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「ただいまと言える場所」第1話

(あらすじ)
16歳の美月は母親を亡くし、叔父の住む北海道、稚内で暮らし始めた。孤独を感じる彼女は一つ年上の佑馬と出会い、一緒に過ごす中で彼のそばが安心できる居場所だと感じる。宗谷岬を訪れた夏の日に、二人は交際を始める。
その後、東京23歳、ケープタウン29歳、鹿児島34歳の美月を描いている。
長い月日の中で愛情の形は変わり、依存によって相手を傷つけてしまう。一度は過去の恋愛として、別の人と新たな人生を歩むが、美月にとって本当に帰りたい場所はいつも変わらず彼の隣だった。
同じ相手を想う中でも年齢と共に変わっていく感情を描いている作品です。

 私の恋愛観を形作っているものは、小さい頃に読み漁った少女漫画だと思う。美形の男女に、運命的な出会い、友情やライバルの出現。すれ違いの中で、相手の本質を知り、互いを理解し合う。最後はもちろん、ハッピーエンド。両想いになれさえすれば、幸せになれると思っていた。

第1話 陸の果ての街、稚内 十六歳の夏

 八月に入ったばかりの真夏の夜だというのに、風が心地良い。去年の夏は冷房を一晩中つけて眠っていたが、ここでは網戸にして寝ている。叔父の家は、築四十年程の古い建物で、去年の冬まで母と暮らしていた千葉のマンションとは何もかも違う。母は、去年、四十九歳で亡くなった。私が小さい頃に両親は離婚しており、母の死後も父とは全く連絡がとれないため、叔父が私を引き取った。
 朝、目が覚めて、視界に入る天井に違和感を覚えなくなってきた。隣の部屋から北海道の地元放送局の朝のニュースが聞こえてくる。二階があるが、長らく使っていなかったらしく、私は居間の隣の応接室を使っている。
「おはよう」
 扉を開けると、トーストを齧った叔父が私を見るなりそう言った。突然一緒に暮らすことになった十六歳の姪と何を話せばいいのか分からないようで、せめて挨拶だけは…と考えているのか、やたらはっきり明るい声で毎朝声をかけてくれる。叔父は今年で六十歳になり、若い頃に妻と離婚している。その後、仕事の関係で各地を転々として、早期退職を機に、何を思ったか北海道の最北の街、網走の空き家を購入した。古い家だが、叔父が自分の手で改装をした居間と台所、お風呂とトイレ、そして叔父の寝室は木目調のパネルや木の家具で統一されていて、外観とは違ってどこかログハウスのような雰囲気すらある。
「夏休みなのに毎日、部活で大変だな」
 叔父にそう言われて私は笑顔を作る。朝ごはんに私もトーストを焼き、マーガリンとジャムをつける。飲み物は叔父に合わせて、コーヒーを飲むようになった。
「好きでやっているから大丈夫だよ」
 中学に入学した時に、吹奏楽部でフルートを始めて、前の高校でも、今年の春に転校した新しい学校でも吹奏楽部に入部した。田舎でも吹奏楽部はどこの学校にもあるようで安心した。練習量が多かったのも、家に長くいられない私に合っていた。
 
 家を出る前に玄関の鏡で自分の姿を確認する。この高校では髪の毛は、ポニーテールにすると決めている。千葉に住んでいた頃は、周りに合わせて薄化粧をしていたけど稚内に引っ越してからはしていない。田舎だからおしゃれに無頓着でも良いとかそういうことではなく、単に身なりにかまう気持ちがなくなったのだ。どうせ高校卒業までの二年間を過ごすだけの土地だという気持ちが強くある。

「美月ちゃん、この後みんなでマック行くけどどうする?」
 吹奏楽部の練習が十二時半に終わって、音楽室で片づけをしているとそう声をかけられた。
「お弁当持ってきているから大丈夫。残念。また誘って」
「午前練習だけなのに、お昼持ってきていたの?家帰らないんだね」
 吹奏楽部もクラスも一緒のすみれちゃんは、屈託のない表情を浮かべ、そう尋ねてくれたけど、私は邪推してしまう。家に居たくないと思われているのではないかと、かわいそうと思われているのではないかと。
「うん、図書館行こうと思っていたから」
 出来る限り嫌味な感じではなく、さっぱりとそう答える。
「勉強?美月ちゃん、成績良いのに。前はここよりずっと偏差値の高い高校に通っていたんでしょ?」
「そんなことないよ。同じくらいだよ。勉強、ちょっとずつしてきたくて。私は関東の大学を受験する予定だからさ」
 こういうことはきまり悪そうに言わず、さらっと言うに尽きる。
「そうなんだ。すごい。上京するんだね。でも、そりゃあそうか、美月ちゃん千葉の子だもんね」
 すみれちゃんは、無邪気にそう答え、きっと裏表なんてないだろうけど、「この土地に馴染もうとしない都会から来た転校生」という分かりやすい嫌味なキャラに彼女の目に映っていないか心配になる。
「今度から部活終わりにマック行けるように、お弁当は部活後に買うよ。どうせコンビニだから」
 私はすごく一緒に生きたかった風に彼女に映るように、そう笑顔で言った。

 市立図書館のロビーでコンビニのサンドイッチを食べる。平日は毎日、図書館に来ているけど、叔父は部活が一日あると思っている。聞かれないから、午後図書館にいることはいちいち話をしていない。心配かけないように、話をした方がいいのかもしれないけど、全て話すわけにもいかないし、適度な距離感というものがどういうものなのかよく分からなかった。私は、サンドイッチを食べ、ペットボトルのミルクティーを飲み、勉強ができるスペースへ移動する。大学は上京すると決めていて、母がわずかながら残してくれたお金や保険金があるから、経済的に制約があるわけではないけど、できれば国公立か奨学金制度のある大学を希望している。叔父の家から通える高校は限られていて、今通っている学校は、今まで通っていた千葉の高校より進度が遅く、自分で参考書を買って勉強するようにした。勉強さえすれば未来の選択肢を増やすことが出来るのであれば、そんなことたやすいことだった。
 
 十七時、いつものように勉強を切り上げ、エントランスに行くと佑馬が待っていた。
「今日のノルマは終わった?」
「追加で二ページも進めた。この参考書、夏中に終われそう」
「まじか、それは良いペースだな」
 佑馬に褒められて、私はまんざらでもない。佑馬は私の一つ年上で、今年受験生だ。道外の大学への進学を希望していて、今の三年生の中で一番成績が良い。平日も週末も部活がない時間は、図書室で勉強していた私と大学受験を控えた佑馬は毎日のようにここで顔を合わせて、お互いの存在を意識していた。勉強している姿だけでなく、誰も借りないような海外古典文学シリーズの詰まった棚の前で、立ち読みしている佑馬の姿が私には印象的だった。立ち読みと言っても気づけば一時間近く厚い本を読んでいて、座って読めばいいのにと勝手に気になっていた。思わず「疲れませんか?」と声をかけてしまった。その問いに佑馬は驚きつつも、余裕のある笑みを浮かべて、「勉強しないとだめだからさ。座ったら何時間でも読んじゃう」と答えた。

「寄り道しようよ。海でアイス食べよう」
 私は佑馬にそう言うと、夕飯前だぞ、とまるで父親のような返事が返ってきた。佑馬の魅力はそんな同世代に見えないような落ち着きだ。線が細く、まさに文学青年という言葉が連想されるような繊細な見た目をしているのに、実際は優しいおじいちゃんのような語り口で、悟りを開いているようだった。実家が、お寺なのも関係しているのかもしれないと勝手に思っている。
 
 海辺の堤防に腰を掛け、私たちはすぐそこで買ってきたアイスクリームを食べる。私は我慢が出来ずに、途中で一口食べている。学校のこと、家族のことも話すけど、一番多く話すことは読んだ本の話だ。佑馬が勧めてくれた本を私は片っ端から借りている。千葉に住んでいた頃は、話題になった本くらいしか読まなかったが、佑馬の影響で昔の名作と呼ばれるようなものも読むようになった。フィッツジェラルドの短編が特に面白かった。
「同じ海なのに全然千葉と違う」
 私は波を見ながら、そう呟く。海の色が全然違う。ここの海は、青色言うより深い緑色をしている。
「千葉に帰りたい?」
 私はコーティングされたチョコレートの溶けそうなアイスバーを食べながら答える。
「そういうわけじゃないよ。千葉に対して、正直故郷って感覚が湧かないんだよね。賃貸の家だったし、市内とはいえ、小学生の時に一回引越しもしたし。友達もその時々は仲が良いんだけど、転校や卒業したら、疎遠になって、親友的な友達出来なかったな。お母さんも忙しくて、そんなお出かけもしてなくて、部屋に一人でいることが多かったから、あんまり家に良い思い出ないや。佑馬はここが故郷って実感ある?」
「この辺りだと幼稚園から中学までみんな一緒なことが多いし、家も昔からの一軒家に住んでいる人ばかりだから、美月よりは故郷って意識があるかも。でも、今はずっと育っている場所だから、そんな風に感慨深く考えられないな。何かの受け売りだけど、故郷って感覚は離れて初めて生まれるらしいよ」
「なるほど。帰りたい、戻りたい。懐かしい。そんな気持ちが故郷には必要なのかもね。そう感じるものが故郷なのかも。そうやって考えると私の故郷は人かもしれない」
「その人のもとに帰りたいって気持ちかな」
 佑馬はそれが誰かはあえて聞かなかったけど、母の死のことは話しているから分かっていたと思う。私は母の元に二度と帰ることはできないのだ。
「家まで送ろうか?」
 佑馬に言われたが、断った。叔父に知られたくないのと、引越してきたばかりの私を近所の人がどう思っているか分からなかったので、夜に男の子と歩いているところは見られたくなかった。
 
 夏休み前に少し話をしたことのあるクラスの男の子に連絡先を聞かれた。当たり障りのないやりとりを数回して、デートに誘われたけど断った。中学二年生の時に、二ヶ月くらい男の子と付き合ったことがあるけど、一回二人で映画に行って、後は放課後一緒に帰るだけの経験しかない。学校の友達や好きな音楽、漫画の話をしただけで、家族の話も何もしていない。今回、その男の子の誘いを断ったのは、その時と同じようなことになる気がしたからだ。

 八月最後の週、吹奏楽部の練習が一日休みの今日、佑馬と出かける約束をしている。私は今年の夏に一度も着ることのなかった水色のワンピースを段ボールから引っ張り出した。叔父はそんな私を一瞥して「リフレッシュしてきなよ」と言った。誰と出かけるかは伝えていなかったけど、不器用な叔父なりに選んだ一言なのだろう。
「夏らしいね」
 稚内駅で待ち合わせしていた佑馬は私の姿を見てそう言った。
「北海道はもう秋の始まりって感じだけどね。夏らしいことしないともったいないなと思って」
 私は照れ隠しでそう言ったが、久しぶりに鏡の前で薄く化粧をして、ポニーテールをほどき、この外出のために長い時間身支度をしていた。バスに乗って一時間弱。目的地は、高校生のデートにしてはとても渋い場所だった。
「美月が行きたい場所が宗谷岬とは驚いたな」
 平日だったので、観光客は少なくバスは空いていた。景色が良く見えるようにと窓側に私が座っている。
「せっかく稚内にいるんだからさ。ここで暮らしていて行ったことない人なんて私くらいじゃない?でも一時間もかかるなんて、地図では近くに見えたのに、遠いね。流石、北海道」
「北海道はでっかいどう」
 ぼそりと冷静に言う佑馬がおかしくて笑った。窓の外から入ってくる風は少し冷たく、私の浮かれたワンピースとはしゃいだ笑い声が、秋の始まりに似つかわしくなかった。でも、私はすごくこの日を楽しみにしていたのだ。叔父は車を持っていたが、二人でドライブに行くこともなく、引越しでここに来て以来、稚内の中心から出たことなどなかったから。国道二三八号の一本道をバスは進む。途中で自転車やバイクの人を追い越して、海岸沿いのまるで日本ではないような何もない道をひたすら北上していく。目的地は、想像していた以上に古臭いこじんまりした観光地で、いわゆるレトロな雰囲気が逆に魅力的だった。宗谷岬公園休憩所、バス停の建物にはそう書かれてあった。
「言っただろ。何もないって」
 佑馬が申し訳なさそうに言う。
「大丈夫。私はあの有名な岬の三角が見たいんだから」
 バス停の建物の反対側を見ると、早速、写真で見た三角錐のオブジェが目に入った。私は、駆け足でそのオブジェに向かう。今日は晴天だったから、海と空を背景にした石碑はとても映えていた。宗谷岬と言う名前はとても有名なのに、観光客はまばらで、「最北端の地」というオブジェに刻まれた文字から、ここが陸の果てであることを実感した。
「一緒に写真撮ろうよ」
 私はそう言って、携帯電話で撮影する。はしゃぐ私と佑馬は少し照れたような表情を浮かべている。ひとしきり、石碑の前で騒いだ後、バス停の後ろにある丘になった公園へ向かった。灯台や慰霊碑、平和を祈念した石造なんかがたくさんあり、ピンクの花が少し前までは綺麗に咲いていたのだろうか?少しだけ、まだ残っている花々を見ることが出来た。
「実は、お昼作ってきたんだ」
 公園の芝生で海を見ていたら、佑馬がそう言った。
「えっありがとう」
「ここにあんまりお店がないって思っていたから。でも、本当に味に自信がないんだけど」
 佑馬がリュックから取り出したお弁当箱を開けると、唐揚げにきんぴらごぼう、ポテトサラダに卵焼きが入っていた。大きなおにぎりが二つ、後から出てきた。
「すごく立派だよ。本当に佑馬が作ったの?」
 私は驚いて佑馬を見つめる。
「うん、まあ。ネットで検索すれば誰でも作れるよ。元々、料理は好きだしさ」
 謙遜してそう話す佑馬を横に私はお腹が空いてきた。
「食べていい?」
「もちろん」
 定番なお弁当のおかずばかりだったが、それが逆に嬉しかったし、味も完璧だった。
「お弁当作ってもらうなんてすごく久しぶり。ありがとう」
「叔父さんは料理しないの?」
「私と暮らし始めてから、頑張って作ってくれているよ。でも、私が作った方が美味しいから、私が作ることが多いよ。そんな感じだからお弁当までは手が回らずコンビニで買ってばっかりになっていた。この卵焼き美味しい。すごく甘いのね」
「その味付けはレシピ通りじゃなくて、母親の味を再現した」
「佑馬の家庭の味か。美味しいよ」
 公園の看板に東京まで1108㎞、サハリン43㎞という表示があった。その看板を見ながら、国際情勢、ロシア文学、学校の友人の話をし、話題が尽きることはなかった。佑馬とはまだ出会って数か月しかたっていなのに、不思議と何でも話せた。単純に、私たちは興味のあることがよく似ていたのだ。反対意見になることはあっても、お互いに自分とは違う考えを聞くのを楽しんでいた。そもそもその話題に興味がある同世代が周りにはいなかったし、そんな話が出来ることに意味があった。それは佑馬の方が強く思っているようで、度々美月が稚内に来てくれて俺は良かったと言っていた。何もない場所だったのに、数時間そこで私たちはおしゃべりをして、夕方、稚内駅に戻った。佑馬の提案で、私たちは図書館帰りにいつも寄っていた海岸を歩いた。
「来年の春には、大学進学でこの街を出ていくけどさ、俺にとって美月はすごく大切な存在だよ。離れてもその気持ちは変わらないと思う」
 横を歩いていた佑馬が私にそう言った。潮風が彼の前髪を揺らしている。
「それってつまりどういうこと?」
 私が尋ねると、佑馬は言う。
「美月が好きってことだよ」
 立ち止まった、佑馬にそう言われ、私も同じように立ち止まる。
「私も佑馬が好きだよ」
佑馬は私の肩に優しく触れ、そっと私を抱きしめる。そして、私たちは見つめ合い、唇を重ねた。

↓第2話

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