記事一覧
第4回⑤ 辻裕介先生
順天堂大学医学部を卒業後、1年もたたずにITスタートアップを起業をされた辻先生。共同創業者の上野彰大さんは、開発責任者であり、医療者とエンジニアの共同創業である点が特徴的だといいます。株式会社YOJO Technologies では、新たに立ち上げた東京・四ツ谷の薬局を拠点として、ITを駆使した様々な形態の医療を提供しています。現在の事業内容と、起業に至るまでの経緯についてお話していただきました。
もっとみる第4回④ 田上恵太先生
東北大学大学院に所属する「研究者」という肩書きを持ちながら、地域社会に緩和ケアという文化を浸透させ、「最期まで安心して生きることのできる」地域づくりを目指す、地域での活動にも尽力される田上先生。現在のキャリアに至るまでの想いをお話していただきました。
がんセンターから、東北の地で緩和ケアへ もともと緩和ケアの領域に進みたいという想いを持っていた田上先生は、東北労災病院で初期研修を行い、当時はま
第4回③ 守上佳樹先生
「自宅療養者を守れ」―チームみんなで、地域を救う”KISA2隊”ー 「個人でなく、地域を見る」コロナに立ち向かった危機感
今から5年前、京都市にてゼロから立ちあげた在宅往診専門のクリニックである「医療法人双樹会 よしき往診クリニック」。往診の経験を積んで2,3年ほどたつころ、新型コロナウイルスが世界を襲った。
そんな中守上先生が立ち上げたのが、今や「情熱大陸」にも取り上げられ、一般の人にも広く
第4回② 田中希宇人先生
呼吸器内科医として、日々診療に従事する傍ら、「キュート先生」の名前でTwitterやInstagram、ブログを通じて幅広いプラットフォームで発信を続ける田中先生。肺癌やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などの呼吸器疾患の現状や、医療情報発信にかける思いについてお話していただいた。
自分ひとりで診られる患者さんの数には限りがある
「目の前の患者さんを診ることに一番のモチベーションがあります」と話
第3回⑤ 髙橋宏瑞先生
100人カイギ初となる海外からの講演をしてくださったのは、総合診療医の高橋宏瑞先生。スウェーデンから、「15年目の振り返り=PGY15」として、今までの経歴、そしてこれからのやりたいことについて、想いを語ってくださった。
様々なフィールドへの挑戦と、気づいた「優秀さ」
東海大学卒業後、5年目にアイルランドに研究留学、7年目に離島である新島での離島医療に携わるなど、臨床医・総合診療医としてのキャ
第3回④ 五十嵐 侑先生
産業医という専門性から、「産業保健で社会を幸せにする」をテーマに掲げる五十嵐先生。医師としては13年目であり、「下積みが終わって、これから羽ばたく時期」である中堅の専門職として、産業医を目指した理由や、これから目指す世界について語ってくださった。
<「産業医」の視点は臨床から>
企業の中で健康管理を行ったり、働く人の健康を守る活動を専門に行う産業医。実際に産業医として働いているのは推計3万人程
第3回② 井手友美 先生
大学の循環器内科で働く井手先生。
今日は100人カイギのテーマでもある、「医療者としての想いと活動」にちなみ、大学での臨床や研究ではなく、「臨床を超えて行っている活動」である「口の力をあげる取り組み」についてお話してくださった。
<「クチ」の重要性>
生まれてから死ぬまで、ずっと使い続ける「口」。口の力が低下すれば生きる力も低下していく。
現在、高齢者の身体的機能の低下である「身体的フレイル」
第2回⑤ 寺澤佳洋先生
冒頭いきなり、運営スタッフと参加者への「感謝状」から講演を始めた寺澤先生こと、「医はき師 てらぽん」。効果音と共に「ガヤ大歓迎!」の発言に、視聴者も最初から盛り上がる10分になりました。
(あえてこの記事でも「てらぽん先生」と呼ばせていただきましょう!)
愛知県育ち、明治鍼灸大学で鍼灸師を取得したのち、東海大学に編入し医師となったてらぽん先生。医師となってからは「診断・推論」への興味をもち
第2回④ 中村恒星さん
医学部6年生ありながら、起業し「世界一やさしいチョコレート andew(アンジュ)」をリリースしている中村さん。
もとは富山大学創薬科学科で脊髄損傷の研究をし、慢性期の脊髄損傷治療薬に携わっていた中村さんが、どのような想いで今の立場に至ったのか、について話してくださいました。
脊髄損傷の研究の中で、「そもそも脊髄損傷の患者さんってどんな人だっけ?」という疑問を持ったのが医学部に進む転機になったと
第1回⑤ 斉藤究先生
整形外科でスペシャリストとして活躍される斉藤先生。実はDJとしての顔もお持ちですが、「医師25年経った、私の履歴書」と題して、リズム良くこれまでの医師人生や想いについて語ってくださいました。
整形外科でスペシャリストとして活躍される斉藤先生。実はDJとしての顔もお持ちですが、「医師25年経った、私の履歴書」と題して、リズム良くこれまでの医師人生や想いについて語ってくださいました。
家に手塚治