#全文公開 天空の街から文化財保護活動の道へ [#あの選択をしたから(#わたしの旅行記とほぼ同じ内容です)][家族親族・旅](2539文字)
私達夫婦は、現在、京都市民です。
夫婦で京都の文化財めぐりをしていて、そのうち、何らかの文化財保護活動をしてみたいと思っています。
京都で文化財保護活動をしてみたいと思ったきっかけになったのは、20年ほど前の「馬籠宿(まごめじゅく)」旅行でした。
馬籠宿旅行を企画した段階では、私は、馬籠宿がどんなところにある、どんなものかを考えたこともなく、文化財にも全く興味がありませんでした。
20年ほど前の12月。
「元日をどこかの旅行先で迎えたい」
と言う夫。
「下呂温泉に行こう」
と間髪を入れずに提案した私。
「日本三大名泉の一つで、岐阜にあるよ」
私は元々、子ども時代に教科書で知って、地形に興味のあった岐阜県に、一度行ってみたいと思っていたし、20年前当時に凝っていた、日本全国の温泉を模した入浴剤によって下呂温泉の存在を知ってからは、下呂温泉に興味津々でした。
夫が賛成して、下呂温泉行きが決まり、すぐに宿も決め、下呂温泉到着の翌日は、宿からわりと近いという理由で、「下呂温泉合掌村」に行くことにしました。
下呂温泉合掌村は、世界文化遺産の白川郷等から移築した10棟の合掌造りの民家を使って集落を再現した博物館で、国の重要文化財もあります。
この時も、私は、世界文化遺産や国の重要文化財という言葉を理解せずに行き先を決めていました。
下呂温泉合掌村で文化財に目覚めたかというと、下呂温泉合掌村を訪れただけでは、まだ、文化財に特別な思いを寄せるほどには、心を動かされてはいませんでした。
心を動かされるためには、文化財の存在する自然環境が重要だったのです。
2泊めの宿も岐阜県内に決めてから、宿の案内にあったという理由で、馬籠宿に行くことにしました。
当時の私は、行き先を全て距離で決めてしまっていたので、岐阜県内の山々を、車で登ったり下りたりすることになるとは、全く考えていませんでした。
車の運転手の夫は、神経を使ったと思います。
この旅行のために買ってきたガイドブックの表紙の写真は、馬籠宿でした。
坂道に木造家屋の立ち並ぶ写真に、心が躍りました。
この木造家屋の一軒一軒が、飲食店・雑貨店・土産物店・宿等のようです。
私は、ガイドブックを見て、行きたい店を決めました。
この時点では、馬籠宿旅行は、私にとっての非日常風景と食べ歩きを楽しむ旅でした。
馬籠宿は、日本の中央部の中央アルプス南端に位置する、岐阜県中津川市馬籠地域にあります(旅行当時は長野県)。
馬籠地域の中心部には、江戸初期に開通した、江戸日本橋を基点とする京都まで530kmの街道の「中山道」が通っています。
馬籠宿は、中山道69箇所の宿場町のうちの43番目の宿場町で、木曽11宿中では最南端に位置する木曽の入口です。
馬籠宿の建物のほとんどは、大正時代に焼失して、その後、復元されたものですが、街並みには江戸時代の面影が残っています。
馬籠宿行きの当日。
宿を出た私達の車が一つの大きな山の麓に差し掛かった時に、車を運転する夫が言いました。
「さあ、この山を登ったら、馬籠宿だよ」
その時まで、馬籠宿がこんなに高い山の上にあるとは思っていなかった私は、びっくり。
車は、山の急な坂道をゆっくり登っていきました。
その道も緑豊かな田園風景で、見ていて楽しかったのですが、さらに楽しかったのは、緩やかに曲がる急な坂道を登りきってから。
天空の街があったのです。
高い山の上に、木造家屋の街がありました。
ガイドブックでイメージしていたものとは全然違いました。
山の上に急坂があって、尾根に沿った石畳の一本道が伸び、その両側の道沿いには、通りに面して門や庭のない木造家屋が並び、木造家屋の背後には、山並みや谷がありました。
私達は、山の上の、街の入口の手前の駐車場に車を停め、車から降りました。
そして、一本道から幾つもの店に入ったり出たりして、伝統工芸品を見て買って、手打ちそばや郷土料理の五平餅と栗きんとんを食べて、忙しく過ごしました。
店である家屋の中も木造で、古めかしい、面白い造りをしていました。
街の奥のほうに展望台があり、そこから見る山並みや谷は、とても美しく、いくらでも眺めていられました。
街の端を出ると、山の上の斜面に小さな美しい里山風景がありました。
遮るものがなく、まわりの谷を良く見渡せます。
その風景を眺めながら、
「私は、またここに来る」
と私は呟きました。
「そして、今度は時間をかけて滞在して、他の宿場町もまわる」
山を降りて次の宿に向かう道中で、私は夫に言いました、
「どうやって作ったのだろうね、この街」、
そして、続けました、
「この街を守らなくてはね」。
後で、馬籠宿や中山道の他の宿場町の街を丸ごと保存する活動があることを知り、私も応援したいと思いました。
私は、文化財類を見た時に、馬籠宿で初めて、馬籠宿が作られた当時のことや、馬籠宿が栄えていた当時の人々の暮らし等をイメージするような経験をしました。
それらが時代を越えて、現代に生きる人々にも伝わる素晴らしさや、遠い未来まで伝え続けようとする馬籠宿の皆さんの心意気に触れ、私にも何かできることがあれば是非力になりたいと思いました。
また、文化財は生きた教科書であり、日本の文化財は日本人の誇りであり、世界の財産であり、絶対に失われてはいけないものだと思いました。
そして、文化財は、できるだけ作られた当時の条件、ものによっては、盛んに使われた当時の姿で保存されるべきものではないかと思いました。
馬籠宿の建物のほとんどは復元されたものかもしれませんが、十分に、馬籠宿が作られた当時や盛んに使われた当時の記憶を現代に伝える力があり、私の文化財への思いを育ててくれました。
馬籠宿は、「生きている」と感じました。
馬籠宿、ありがとう。
馬籠宿の皆さん、ありがとうございます。
馬籠宿再訪と中山道の他の宿場町訪問はまだ実現していませんが、この馬籠宿旅行で、
「文化財を守りたい」
と私が思ってから10年後に、私達夫婦は、千年都であり、文化財の宝庫でもある京都に移り住みました。
私達夫婦が今、京都で充実した幸せな毎日を送れているのは、京都で文化財と関わることを選択したからであり、その選択をしたのは、馬籠宿旅行を選択したからです。
天野マユミ
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