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燿(hikari)
2021年11月6日 06:58
(2021年11月6日投稿) 9月11日付でnoteに投稿した「花揺れる黄昏」では、1980年代のビルマ(現ミャンマー)での旅の記憶と現在の情勢に関する事柄を結び付けたものを記事にしたが、今回は同じ旅で撮影したその他の写真と、その若干の説明を加えたものを投稿したい。 これらもフィルムカメラで撮った写真で、40年近く押し入れに無造作に保管していたためにだいぶ劣化が目立つ。 依然として混迷が
2021年10月9日 05:59
8月7日に投稿した「湖畔にて」は、主に1980年代初期にバリ島で過ごした数日間の想いを写真と微かな記憶を頼りに記事にした。今回は同じ旅で撮った別の写真と、いくつか写真にまつわる補足的な文を投稿したい。これらの写真もフィルムカメラで撮ったもので、40年近く無造作に保管していたため劣化が酷く、かなり変色が進んでいる。また前回の記事で使った数枚のカットも説明を補うために再投稿している。前回の記事
2022年1月17日 22:32
終戦から今年で77年という歳月が経つ。私がアジアの国々を巡る旅に出ていたのは、その中間点にあたる1980年代初期の頃。日本の戦後の流れを経済史として見るならば、戦後の混乱から復興し、やがて高度経済成長期を迎え、安定成長から世界同時不況の波に飲み込まれようとしていた時期である。その後の日本経済は、バブル崩壊によって長期低迷期が続き、そして現在はコロナ禍を経験している真っ最中ということになる。
2021年9月11日 06:22
梅雨空の重く垂れこめた雲を見上げると、40年程前、ビルマ(現ミャンマー)へ一人旅に出かけた時のことを思い出す。6月の雨季に入った首都ラングーン(現ヤンゴン)の目抜き通りには、生活必需品を扱う商店や小さな屋台が延々と連なり、現地の人々でごった返していた。歩道には鍋一つ火鉢一つで揚げ物を出す店もあった。しかし観光客向けの商店や飲食店というものはなく、怪しげな客引きに出会うことも皆無だった。他のアジア
2021年8月7日 07:45
1980年代初頭、世界は経済不況の波に飲み込まれようとしていた。ちょうどその頃、社会人となってからの数年間、いくつもの職業を転々とした。辞める理由はいつも決まっていた。年配の経営者に向かって日頃溜まった若さゆえの怒りを爆発させたのだ。奴隷のようにこき使うだけのそのやり方に我慢できずに、人を人として見ろっ!と大声で怒鳴った。彼らは皆呆気にとられ、茫然としていた。その場で自ら即退場宣言をし