まさか偏差値70超えの有名大学出身の頭脳系YouTuberが、こんなコメントを残すなんて。僕は驚き、飛び起きた。

「自慢」が過ぎると、人を嫌な気持ちにさせる。これは、重々理解している。普段から、なるべくしないように注意を払っている。しかし、忘れてはいけないのが、明らかなる「謙遜」も、人を嫌な気持ちにさせる。

このYouTuberのせいで、嫌いな奴の事を思い出した。


幼馴染の話だ。彼は、音楽に詳しかった。当時、僕も「音楽好き」の部類ではあったが、拘りまではなかった。ヒットチャートも聞いていたし、幅広いジャンルの音楽を嗜んでいた。

中学3年の冬、幼馴染がGOING STEADYの「さくらの唄」というアルバムを借してくれた。それまでパンクロックという音楽に触れたことがなかった。偏見も先入観もない状態。しかし、なぜだろうか。渡されたCDに、不思議な熱を感じた。なぜか、鼓動が速くなった。

岩手県の冬は、読んで字の如く、死ぬほど寒い。高い建物がなく、田んぼだらけ。よって、常に寒波が吹き荒れている。その日も凍えた指先を、摩擦と吐息で温めながら家に帰り、急ぐようにCDを取り出した。不思議な熱はまだ冷めていない。部屋の電気を消し、布団に潜り込んだ。まだ悴んだままの指先。家の外から、チェーンを巻いたトラックの音が聞こえる。サンタクロースの鈴のような音がする。僕は、その音を遮るように、イヤホンを装着した。

CDから鳴る音は、僕の心臓を叩き続けた。知らないはずの高円寺、真夜中の商店街が見える。なんだこの歌は。心を掻きむしる熱量。むき出しの感情。直球過ぎる言葉。なんだこの歌は。聞き終わった頃、体中が熱くなり、汗をかいていた。

僕はその日、ロックに取り憑かれた。

その日から、「峯田和伸」は、僕の神様になった。彼の歌は、あまりにも攻撃的で、なのにとても優しかった。彼の正義は絶対的じゃなかった。哲学や科学の類じゃない、不確かなものだった。だからこそ、僕の神様だった。


ハッキリと覚えている。忘れもしない。この頃からだ。僕が、聴く音楽で人を見下すようになったのは。

僕は、学校に行くと、人のウォークマンを耳に装着し、収録された音楽、プレイリストを眺め「ふーん」と言った。同じクラスの男子、他のクラスの女子。後輩。片っ端から聞いて回った。その中でも特に「HIP HOP」を聴く奴らを軽蔑した。そしてレゲエを聞く奴は、もっと軽蔑した。理由は簡単。エロい女と、どうちゃらこうちゃらの歌ばかりだからだ。僕の嫌いな奴らが、その類の歌ばかり聴いていた。軽蔑するのに丁度よかった。僕の思想は加速した。軽蔑は合っていたのだ。しかし、僕の姉貴もレゲエを聴いていた。でも姉貴は喧嘩が強かったので、軽蔑まではしなかった。

僕はロックに取り憑かれたのだ。

流石に、今は見下しはしない。が、この頃の名残か、人に「この曲、遠藤くん好きそうだよ、聞いてみて」と勧められると、正直「結構です」という気分になる。「好きな音楽は大丈夫、自分で決めるので」と思ってしまう。こう思ってしまう自分が怖い。この「結構です現象」は、音楽だけに留まらず、様々な場所で発作が出ている。嫁と付き合いたての頃、誕生日にサプライズでバックをプレゼントしてくれた。嬉しかった。「ありがとう」とお礼を言った。でも僕の好きなデザインじゃなかったので、そこから7年間1度も使わず、痺れを切らせた嫁が捨てていた。まだある。結婚したばかりの頃、嫁のお母さんが「仕事で使って」といい、紫のYシャツをプレゼントしてくれた。嬉しかった。「ありがとうございます」とお礼を言った。でも僕の好きなデザインじゃなかったので、そこから7年間1度も着ず、痺れを切らせた嫁が捨てていた。

違うのだ。こうなってしまったのは、全て「幼馴染」のせいなのだ。


あの日、ロックに取り憑かれ、様々なバンドを聴き漁った。パンクはもちろん、オルタナ、ラウド、スカバンド。ポップからアンダーグラウンドまで、なんでも聞いた。誤解を恐れずにいうと、かなり階層も下った。GEOのCDコーナーの「ロック」の棚にある殆どのバンドを聞いた。

僕と幼馴染は、同じ4ピースバンドが好きになった。そのバンドは、メンバー4人全員が曲を作れて、曲のイメージにかなり開きがある稀有なバンドだった。ある日幼馴染が「自分なりのトリビュートアルバムを作るならどうする?」と質問してきた。僕は、家に帰り空想を膨らませた。僕ならどうする。この曲は、絶対に入れたい。この曲が来たら、次は絶対これ。うわ、これも入れないと。どうしよう。僕は熱中した。正直、凄いアルバムが出来上がってしまった。申し訳ないけど、本人たちですら、このアルバムは作れないと、興奮した。翌日学校が終わり、幼馴染に発表した。彼は、僕のアルバムを見て「ふーん」と言ってきた。は?なんだコイツ。僕の選んだ曲は、綺麗なメロディラインの曲が多かった。切ない曲が多かった。ヤツは、それを見下したのだ。「本当のファンなら、もっとコアな曲選ぶけどね、遠藤くんが選んだ曲って、全部ポップじゃーん、もっといろんな曲聞いた方がいいよ」とケラケラ笑っていた。

僕の音楽を軽視した発言。許さない。絶対に許さない。僕は力強く握った拳を、仕舞い込んだ。そこからだ。僕がおかしくなったのは。


幼馴染は、昔からこういう奴なのだ。

僕の実家は貧乏で、横文字の食べ物には激しく疎い。家で出てくる食べ物といえば筑前煮や、ぶり大根といった、煮物中心の田舎料理ばかりだった。頑張ってじいちゃんが作る「マーボー豆腐」である。マクドナルドの存在を知ったのも、高校に上がってからだったし、モスバーガーは、今だによく分かっていない。

部活の帰りだった。幼馴染と自転車で帰っていた。幼馴染はおもむろに「デイリーで晩御飯を買いたい」と言った。僕は「コンビニで晩ごはんだと?」と目を丸くした。ウチは今夜、ひじきと里芋だ。なのに、コンビニで買い食い?僕は、ひどく驚いた。彼が買う間、外で待っていた。買い終えた彼が出てきた。彼は流れるような動作で袋を開け、駐輪場で買い食いを始めた。

幼馴染が食べ始めたのは「クラムチャウダー」という食べ物のようだ。知らない食べ物だ。クラムもチャウダーも聞いたことが無い。名前だけ聞けば、スリランカのラッパーだ。味が気になる。しかし小遣いは、毎月500円。398円もするクラムチャウダーとやらを買う余裕はない。残り20日もある。悔しいが、彼が食べる姿を、指を咥えて見るしかない。僕は、気が狂いそうだった。せめてもと思い、匂いからクラムチャウダーの味を導き出し、想像を膨らませながら、指を咥えた。

そろそろ食べ終わりそう。無くなりかけのクラムチャウダー。それまで我慢していたのだが、見ているだけの状況に耐えきれなくなった。僕は恥を捨て、決死の覚悟で「一口ちょうだい」とせがんだ。そんな僕に、彼は返す刀こう言った。「遠藤君って、食い意地すごいよね」と。

許さない。僕は「いつかコイツを殺そう」と思った。急いで家に帰り、靴を脱ぎ捨て、仏壇に手を合わせた。僕は先祖に「アイツの知らない食べ物をくれ」とお願いした。

食い意地ってなんだ。食い意地の何が悪いんだ。食べてみたいと言う好奇心の何が可笑しいんだ。悔しい。許せない。絶対に許せない。

幼馴染のお父さん、お母さんは大好きだった。いつも生姜をふんだんに使った鶏鍋を作ってくれた。美味しかった。僕が遊びに行く日は必ず作ってくれた。毎回「沢山食べて」と言ってくれた。沢山食べた。大好きだった。でも、ずっと思っていたのか?僕の食い意地が凄いって。悔しい。許せない。

こういう奴なんだ。

幼馴染は、よく音楽を勧めて来た。でもこれほどまで、僕を見下した奴がいう「遠藤くんはこの歌好きだと思うよ」は、嫌味に決まっている。「レベルの低い遠藤くんには、このライト目な曲がオススメだよ〜」って思ってるに決まっている。「僕は通り過ぎたけど、今の遠藤くんのレベルなら、このくらいの曲がお似合いかも〜」って思っているに決まっている。悔しい。許せない。

だから、僕は、僕よりもポップな曲を聴く人を軽視した。沢山の人たちに曲を勧めた。学校のDJだった。


幼馴染が、音楽関係者と話してるところに、同席した事があった。彼は蓄積された音楽の知識を使い、音楽関係者と対等に話していた。そして「詳しいね」と褒められていた。彼は、あろうことか「いや全然です!僕は全然詳しくないんです」と謙遜していた。

許さない。あんなに僕を見下したのに、何を謙遜しくされてんだ。

こんな奴なんだ。



高校に入り、幼馴染からバンドにさそわれた。何度か練習に携わったが、卒業してすぐ、僕は東京に逃げた。怖かった。表現者への憧れ、峯田和伸への憧れはあった。でも、その気持ちと向き合わず、浮ついた夢ばかり語り、自己表現の恐怖に挑まず、東京に隠れた。あの時聞いた高円寺がこんな街だったなんて知らなかった。



そう、それもこれも、アイツが僕を見下したからだ。アイツが、僕が貧乏なのを知っているのにクラムチャウダーを食べたからだ。アイツが、お父さんの作った鶏鍋をたらふく食う僕に「食い意地が凄い」と言ったからだ。アイツが。アイツが悪いんだ。




今でも、地元に帰ると、幼馴染は「表現しなよ」と背中を押してくる。そういうところも大嫌いだ。


わかってる。ただのコンプレックスなことくらい。逆恨みだ。そんなの自分が一番わかっている。みっともない。30オーバーしてまで、まだ学生の頃のコンプレックスを引きずっている。分かっている。でも、僕の「青春」だったんだ。あの時、聞いていた音楽が、自分の全てだったんだ。それだけがアイデンティティだったんだ。それをアイツは否定した。見下した。反吐が出た。仕方ないんだ。怖くなったんだ。

東京に逃げた僕を置いて、幼馴染は今でも表現を続けている。今でも、当時のメンバーとバンドを組んで、歌っている。

そこから僕は、どう見えてるんだ。逃げた僕はどう見えているんだ。逃げずに表現し続けた人の世界には、何が写っているんだ。

もう引き返せない。もう許せないんだよ。




クソ、こんな気持ちにさせたYouTuber、マジで許せない。


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