記事一覧
010-黒海沿岸の街バルナ
次の日はアーニャ、お母さんと一緒に黒海沿岸の街バルナまで電車とバスで小旅行。
電車とバスを乗り継いで黒海の沿岸の街まで出る。冬の黒海ら、穏やかな水面が暗く深く見えた。砂浜を3人で歩きながらブルガリアのこと、日本のことをたくさん話した。
教会を観に行ったり、レストランで食事をしていい思い出になった。
2024年、この黒海の向こう岸で戦争が起こっている。あの時もそのちょっと先で戦争が起こっていた
009-アーニャとの初対面
ラズグラードの街を何日か散策。
日本の田舎街とは違うなんだか落ち着く雰囲気でずっとここにいたいと思うような街。
3日目だったかにホテルの部屋の電話が鳴り、受話器の向こうからはアーニャの声。
今ホテルのロビーに着いたので降りてきてと。
やっとアーニャに会えるんだと浮き足立ちロビーに向かう。
エレベーターを降りると少し離れたところからでもアーニャ本人だということがすぐにわかった。
どう接していい
006-最初の目的地に辿り着く
なんとかバス停に着いて運転手に行き先を確認。ラズグラードに着いたら教えてくれと伝えてバスは発車。
ラズグラードに着くと運転手に声をかけられバスを降りた。着いたのは街の中心部なのか。
ここを目的地にしたのは、ブルガリアヨーグルトが大好物だったから。高校の時、ファスティングをするために断食。その時の唯一の食べ物がブルガリアヨーグルトだった。
もうひとつの理由は、今ではそんなことする人はいないだろう
003-ブルガリアの首都 ソフィア
空港から駅を探し歩いたが、人けもまばら。
もう、30年以上前のこと。印象に残っていることは、街のそこかしこが壊れて小さな瓦礫が散らばっていたこと。ただゴミらしいゴミはあまり落ちておらず、目についたのはひまわりの種の殻。
昼間なのに薄暗い街は一国の首都とは思えなかった。
それもそのはず、前年1990年11月に、共産党の一党独裁政権から自由選挙が行われ、ブルガリア人民共和国からブルガリア共和国になっ