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アジア微笑1980s

(※この記事は昨年8月~11月にかけて投稿した4編のバリ島とビルマの旅行記の中から、主に現地で出会った人々を写した写真をピックアップし、新たに短い文章を添えて、コンテスト応募用に再編集したものです。)


 終戦から今年で77年という歳月が経つ。私がアジアの国々を巡る旅に出ていたのは、その中間点にあたる1980年代初期の頃。
日本の戦後の流れを経済史として見るならば、戦後の混乱から復興し、やがて高度経済成長期を迎え、安定成長から世界同時不況の波に飲み込まれようとしていた時期である。
その後の日本経済は、バブル崩壊によって長期低迷期が続き、そして現在はコロナ禍を経験している真っ最中ということになる。

 当時の私は20代半ば頃で、高度経済成長の最中にあって、その激しい競争社会に適応することに困難さを感じ、自分の居場所を見出せない鬱屈とした日々が続いていた。その状況から抜け出し、自己のアイデンティティや救いを求めてアジアの数か国を放浪していたのだが、結果としてはそこから様々な経験と学びを得ることによって、その後の方向性を見出す礎となったという個人的事情がある。
ここに紹介する写真はそうした状況の中で、バリ島とビルマ(現ミャンマー)という二つの地域を旅した時のものである。

 この時バリ島はまだ観光ブームが始まったばかりの頃であり、今ではずらりとリゾートホテルが立ち並ぶ海岸沿いには、まだ粗末なバンガローしかなく、市街地を離れればほとんど外国人とすれ違うこともなく、また観光地化される以前のバリの伝統的な風景が残っていた時期だった。
当時、風葬で有名なバリ島最古の部族が住むトルニャンへ向かうルートは、急峻なジャングルや湖畔の集落を抜ける徒歩で2時間かかる道なき道だったが、今では舗装路が整備されバイクに乗った若者が疾走していたりする。
またビルマもすでに軍事政権下で外国人の受け入れには消極的だった時期であり、滞在中出会った海外旅行者はニュージーランド人の二人だけだった。

 この1980年代初期という時期は決して平和だったとは言い難いが、アジアの国々がその後の経済成長期を迎える直前の、そしてその先にあるテロとの闘いや民主化運動などによって世界情勢が更に混迷の度合いを深める前の、束の間の平穏な時代ではなかったかと思う。

 バリ島ではその後2002年、2005年と続けて過激派による爆弾テロ事件が発生し、多くの犠牲者を出している。またミャンマーでは昨年の軍事クーデターに反発する市民の民主化運動に対する軍の弾圧が今でも続いている。

 これらの写真を見ると、その平穏さが残る時代を垣間見るような、人々の和らいだ雰囲気の一端が伝わってくる。
今ではマスクによって隠されたしまったアジアの微笑。
それらはアジアの人々が本来持っていた穏やかさや人懐っこさ、素朴さ、陽気さといった「アジア的なるもの」が、日常の中で自然に写り込んだ記録ともなったように思う。
そして、それはまた日本人の心の奥に眠る、同じアジア人としての心のルーツを垣間見るものではないかと思う。



※尚、写真はすでに40年近く経過したスライドフィルムをデジタル化したもので劣化が進み、変色しているものがかなりある点はご容赦願いたい。




バリ島































ビルマ(現ミャンマー)





































※これらの写真は以前投稿した下記の4つの記事に使われているものと同じものです。

湖畔にて|燿(hikari)|note

続 湖畔にて|燿(hikari)|note

花揺れる黄昏|燿(hikari)|note

続 花揺れる黄昏|燿(hikari)|note

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