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私がコロナにかかる可能性を概算してみた

4行まとめ:今回は、ロンドン在住の私がコロナにかかる確率を概算してみた。私がコロナに感染する確率は、約0.65%。しかし、この値は、過去のデータに基づく統計値でしかなく、「私が将来コロナにかかる可能性」ではない。その可能性はあくまで、私個人及び他の人々の行動様式、感染リスクに対する捉え方、そして、何より相手方であるCOVID-19ウイルス自身の今後の動きや変異によって大きく変わる。

動機

今回は、英国におけるコロナの爆発的感染を背景に、長期にわたるロックダウンにうんざりし、実際のところ「私はどれほどコロナに感染する可能性があるのか」興味が湧いたため、計算してみることにした。しかしながら、全くもって素人であり、今回の記事がなんの学術にも根拠に基づいていない旨留意して頂きたい。

計算方法及び結果

コロナ感染確率の計算方法として、既存のオープンデータをもとに実力で計算するか、既存の計算ツールを利用する方法がある。英国の場合、これらの既存の自動計算手段がある。米国の場合はこちら

1. 自力で概算を出す

「累積感染人口/総人口」の場合だと、累積感染人口が政府公式サイトより1月6日付けで2,836,801人。総人口は最新の2019年中期の公式データより66,796,807人。よって、(2,836,801/66,796,807) 約4.246% しかし、BBCによる以下の図から見て取れるよう地域によって感染度合いが異なる。

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よって、ロンドンだけに限り計算した場合、10万人あたり、累計5059人の感染者がいるため、約5.059%

しかし、これはあくまでも「かかった人の割合」であり、それは「これから私がかかる確率」とは異なる。そこで今度はとても単純に、最新の10万人に当たり新規感染者数からごく最近感染した人の割合を調べ、それから今後私が感染する確率を類推してみる。bbc掲載のデータに基づき、今回は、特に私の地区(郵便番号)に基づいた数値を見てみると "649 cases per 100,000 people in the latest week 27 Dec-2 Jan. The average area in England had 518" だったので約0.649%

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しかし、住んでいる地区等の活動範囲だけでなく、年齢や性別、基礎疾患の有無によっても感染度合いが異なる。最新の性別、年齢別のデータは見つからなかったが、UK Office of National Statistics によるCoronavirus (COVID-19) Infection Survey, UK: 30 October 2020によるとSchool Year 12(16歳)から24歳までのカテゴリーの感染率が最も高かったため、私の感染率も、年齢層を考慮した場合、全体の感染率と比較よりある程度高くなることが予想される。

2. 既存の計算方法を拝借 

Univeristy of College LondonをはじめとしたCOVID-19リサーチグループによりコロナ感染による死亡率を計算することを目的としたツールであるOurRisk(詳細は原文参照)、Oxford 大学主導のQCovid Algorithms、ISARIC 4C consortiumによる4C Mortality Scoreなどがあるが、全て医療関係者を対象とした実験段階にあるツールであり、私のような一般人が研究目的以外で使いことは利用規則に準拠しない。よって今回は利用の方を差し控えさせて頂く。しかしながら、OurRiskによる公開されている全体の死亡率のグラフをみると、私の場合、30歳以下なので対象外だが、最も若い30-55の年齢層基礎疾患0で計算すると一年間の死亡率はかなり低くなっている。しかしこの値は、今後の感染状況(直接要因)や、医療サービスへのアクセス(医療崩壊の可能性)等の間接要因によって大きく異なる。

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しかし、ここで注意すべきなのが、全て過去のデータに基づく確率であり、未来が過去のパターンに従わない場合、あまり参考にならない。そしてこれらの確率はあくまでも平均論である。

以上の結果を受け、いくつかのポイントに絞って、さらに考察していきたい。

考察1:感染リスクを0%にできるのか

R値は現在のイギリスの場合1.1-1.2である。しかし、これは、「その感染症に対する免疫を持たない集団にその感染症を最初に持ち込んだ一人の感染者が、感染力を失うまでに(免疫の獲得もしくは死亡により)、何人に感染させるかを数値化した感染性の指標」であり平均に基づく考え方でしかない。では、

私個人の感染リスクを0%にすることは可能なのか

極論、私は部屋から一歩も出なければ、感染リスクを0%近くにすることは可能であると思う。

しかしそれは無理だよ...しかし、ルームシェアをしている関係上、共有スペース(トイレ、キッチン、シャワー)を共有する必要がある。また、スーパーに定期的に買い物に行く必要がある。よって、私の感染源は、「スーパーへの旅」「同居人からの感染」の主に二つではないか。この二つの感染リスクを考えていく。

「同居人からの感染」ふたり。在宅勤務により私同様「スーパーへの旅リスク」のみにさらされている。(片方は真夜中に散歩をしているが人っ子ひとりいない時間なのでノーカウントで)さらに、使っているスーパーは同じ。よって私と直接感染(私自身がスーパーで)、間接感染(同居人がスーパーで感染。そしてその同居人を経て私も感染)は、「スーパーへの旅リスク」に集約される。では、このリスクはどう計算すれば良いのか。「スーパーへの旅リスク」は(1)「行き帰り」(2)「スーパーの中」に分けられるが、行き帰りは十分にソーシャルディスタンスをとることができ、空気感染のリスクも低いため、基本的には、「スーパーへの旅リスク」はは「スーパーの中で感染するリスク」によるものとする。そしてそれは、「スーパーに来る人の感染率」と読み替えることができる。彼らが感染するリスクは、彼らの行動範囲に基づく。これは、私が知り得ないものだが、中には、日々通勤している人や、コロナ感染を恐れず激しく広範囲に行動している方もいるかもしれない。

私たちが行くスーパーは二つ。「低価格、小規模、混んでないスーパー」「手頃な価格、中規模、混んでいるスーパー」である。一見、後者の方が感染リスクが高いように思えるが、後者に来ている買い物客は、どちらかといえば、前者のスーパーより感染対策への意識が高い人々な気がする。よって、感染リスクでいったらどちらもあまり変わらない気がする。

ここまで書いといてなんだが、簡単な話、私たち三人が、三食全てUber置き配にし、「完全巣篭もり」状態になれば、感染リスクはほぼない...しかし、それはちょっと無理な話である。

考察2:「可能性」と「確率」、「かかりやすさ」

「可能性(Porential)」「確率(Probability)」「かかりやすさ(Likelihood)」どれなのか

タイトルにあるよう私が知りたいのは、「私がコロナにかかる可能性」であって、「私がコロナにかかる確率」や「私のコロナにかかりやすさ」ではない。

別の観点で考えてみる。例えば、みんな感染すればするほど、残りし者の数が減り、より私個人の感染率が高くなるのではないだろうか。(再感染の可能性が低いと仮定して)

さらに、結局のところ確率の数値が出したところで気持ち、考え次第である。

その統計数値を高いと思うか。低いと思うかはその人の感染リスクに対する捉え方次第である。リスク回避型の人、心配症の人はわずかなリスクでも身の危険を感じやすくなるはずである。ここで問題なのは、

なぜ、「人々の感染リスクに対する捉え方」ではなく、「人々の感染リスクに対する捉え方に影響を与える要因(なぜそのようなリスクの捉え方をするのか。」ではないだろうか

例えば、それぞれの人の感じ方の違いは、彼らの遺伝、生まれ育った環境、知識レベルなどのデフォルだけでなく、彼らのコロナに対する「心理的な距離」に関係しているのではないだろうか。

例えば私の場合、ロックダウン以前、まだ同居人が通勤していた頃、同居人の会社にてクラスターが発生し、同居人が急遽ホームテストキットを試した出来事があった(後に陰性と判明)。私はその出来事をきっかけに急にコロナ感染に対し心理的に近く感じた。

よって、感染症に対する科学的な研究だけでなく、このような「人々の見えないものに対する心理的距離」の測り方等の心理学、行動経済学、倫理、哲学の研究がさらに進められていくべきだと思う。

例えば、「人のつながり」が増えれば、「心理的距離が近くなる」経験をする可能性が高まるのではないだろうか。

正直私自身、自分自身は感染したくないが、それは私が予防対策をする上でそれ程強い動機ではなく、実際は、「誰かに私を経由し移し、誰かの人生を左右させてしまうこと」が怖い。自分自身が感染するより、自分自身の大切な家族、友人が感染することの方がよっぽど怖い。この、自身の社会的つながりに寄与する気持ちこそ、私を感染予防行動へと促している。私が自身の感染率を1%下げるだけで、私と身体的、空気的に接触のある人の感染率も下げることができ、さらには、彼らとつながりのある人々の感染率も下げることができ、連鎖的に感染率が下がり、全体として大きな効果をもたらす。(ちりつもの原理)

憎きコロナから引き出す学び

全員従うことを前提としない政策効果試算

2:8の法則(パレートの法則)等、みんながみんな予測された規則正しい行動をとる訳ではない。よって、政策を進めていくにあたり政策に対する「人々の反応」「人々の行動の変化」が政策の効果を見込む上で重要になる。しかし、私たち人間は、従来の経済学が言うところの「Homoeconomicus (合理的人間)」ではなく、非合理的なタイプ、協調性のないタイプ、超利己主義的なタイプ、政策を知らない、理解できないタイプの存在を往々に認め、全員従わなくても8割程度の人々が従うことで一定の効果が見込める政策及び政策効果の試算こそが、法的強制力を有する法律が少ない日本において私たちが出来る最大限のことなのではないだろうか。英国ロックダウンも含め、悲しいかな。みんながみんな従う訳でなく、そんな私たちだからこそコロナの大感染を許してしまった。しかし、10割出なくても8割でも、0割よりはずっと良く、感染の広がるスピードを抑えるには十分であると思う。

彼を知り己を知れば百戦殆からず

「心理的距離」を縮める別の方法は、孫子の戦略論にあるよう、「敵すなわちCOVID-19を知る」ことだと思う。よく考えてみると、COVID-19の生存戦略はとてもうまくいっている気がする(ウイルスは無生物といわれているが)。「症状が出るまでに時間がかかること」「感染していても気づかない」ことにより、彼らは一気に広がった。ワクチンができたとしてもそれに抗体を持つ変異種に進化することでいたちごっこ状態に陥ってしまうかもしれない。「ウイルスと共存」と謳っている方もいらっしゃるが、

私たち人間の生存戦略として、この戦いの帰着点をどこにもっていくのか、「私たちが目指すべき人間のあり方、社会のあり方、人間の環世界におけるポジショニング」等これらこそ私たちが倫理的、社会的問題として考えていく必要があるのではないだろうか。

帰結

最悪な結果をもたらしているコロナだが、その一方で、"The New Normal"(新しい生活様式) として私たちの日常生活の転換点となっているだけでなく、政策のあり方、研究のあり方、私たちの生活や生き方を再検討する機会を与えてくれたのもまた事実であると思う。

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人々の行動パターンによるロックダウンの効果シミュレーション 

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