#小説
小説 梅の木と美しい人
梅の花と桜の花の違いも分からなかった幼かった私。
11歳の私たちはお花見と言って、梅の木の下で友達とままごとみたいなピクニックをした。パイの実やハッピーターンなど、各々がお菓子を持ち込んで。
二月末のその時間は寒かったはずなのに、私たちは夢中でお菓子を食べて笑い話をした。少女漫画の話や学校の嫌いな先生の話。男子のうざいところ。
その時強い風が吹いて、梅の花が舞い上がった。向かいに座っていたリカち
創作小説 散歩する妊婦
大学進学で上京したから、こんなに長く名古屋の実家で過ごすのは十四年ぶりになる。その間に名駅の銀のぐるぐるモニュメントはなくなり、久屋大通公園におしゃれな商業施設が出来て、市役所駅は名古屋城駅になった。高校生の頃に通っていた本屋が数件閉店していたことも、私の中では大事件だった。なくなっていくもの、新しくうまれるもの、最近のこの街は変化が著しい。
「ハルちゃん、少しは運動したら?明日から、臨月でしょ
創作小説 熱が出た日
熱を測ったら三十九度だった。残業続きで疲弊している夫に幼稚園の送迎を頼むのがためらわれ、何も言わず自分でこなすことにした。四歳になる娘は私の手を握り「ママの手あっちちー」と言った。
幼稚園から家に戻り、洗面所で洗濯と乾燥モードのボタンを押す。なんとか力を振り絞ったけど、朝食の食器まではとても無理だと思いそのままベッドに横たわる。
「おかゆにのりたまかけたから食べられる?」
「ありがとう」
創作小説 AI診断運命の人
「洋二くんと私の相性は抜群だね。運命の人って本当にいるんだね」
五年ぶりにできた彼女である美和子はそう言って上目遣いで俺を見る。うるっとした瞳で見つめられると胸が高鳴る。頬が緩まないよう感情を押し殺し、目の前のアイスコーヒーを口にする。
俺と美和子の出会いは、マッチングアプリだ。二十八歳の誕生日、出会いのない毎日に焦った俺は、高い登録料を払って「AI診断 運命の人」というアプリをダウンロ
五月に吹く風 創作小説
彼女が真面目な性格だということをよく分かっていたが、そこに書かれた文字を見ると、何とも言えないもどかしい気持ちが湧いた。持ち上がりで高二の担任となり、早速進路希望調査を行った。進学先を書く欄に、昨年も私のクラスに在籍していた河合という生徒が『歌手志望』と書いて提出したのだ。
新学期の慌ただしさが落ち着いた四月末の放課後。カーテンをはためかせ、窓からグラウンドで練習する野球部の声と気持ちの良い
「ただいまと言える場所」第3話
見上げればいつも見えるもの、ケープタウン 二十九歳の冬
テーブルマウンテンと呼ばれる山がこの街のシンボルで、街の中心地を歩く時、見上げれば必ずといっていいほど、視界の中にその山を見つけることが出来る。海沿いの街であるケープタウンの繁華街から十キロもいかない場所にそびえたつ標高千メートルの山は圧巻だし、そもそも名前の通りテーブルのような台形状の形は異様で、見る場所によって違った景色を見せてくれる
「ただいまと言える場所」第2話
窓から見える赤いタワー、東京 二十三歳の冬
「どうして、そんなことも分かってくれないの?」
私は苛立ちを抑えることなく、感情を爆発させ、佑馬を睨みつける。二人で暮らす1LDKのマンションはとんでもなく狭く、いつも物が溢れている。佑馬は、私の言葉に何も言わず、無言で下を向いている。まくしたてるみたいに私はそんな佑馬に怒号を浴びせる。しばらしくして佑馬は黙って部屋を出ていった。時計の針は二十二時半